2003・2・1〜2・28

                                           


2003・2・28(金)

 親

 夫婦以外の第三者から精子や卵子を受けて生まれた子供が、遺伝上の親にあたる提供者の情報を知る「出自を知る権利」について、厚生労働省のある部会が全面的に認める方針で合意したというニュースが流れていた。

 子供は誰でも親を知る権利がある、というのがその理由だ。だが、待てよ、親って何だ?ただ単に精子や卵子を提供しただけで親といえるのか?

 新聞やテレビの論調は、子供の福祉を尊重したことを歓迎するムードだが、そんなに簡単なことだろうか。

 「生みの親より育ての親」というが、今回の合意事項はその事を深く考えているのか。大体提供しただけで「生みの親」でもないではないか。

 そういう風にして、つまり生殖医療によって子供を授けられた親は、その事実を子に伝えるだろうか。何らかの事情で子供が出生の事実を知ってしまったとしても、体の中を流れる血のルーツを知りたいと思うのだろうか。アイデンティテが揺らぐのだろうか。仮にそうであった場合、その知る権利とやらがある以上、余計に苦しむのではないか。

 私は、そんな権利は要らないと思う。その子供がこの世に存在できえたのは、今の親がいるからである。その親のアクションによって、つまりは他人の精子、卵子を受け入れる決断をした結果によるものである。決して提供者のおかげではない。そんなのは親とはいえない。ただ自分の遺伝子を含むものを提供しただけである。そこには親としての責任も子に対する情もない。

 生き別れになった親とか、止むを得ない事情で別れてしまうことになった親に会いたいとか、知りたいという場合とは違うと思う。

 根本的に違うものなのだ。

 提供者にとっても、それは軽々しく決めてほしくない事だろう。15年もたってから、見知らぬ子供から親呼ばわりされても困るだろう。何の感情も湧かないだろう。

「ああ、あの時のか」
くらいにしか思えないに違いない。そして、あなたは私の親だから、何らかの義務と責任があるはずです、なんて言われたらたまったものじゃない。

 まあそこらの事はきちんと法整備していくのだろうが、何でもかんでも知る権利とかでひとくくりにされては、人生面白くない。軽々しく私ごときが言うべきことでもないが、権利にぶらさがって、提供者でしかない親を知ったところで、そこに感動はあるのだろうか。

 まあそれらは当事者の判断に任せるしかない。


2003・2・27(木)

 免許証

 仕事を終えた私は、博多駅をぶらぶらしていた。今日は家人から残業で帰りが遅くなると言われていたので、外食をしようと考えたからだ。もちろん博多ラーメンである。といっても博多駅なんて良く知らないので、店探しにぶらぶらしていたのだ。それと本屋によって、欲しい本を買おうとも思ったし。

 結局地下街のありふれたチェーン店みたいなところで普通のラーメンを食った。400円なり。

 本屋では雑誌と文芸誌を買った。

 さて帰ろうかと、地下鉄の駅に向かい、パスケースからわいわいカードという、地下鉄とJR共通のカードを取り出し、残高が少なかったので、それに現金を足して切符を購入した。

 帰宅して服を脱いでいると、パスケースがないのに気づいた。
 「あ〜落としてしまったかあ」

 恐らく切符を買う時に落としてしまったのだろう。あれには免許証も入っているのだ。
 「ガ〜ン!」である。

 明日地下鉄の落し物係りに問い合わせしよう。

 まあ最近車を運転する事は滅多にないので、特に困りはしないのだが、拾った奴に悪用されるのが怖い。それと再発行するのが面倒くさい。

 今夜は自棄酒だな。まあいつも飲んでるけど。


2003・2・26(水)

 70年前

 70年前の今日、つまり昭和11年2月26日、日本の体制を揺るがしかねない大事件が起こった。そう2.26事件である。ちょうど私の父が生まれる1週間前の出来事である。

