新屑の吐露吐露日記

過去の日記(2002/4月9日〜8月17日)(表示がおかしいですね)

 これは、会社を辞め無謀にも作家を目指すという男の、暇つぶし、かつ文章修行の場である。日々の出来事や思いついた事を、日記風、またはエッセイとして書き記していきたい。誰も読まないと思うので、適当に書いていくつもりである。
8月17日 〜夏休み〜
 子供の頃の夏休みは何故あんなに開放感と高揚感があったのだろう。
 朝食を取ったらすぐに遊びに出かけていた。そして昼頃いったん家に戻り昼食を取ってまた遊びに行く。暗くなるまで遊んでいた。

 どんなに遊んでも文句を言われない。たまに母親から、宿題やったの?と言われるくらいだ。よくあんなに毎日遊んで疲れなかったものだ。今だったら1日で疲れてしまう。

 野球をしたり、友達の家に遊びに行ったり、海水浴に行ったり、虫取りに行ったり、熱い太陽に身をさらしていたあの頃。

 遊びが仕事だった。

 大人になってからは暑いところを避け、エアコンの効いた部屋から出たがらなかった。何をやるにもだるくて、1日中家にいても平気になっている。

 俺だけか?確かに俺は人より出不精になってしまい、疲れることから遠ざかっている。
 若年寄みたいだ。

 子供の頃のあの元気さとパワーが欲しい。
悟ったようなスノビズムを捨て、肉体もそうだが精神も開放させなければ。

 書を捨て街に出ることも必要だな。
2002年08月18日 14時45分52秒

8月16日 〜公園〜
 私が住んでいる街には公園がない。あるのは田んぼと畑と民家とマンションだけだ。
 公園があったからといって出かけるわけではないが、意味もなく佇める場所が欲しくないのだろうか。

 子供たちはどこで遊ぶのだろう。田舎だからといっても、遊べるようなスペースは小学校の校庭くらいしかない。開放されているのだったらよいが。

 暇を持て余した人達はどこで時間を潰すのだろう。私が知らないだけでどこかよい場所でもあるのか。

 吉田修一の芥川賞受賞作「パークライフ」を読んだ。公園で出会い、お互い名も知らぬまま別れていく男女の話である。ただそれだけだ。ドラマはなく、淡々とした作品だ。もし考えさせるテーマがあったとしたら、全編に流れる現代の人間関係の希薄さくらいか。

 家人と壱岐の海に行った時のことだが、私たちが砂浜でくつろいでいると、家人の遠い親戚数人と遭遇した。私の感覚では考えられないほどの遠い親戚だった。それでも彼らは久しぶりの再会を当然の事として受け止めていた。確か家人の祖父の妹の孫達だったか。

 私はそんな遠い親戚に会った事がない。せいぜい久留米であったときのようないとこくらいだ。

 大半の人達は故郷を離れそれぞれ暮らしている。そして世代が後になるに連れて故郷と言うものは変わっていく。
 私の故郷はどこだろう。ここではないことは確かだ。福岡には少し住んだことがあって、今実家があるに過ぎない。

 私と家人とその子供達とで後世の為に新たなる故郷を作っていかなければならないのか。

 そこには人間関係の希薄さが少しでも薄まるような公園があればいいとふと思った。

 
2002年08月17日 17時41分59秒

8月15日 〜終戦〜
 人間なんて脆いものだ。自分が1番かわいいし、他人のことなんて正直言えばどうでもいい。他人を思いやる心なんて、自分の良心に従っているに過ぎない。
 但し時に人間は無私の愛を行使することがある。それは考えて出切るものではなく無意識にしてしまうものだ。それが性善説が信じられている所以だろう。

 戦場に送り込まれた祖先は何を考えて命を懸けたのか。愛する人を守るためか?祖国を守るためか?仕方なくか?人によって答えは違う。

 その時、それは私には一生解らない。しかしすべてを受け入れ命を懸ける覚悟というものには悲壮感が漂っている。

 あの時日本にいや世界に何が起こっていたか。
 今日くらいはそれを考えてもいいのではないだろうか。

 過去は過去として受け入れなければならない。歴史にリセットはかけられないのだ。過去なんて忘れた。未来に目を向けるべきなどという奴は単なる阿呆だ。過去に目を向け、尚且つそれを教訓にして未来を見据えなければ同じ過ちを犯すだけだ。

 個としての無私の愛が存在したとしても、公としては無視の愛しかないのかもしれない。愚かな事だがそれが国家を形成しているのだから仕方がない。
2002年08月16日 22時54分51秒

8月14日 〜久留米〜
 壱岐を後にして久留米にある伯父の家に行った。家人と母、妹の4人で行った。父と義弟は諸事情あって来なかった。

 いとこ2人も来ていた。到着するや否やいとこの姉が「何飲む?ビール?コーラ?」と聞いてきた。私は壱岐で飲みすぎていたので本当はコーラと言いたいところだったのだが、いとこがビールを飲み始めたので、負けちゃいられないとばかりに私も無理してビールにした。

 案の定気持ち悪くなった。しかし私は平然とした顔でトイレに行き、無理やり喉に手を突っ込んで吐いた。私は吐くとスッキリするタイプなのでそれからは普通に飲めた。

 それから皆も飲み始め大宴会が始まった。2人のいとこの姉は酒が強く、私ですらたじたじさせられることが多い。この日も次から次へと酒が出てきて、私は徐々にへろへろになっていった。