 今では考えられない事件だ。今でいったら自衛隊が反乱を起こしたようなものだろうか。当時の事情と照らし合わせて考えなければならない事は言うまでもないが、とにかく時の政府に対してクーデターを起こした事は揺ぎ無い事実である。

 背景には一部の軍上層部の権力争い、私腹をこやす新興財閥や無能な時の政府への怒りなどがあったのだろう。彼らは本気で日本をよくしようと考えていたのかもしれない。

 ある意味革命だ。しかし革命やクーデターは成功しなければ、単なる逆賊に終わってしまう。もし成功して、それが民衆に支持されれば、新たな歴史が始まるのだが。

 たった70年前の事である。私は戦後の生まれで生まれた時から、軍隊はなく、平和を享受できる立場にいた。その為にどれだけの犠牲や、失ったものが多かったのかも知らずに。

 その平和ははっきり言って、米国に守られていると言っても過言ではないだろう。憲法だって米国が草案したものだ。

 その米国は今、平和と反対の手段で、自国の矜持を守ろうとしている。悪の枢軸と言って、その対象国を武力で黙らせようとしている。日本もそれに追随するだろう。当然だ。何故なら米国なしに今の日本は平和を維持できそうもないからだ。

 しかし盲従していいものか。いつまでたっても自分の意見も持てない国として、世界から嘲笑され続けるのではないか。

 戦前のように自国の勝手を押し通そうとして(これには諸説あると思うが)戦争に持ち込むのも愚かな行為だとは思うが、普通の大人の常識ある意見くらいは持たねばならないだろう。


2003・2・25(火)

 早くも脱落者が

 派遣の仕事で、私と結構仲良くしてた奴が、辞めた。表向きの理由は家の都合と言っていたが、本当のところは、仕事内容についていけないからと言う事だった。確かにやや厳しいは思うが、ついていけない程ではあるまいに。

 ああこれで話し相手が一人減った。

 大体この仕事はゆっくり時間をかければ、ある程度は正確にこなせるものなのだ。速さを求めるから、こういう落ちこぼれが出てくるのだ。まあ正社員と違って、時間給だから仕方ないが。

 前にも書いたが、こんなロボットみたいな仕事は俺には合わん。正確かつスピードを求められ、しかも分厚いマニュアルに沿って、その通りにやらないといけないし、何より創造性がない。

 決まりきったルーティンワークは大嫌いなのだ。

 とは言うものの、仕事である以上しょうがないとは思うがな。まあ単なる愚痴ですわ。

 関係ないが、ここのトップページに色々手を加えてみた。以前にも書いたが、今WEBデザインというか、作成の勉強中なのである。よって覚えたこと、勉強した事を試したいのだ。
だから何の統一性もデザイン性もなく、ごちゃごちゃしている。

 いずれすっきりとリニューアルするつもりだ。

 まあ私にとって、ここの存在意義は、日記を更新する事、つまり毎日嫌でも何か書かざるを得ない状況に自分を追い込む事だから、そんな事する必要はないのだが。
それだけじゃ味気ないしな。


2003・2・24(月)

 二日酔い

 昨日飲みすぎたのか、やや二日酔い気味だった。さらに月曜日と言う事もあって、だるかった。そう仕事がである。

 だが、今も酒を飲んでいる。梅酒をソーダで割って飲んでいる。

 今の派遣の仕事は、しかし面白くないな。ただパソコンに向かって、ひたすら打ち込むのみだ。しかも単純な作業ではなく、細かいマニュアルがあって、それを踏まえた上で作業をしなければならない。分厚いマニュアルで、こんなもの覚えられるか!てな感じである。

 私語は禁止で、もちろん禁煙、禁飲み物である(まあ普通か)。他人との会話は1時間に5分の休憩時間だけだ。

 基本的に一人でやる仕事なので、そこに人間関係は生まれない。名前も知らない奴がほとんどである。コミュニケーションはない。まるでロボットのようにひたすら、パソコンに向かっているだけだ。しかもその日の進捗具合を個人別にグラフにして、観覧できるようにしているのだぞ。一目瞭然なのだ。まるで成績表だ。職場に笑いなし、なのだ。しかもやたらと派遣先の社員は、こちらをプロ扱いしてくる。プロとして、尊重するならともかく、プロのくせにこんな事もできないの?てな感じなのだ。
私は何とかこなしているが、中にはそうでない派遣社員もいる。
プロ扱いするなら、もっと金寄こせや、と言いたい。そんな雰囲気だから、

 「今日一杯どう? 」

 なんてありえない。時間がきたら、帰るだけだ。

 こんな仕事が5月まで続くのか・・・・・・。割りきるしかないな。


2003・2・23(日)

 試行錯誤

 ソフトを変えてから、ここの管理に苦労している。今日もほとんどの時間をそれに費やした。
ビルダーの方がはるかに使いやすい。まあ慣れもあるのだろうが。

 昨日は酔っ払っていたので、さらに訳が分からなかったが、今日は何とかして上の画像も表示できるようにした。この試行錯誤がさらなる理解に役立つのだろう。

 いずれはここもリニューアルして、さらに見栄えがよくなるようにしたい。そして、その時には作家として、公式ホームページにしたいものだ。

 今は勉強だ。人間いくつになっても勉強しなければな。うちの親父も今パソコンの勉強中である。
今は67歳かな。先日ヤフーBBに加入したようだ。ただパソコン自体が古いので(義弟からもらったもの。ウインドウズ95のペンティアム130MHzくらいかな)設定に苦労した。私にお鉢が回ってきたのだが、苦労したよ。LANカードを認識しないのだ。何とかしたがな。

 私の今の目標はもちろん作家になることだが、並行してWEB作成にも明るくなりたいのだ。

 後者は特に役に立たないかもしれないが、少しでも人より秀でるものがあれば、それは人生の宝になるだろう。

 関係ないが、今日はこのフォントでアップしてみる。



2003・2・22(土)

 深夜


 やや酔っている。今は深夜の3時だ。今日は9時くらいから家で飲み始めた。今まで飲んでいた。といっても缶チユーハイ2本とワインボトル1本だから、大した事はない。

 家人も寝ている。静かである。聞こえるのは机に置いてある空気清浄機のファンの音だけだ。
ここは田舎だから、外の音はほとんど止んでいる。
 こんなに静かで執筆にとってこれほどの好条件はないというのに、私は酒をくらって何をしているのだろう。

 浅田次郎がこう言っていた。「私の趣味は小説を書くことです」と。
書かずにはいられないとも言う。つまり彼にとって、執筆することは苦行ではなく楽しみですらあると言うのだ。
 ああ俺はあほだな。月に100枚くらいしか書いてない。丸山健二が言ってたっけ、どうせ誰でも無駄な時間が必ずあるのだから、それを執筆にあてようと。その言葉は小説家希望の人に向けられたものであった。いや、まだ見ぬ書き手へ、というタイトルの文章だった。

 深夜のこの絶好の時間を無為に過ごしている俺は、失格だな。
 来月は、私がこれを取ってデビューできたらなあという文学新人賞の中の2つの締め切りである。
新人賞は多くあれど、それが将来に結びつくと言うのはあまりない。そうだな、年に10賞くらいか。
その数少ない中の2つをおろそかにしてはいけない。性根を入れ替えてやらねば。
 ドンキホーテやピエロに終わるかもしれんな。
 死力をつくしての結果だったらいいが、今のままではお遊びといわれても反論できないな。

 関係ないがフォントサイズを変えてアップしてみる。見にくいかな?
 アップしてみたら変だった。やっぱGoLiveは今一わからん。

 ああ酔っ払ってるからかな、上の画像が表示されない、しかし解決するにはへろへろだ。明日やろうっと。



2003・2.21(金)

 データ入力

 先週の金曜日に引き続いて、今日も臨時の仕事を依頼された、九州新幹線のネーミング募集はがきのデータ入力だ。

 まあこの仕事は楽なのだが、もくもくと入力している周りの人たちは怖い。私語はなしで、広い会議室のようなところで、10人くらいがただひたすらキーボードを叩いているのだ。
私は適当にタバコを吸いにいくのだが、ほとんど休まない人もいる。

 キーボードを叩く音しかしない部屋というものは恐ろしい。まあ私もやってる最中は、無言でやってるが、結構辛い。救いは応募者からのはがきに訳がわからんネーミングを見つけた時くらいか。
 先週は結構面白いのがあったが、今日はそれほでなかったなあ。
強いてあげると、「さいごうど〜ん」くらいか。

 いやいやそりゃ西郷隆盛は、鹿児島では親しみこめて、「西郷どん」と呼ばれているが、「どん」を伸ばす事はないだろう。しかも「〜」である。「さいごうど〜ん}か。西郷が近くいて、こちらから呼びかけているみたいだな。
 あと自分の名前を応募してくる人もいたな。例えば、田中雄二という名前だったら、「ゆうじ」とか。こら、真面目に考えろ。



2003・2・20(木)

 手抜き

 最近日記に書くことがなくなってきた。少し前なら何も考えずにすらすらと書けたのだが。
しかもその日のうちにその日のことを書くことをしていない。翌日ならまだマシな方で、酷い時は4日くらい遅れて書いている。

 そこまでして毎日帳尻合わせのように書いてもしょうがないとは思うのだが、一度挫折すると、書かなくなってしまう恐れがある。それが怖い。

 例え遅れ気味でも、毎日書き続けることが大事なのだ。例えそれが、やっつけ仕事のようになってもだ。

 小説は、書いたり書かなかったりしても目にはつかないが、この日記はすぐに知れ渡ってしまう。
誰も気にしてないかもしれないが、ここだけは何が何でも続けていきたい。



2003・2・19(水)

 GoLive

 今日からホームページの作成及び管理ソフトを変える。今まではIBMのホームページービルダーを使っていたが、これからはAdobeのGoLiveにする。
訳は色々あるのだが

 しかし慣れてないせいか、使いにくい。ビルダーに慣れていただけに訳がわからない。
ビルダーの方が使いやすいように感じる。ただGoLiveはポテンシャルが高そうで、色々な事が出来そうだ。プロ向きという感じがする。

 まだ苦労しているが、早く使いこなせるように頑張りたい(何で変えるんだ?という気もするが)


2003・2・18(火)

 飯パート2

 今日の夕食はオムレツだった。以上。

2003/02/19 (水) 15:42:32 


2003・2・17(月)

 飯

 今日の夕食は焼きビーフンだった。以上。

2003/02/19 (水) 15:39:20


2003・2・16(日)

 家

 
 ハムスター用の家が我が家にきた。家人の会社の人からもらったものだ。まあ中古ではあるが、上等なものだった。
 2階建てで、アクリル板を使用している為、中の様子が観察できて面白い。

 今では3匹に増えた我が家のハムスターだが、さてどいつをこの家に住まわせようか。やはり体が1番大きい「りゅう」かな。

 早速「りゅう」を入れてみた。うむとまどっている。ここはどこなんだ?と言う感じだ。普段は体の大きさを持て余してか、動作がのろい「りゅう」だが、パニックに陥ったようで、あたりをきょろきょろ見回しては、立ち止まったり、走り始めたりして忙しい様子だ。

 さてこの家には今までなかったものが、据え付けられている。それはアクリル製のパイプのようなものだ。1階と2階をそれでつなげているのだ。行き来するには、パイプの中を進まねばならない。果たして「りゅう」にそんな芸当が出来るだろうか。

 まず2階に入れなおしてみた。1階とを結ぶパイプは、ハムスターの視点から見ると、落とし穴のように感じられるのだろう。穴をのぞいて体を少しは入り込ませるのだが、すぐ後ずさってしまう。うむこれは教え込まなければならない。

 私は強引にその穴に「りゅう」の体を押し込んでみた。嫌がる素振りを体で表現していたが、やがてあきらめたのか、するすると穴を伝っていった。そして1階に到着した。ここで彼は新しい光景に出くわし、「ああ、このパイプを伝って行けば、1階と2階を行き来できるのだな」と認識したことであろう(本当かい)

 うむ、それからは2階から1階に行けるようになったみたいだ。しかしまだまだ問題は解決されていなかったのだ。そう逆ができないのだ。1階から2階にはどうしても行けないのだ。今度も無理やりパイプの穴からよじ登らせようとしたが、前と違って抵抗が激しい。何度やっても、拒否される。

 仕方ない、やがてそこを自ら登らなければ、生活が成り立たないことに気づくだろう。

2003/02/19 (水) 15:22:34


2003・2・15(土)

 冬の雨

 薄灰色の空が広がり、間から冷たい雨が降り注いでいる。こんな日はどこにも出かけたくない。

 私は冬の寒さより、夏のぎらぎらとした暑さの方が好きだ。気分まで滅入るような雨より、何か前向きな気持ちになれる快晴の方が好きだ。

 逆の考えの人もいるだろう。あるいは天候など関係なく、一定の人もいるだろう。

 冬の雨は鬱陶しいが、私は今、家の中にいる。それを感じてはいない。窓越しに見える景色は、確かに冬の雨を視界に映しているが、肌で感じてはいない。

 夏の太陽だって、冷房の効いた部屋にいると、それを忘れさせる。

 こうして自然を肌で感じなくなってしまって、どれくらい経つだろう。

 明日も雨らしいが、明日は外に出てみようと思う。

2003/02/16 (日) 18:18:26


2003・2・14(金)

 バレンタインデイ

 今日は休みだったのだが、急遽違う仕事を派遣会社から依頼された。

 仕事内容は、九州新幹線の名称公募はがきのデータ入力である。今度開通する、九州新幹線の名前を公募していたのである。実にさまざまなのが送られてきた。老人からのはがきが多かったのが特徴だった。仕事自体は簡単だったが、延々とキーボードを打ち続けるのは苦痛である。何も考えずにただひたすら打ち込むだけだからな。
 
 その中でいくつか面白いものがあったから、ここに紹介しよう。まず笑ったのが、「ゆとり」である。
 おいおい早さを求める新幹線にゆとりをもたしてどうするんだ?この名前を応募してきた人は、ゆとりのない生活をしていて、せめて新幹線だけでもゆとりを持って走行して欲しいとでも思ったのか。それとも奇をてらったのか。

 次は「むつごろう」。あのな、たしかに有明海のむつごろうは有名だが、そんなかっこ悪い名前じゃ誰も乗らんぞ。畑正憲と間違って、誰かが動物でも持ち込んだらどうするのだ。なわけないか。

 変なのは他にもあったが、強烈に覚えているのはこんなもんかな。

 多かったのが、「はやぶさ」、「はやて」など、速さを連想させるものだった。まあ「はやぶさ」は今のブルートレイン、東京〜熊本間の寝台列車で使われているが、どうだろうか。私にとっては、寝台列車というイメージが強烈だが。

 急遽仕事を頼まれたのは、私を含めて10人くらいだった。私以外全員女だった。バレンタインデーなど関係ない人たちだったのだろうか。独身の若い女もいたようだったが。

 私も結局何ももらえなかった。

2003/02/16 (日) 17:52:50


2003・2・13(木)

 寝る位置

 この前からベッドで寝る位置を変えた。今までは手前で寝ていたのを奥の方に身を寄せるように変えたのだ。まあどうでもいい事だが、これが何故か安眠できるのだ。

 今まで私は何故か眠りが浅かった。ああこんな簡単なことで熟睡できるとは。

 人間ちょっとした変化、心の持ちようで随分変わるものだな。例えば通勤経路を変えるだけでも大分違って感じるだろう。

 どうせなら前向きに考えて生きていきたいものだがな。

2003/02/15 (土) 1:50:54


2003・2・12(水)

 だらだら

 今日は休みだった。ふと思った。最近、何も考えずにベッドに横たわることがなくなったなあ、と。

 1年前は一人暮らしだった。狭いワンルームで、その中に家具やその他生活必需品がところ狭しと置かれていた。だから「ああ、疲れた」と思ったらベッドに飛び乗って、両手両足を思い切り広げて、天井を見上げながらだらだらしたものだった。

 今はそういうことがない。普段いる部屋には机と本棚しかなく、まあ隣の部屋にベッドはあるもののそこまで行かない。椅子に座ったまま何かをしている。ベッドに行くのは寝るときだけだ。

 本を読む時も、椅子に座ったままだ。当たり前か。何が言いたいのか良く分からんな。

 家が広いのも落ち着かないものだ。貧乏性の私にとっては。

2003/02/13 (木) 23:45:33


2003・2・11(火)

 建国記念日

 
 最近ではそうでもないが、今日は一時物議を醸した日である。

 この日を子供の頃は何も知らずに、ただ休みだというだけで無邪気に喜んでいた。私は昨今までそうだった。意味など考えずに休めることだけに意味を見出していた。

 だがよく考えてみよう。何をもってして建国記念日なのか。神武天皇が即位された日と言うが、これは出鱈目である。こんな人物は存在しない。まあ意味はどうあれ大多数の国民にとって休日はうれしいものだ。

 天皇制がどうのこうのとか、憲法に反するとか、色々な意見はあると思うが、私は意味なんてどうでもいいから休める事が重要であると思う立場である。

 今の時代誰もこの日が日本の建国の日だなんて思ってもいない。一部の愚かな右翼と宮内庁くらいではないだろうか(それも建前上)。

 大体建国って何だ?今の日本が建国されたという概念こそおかしい。一体誰が?ああ天皇か。神武天皇か。それを言うなら第2次世界大戦後、日本国憲法が発布された日にした方が分かりやすい。まあこれは憲法記念日があるからなあ。または明治維新のいずれか重要な日をそう定めたらいい。

 まあどうだっていいか。こんなこと真面目に考えている人なんてそうはいないだろうから。建国の意味さえわかってない奴の方が多いだろうからね。

 まあこれを機会に少しでもその意味とかを知りたい人はこちらにどうぞ。

 しかしこんな意味の曖昧な祝日もないだろうね。

2003/02/13 (木) 0:01:41


2003・2・10(月)

 猿以下

 昨日反省したばかりなのに今日も同じような過ちをしでかしてしまった。

 仕事を終え、午後の7時半くらいに帰ってきた私は、夕食をとり、小一時間テレビを見て、酒を飲んで、書斎に向かったはいいが、パソコンで遊んでしまった。まあ遊んだというより、意味もないコミュニケーションをとり続けてしまった。

 それはメッセンジャーというソフトでのインスタントメッセージのやり取りと、チャットである。意味のある通信ならいいのだが、ただ他愛もないやり取りをするだけである。

 電話線を通じて、遠くの人たちとメッセージをやり取りする事は、何か不思議で、人が身近にいるような錯覚を覚えてしまう。しかしそれは相手が目の前にいない分、真剣みに欠け、ややもすると単なる時間つぶしにしかならないもので、とても人とのコミュニケーションとは言えない代物だ。

 短時間電話代わりにやるのならいいが、だらだらと長時間、金が掛からない事をいいことに意味のない会話を暇つぶしのごとく続けるのはいかがなものか。また2人でのやり取りはまだ、会話につながりがあるが、これが数人でのチャットとなるとこれはもう滅茶苦茶である。

 コミュニケーションというよりこれはバーチャルな会話のゲームといった方がいいかもしれない。さびしくてやるのではなく、暇だからといってゲームをやるのと同じなのだ。こんな愚かなことに時間を費やす暇があったら、もっと他にやるべきことがあるはずだろう。

 しかし暇つぶしとはいえ、多くの人がこれに熱中するのには何かしら意味があるのかもしれない。それは現代における人間関係の希薄さが原因なのかもしれない。上っ面だけでも他人と繋がっていたいという人間の本能なのだろうか。

2003/02/11 (火) 20:23:08


2003・2・9(日)

 特に何もない日

 二日酔いでもない。普通の日曜日だった。何をするでもなし、ただ意味もなくパソコンの前に座り、意味もなく何かしらしていた。

 働き始めてから、リズムが狂ったようだ。普通は逆なんだろうが。まあ無理もないか、今まで働いておらず、外出する事もあまりなかった生活が一変したのだから、慣れるまで時間がかかるのはしょうがないかもしれない。

 だが、仕事をしているという事実が、俺を甘やかし始めている。今までのような緊張感がなくなり、昔のような、そう、働いている時のような過ごし方に陥ってしまっている。今までのように、本を読む事も減り、小説を書くという行為も疎かになり始めている。

 本末転倒である。時間のやり繰りができると言う理由で、この仕事を始めたのに、これでは意味がない。普通の会社員みたいに、仕事から帰ったきて、飯を食って、テレビ見て、酒を飲む、という生活になってしまった。まあここ10日ばかりの話ではあるが。
 これは大いに反省しなければならない。

 私は、小説家には2つの才能が必要だと思っている。1つは本当の才能、つまり文才、もう1つは書き続ける、いや書き続ける事が出来るという才能。この2つが揃い、それからさらに、あまたの運が重なって初めてモノになると思うのだ。

 私に文才があるかどうかはわからない。しかし書き続ける才能に関しては、疑問を持たざるを得ない。この才能にはある意味忍耐も絡んでくる。こらえしょうのない私はせめて、自分を律する事に最大の努力を払わねばなるまい。

2003/02/11 (火) 19:56:58


2003・2・8(土)

 西新にて

 夜7時半くらいから西新の居酒屋で飲んだ。メンバーは家人、M子、Iさんの4人であった。この面子で昨年飲んだことがある。
 私は例のごとく酔っ払ってしまい、意識はしっかりしていたものの、やや他の人たちに心配かけたかもしれない。

 2件目はショットバーにいった。そこでのマティーニが効いたのかもしれないな。

 まあ他の人たちはどうか分からないが、私は楽しかった。

2003/02/09 (日) 22:03:54


2003・2・7(金)

 怠け

 仕事に行きだしてから、執筆がおろそかになっている。駄目だな。
 時間を有効に使えるからとこの仕事を選んだのに、それの意味がない。甘えである。

 こんな事じゃいけない。

2003/02/09 (日) 21:58:46


2003・2・6(木)

 雪

 福岡でも山岳地帯は雪が積もったらしい。雪と言えば私は大学時代を思い出す。そうスキー部にいた頃だ。

 私は騙されて体育界スキー部に入部した。ここはちょろい同好会のようなところではなく、上下関係も厳しく、活動も厳しい本格的な部であった。夏は陸上トレーニングが待っていた。週に3回皇居付近に行って練習した。嫌だった。

 初めての冬。合宿所がある長野県菅平に向かった時の感動は忘れられない。中央線のと特急で行ったのだが、川端康成の「雪国」のような体験が待っていた。そういきなり雪国になるのだ。

 私は主に九州で過ごしてきた。たまに雪は降って積もったが、それとは明らかに違う景色が私を迎えてくれたのだ。一面の銀世界という表現はありふれているが、そんな感じだった。

 その時の感動する心を私は今でも失っていないだろうか。それが心配である。

2003/02/08 (土) 2:29:52


2003・2・5(水)

 最近


 今年に入ってから、というより新しくこのページ立ち上げてからどうも日記にろくなこと書いてないな。
 愚痴とか批判ばっかりだ。これは俺の精神状態を表しているのだろうか。

 前の日記にはそれ以外の何かがあったような気がする。反省。

 いくら吐露吐露とはいえやや情けないな。明日から昔みたいに書こう。

 ここは文章修行の場でもあったはずだ。

 自分がどうあるべきか迷ってるのかもしれない。

 窓から外を見れば白い雪が闇を切り裂いている。積もるのだろうか。

2003/02/07 (金) 2:37:18


2003・2・4(火)

 しっかりしろよ

 仕事先の男と話をしたらこいつも交通費は出ないことを知らなかったらしい。な、こんなもんだよ。連絡不徹底だよ。いい加減だよな。
 NTTの子会社とは思えんよ。しっかりしろや。こっちは正社員と違って何の保障もないのだから、契約事項は前もって伝えるべきだろう。確認しなかった方も悪いかもしれないが、伝えたはずですという言い方は傲慢かつ怠慢だよ。

 今日からOJTという感じで、仕事をしながらのトレーニングが開始された。いやいや、やってみたらこりゃ大変だわい。

 しかし人と交わって仕事をするのは気持ちがいいかもしれない。今までは一人でもくもくと金になるかどうかわからない仕事をやっていたから、違った充実感があった。

 明日は休みだ。しかし交通費が出ないと言う事を俺から聞いた男は、その瞬間顔が真っ青になっていたな。
 責任重大だぞ。NTTテレマーケティングアクトよ。

2003/02/05 (水) 23:43:20


2003・2・3(月)

 初出勤

 いやいや久しぶりに普通の仕事をしたよ。昨年までは失業手当をもらっていたからね。まあ今日は研修だったが、これが1ヶ月半も続く。
 周りは女ばっか。男は俺入れて6人だったかな。ええっと全部で20名強。

 諸事情を鑑みてこの仕事を選んだけど、何と言っても勤務開始が午後からというのがいい。夜型の私としては願ったりかなったりである。まあ時給は安いがね。

 しかも契約社員の身分だから、時間のやりくりに事欠かない。結構余裕である。よって執筆出来る時間も結構取れる。まあ時給は安いがね。

 仕事内容はややこしいが、慣れれば楽勝だろう。契約は3ヶ月だから慣れた頃終わりかもしれないが。

 終わる頃つまり5月に2つの文学新人賞に投稿した分の発表がある。吉報があればいいのだが。

 次はすばる文学賞と新潮新人賞に挑戦だ。これらは3月締め切りである。他に毛色は違うがエッセイとかも投稿するつもりである。なんらかの形で文筆業への足がかりをつかみたい。

 しかし今日初出勤して思ったけど、会社員って本当に楽だよ。正社員に限る事だが。リストラの危険性とか、会社自体の危機とかあるかもしれないが、気楽な稼業である事は間違いないね。自分に嘘を突き通せればの話だが。私はそれができなかったから辞めただけに過ぎん。

 何にも考えてなかっただけかもしれないけど。

2003/02/04 (火) 0:15:17


2003・2・2(日)

 惜しいな

 2002・2・2だったらなあ。そういえばこの日キリがいいということで、家人と入籍しようかとか言ってたっけ。
 あれから1年か。早いものだ。

 関係ないが平成2年2月2日にも強烈な思い出があるのだよ。それはここでは言わないがね。

 2222年2月2日には俺は57歳か。その頃はどうなっているだろうか。恐らく文豪として活躍しているだろう。または夢破れて山河あり(関係ないが)と言う事で、ちんけな勤め人になっているかもしれないな。

 明日から仕事だ。3ヶ月の契約だが、頑張るか。

 ところで平成22年2月2日は何やってるかな?40半ばだな。こっちの方が現実味あるなあ。いやいや元号変わってるかな?じゃあ西暦で、2345年6月7日は・・・・・・俺生きてるかな?生きてたら、三百何歳か。ああ不死身にならない限り無理だな。
 もう西暦でキリのいい年はないのか。むむ、2003年4月5日でもいいか。この頃私の娘が生まれるよ。

2003/02/03 (月) 1:31:22


2003・2・1(土)
 2月

 2月だあ。仕事も始まるう(バイトみたいなものだが)。色々頑張ろう。

2003/02/02 (日) 2:54:58