 途中カチンとさせられることもあったが、まあ楽しい宴会だった。

 最近こういうのが多い。実家で飲んだり、家人の実家で飲んだり、こうして親戚と飲んだり。これはこれで楽しいのだが、いかんせん身内だ。際どい話や下品な話、論争などできない。たまには熱くなって議論を戦わせたいのだ。 

 私が子供なのか?大人になりきれてないのか?そうだろうな。いまどき会社を辞めて作家になりたいなんて、常識人から見れば馬鹿げてるとしか映らないだろう。常識に囚われ、堅実に生きるのが正しいなら、世の中つまらないってなものだ。

 人の心なんて、本人にしか解らないし本人ですら解らないことがあるのに解った風な口を利くな、と言いたい。

 それにしても飲みすぎたわい。疲れたよ。
2002年08月16日 22時33分16秒

8月13日 〜壱岐パート2〜
 昼前に起きた。昨日飲みすぎたのだろう。しかし昨日は何だったんだ。途中から家人もいなくなり私は一人で家人の実家の台所で飲んでいたんだぞ。おかしいだろ。

 今日は海に行くことになっていた。家人は家の手伝いがあるとかで、昼くらいから行くことにしていた。私は所在無げに待っていた。待ち疲れた頃家人が皆の前で「弟と2人で行って来ない?」と言う。実家には家人の弟とその息子が来ていた。何だと?散々待たしておきながら、よく知らない実家に来ている俺をないがしろにして、私は行けないから、弟と行って来いだと。

 脱力。だから来たくなかったんだ。家人は実家では俺に全然気を使わない。俺と実家の仕事とどっちが大事なんだ。ふざけるな!昨日だって俺を台所に一人にさせるし。しかも田舎の農家だから、台所は母屋と別棟なのだ。私は一人で別の棟にほったらかしにされたのだ。世が世なら打ち首ものだぞ。

 「別にいいぞ」そう答えるしかないだろ。
弟とだったら嫌というのも大人気ないし。

 結局家人は来たが、人を馬鹿にするのもいい加減にしろと言いたい。
2002年08月16日 22時05分49秒

8月12日 〜壱岐〜
 最終のフェリーで家人の実家である壱岐に行った。着いたのは夜の11時くらい。疲れたが2時くらいまで焼酎を飲んだ。家人の実家では誰も酒好きがいないので、一人で飲んだ。哀れなり。
2002年08月16日 21時37分13秒

8月11日 〜実家にて〜
 相変わらずパソコンがおかしい。
しばらく様子を見よう。

 今日は実家に行ってきた。また飲んだ。
義弟に家まで送らせた。以上!
2002年08月16日 21時33分37秒

8月10日 〜ウイルス?〜
 パソコンを付けっぱなしにしていたら、翌朝画面にウイルスに侵されてます、とある。
何故だ?ウイルス対策ソフトインストールしてあるのに。しかも修正できないとある。

 ともかく侵されたファイルにアクセスできないようにして、様子を見ることにした。
 やはり動作がおかしい。再起動すると、プロファイルが壊れてます、だと。

 ウイルススキャンしてみた、異常無しと出る。しかしメールアカウントは立ち上げるたびに消えるし、インターネットもおかしい。

 疲れた。寝る。
2002年08月16日 21時30分23秒

8月9日 〜ファットマン〜
 今から57年前の今日長崎に原爆が落とされた。その恐ろしさ、凄惨さ、愚かさは想像するしかない。いや想像すら出来ない。

 核によって世界の危うい均衡が取れていると言う人がいる。確かにそうかもしれない。持っている国と持っていない国が危機的状況にあったら、持ってない国は恐怖にさらされるだろう。それを無くす為に核を持とうとする。それによってお互い手を出せなくなり、結果的に戦争が食い止められる。まさに世界は平和どころではなく、ぎりぎりの状態だ。

 日本には非核3原則があり、唯一の被爆国をして、2度とあの時のような悲劇が繰り返されないよう世界に提言していく権利がある。しかしいくら3原則があるとはいえ、米国の核の傘に守られていなければ、不安でしょうがないだろう。平和とは勝ち取るもので、黙っていてもそれは訪れない。

 水を差すようだが、私は常々長崎にある平和記念像に対して、違和感を持っていた。あの奈良の大仏のような大きく、他を圧迫するような像からは平和を希求しようという意図が読み取れなかったのである。
 すると今日の新聞にこう書いてあった。

 要約すると、『あの像には観光長崎の新名所をつくりたい市当局と、像製作で永遠に自分の名を残したい長崎出身の彫塑家、北村西望の「過剰な自意識」が一体となって出来上がったものだった。そして西望は長崎の関係者に「奈良時代に朝廷の下に全国を統一して日本を仏教国家にする為に奈良の大仏が作られた。同じように平和運動を進める為にも奈良の大仏にならって出来る限り大きな男神像を作るべきだ。大きさは力である」と言ったのである』とある。
 作者の強引な論理には呆れるしかない。要するにあの像は観光名所であり、作者の名声の為に作られたものなのだ。やはり私が感じた違和感は間違っていなかったのだ。

 虚像である。これで平和のシンボルであると言えようか。

 力には力を!と言ってる様なものである。
さらにこの作者はインタビューで「真の平和は実現するのでしょうか」と聞かれ「ハッハッハ。こりゃもうどうしてもダメ。人間は欲張りだから。アッハッハ…」と答えたと言う。何も言うまい。確かに人間は愚かで、欲張りでそれは取り除く事の出来ない原罪かもしれない。それはそれでいい。だったら平和祈念の像製作なんて意味無いだろう。

 まあこれらは新聞の引用だから、事実は不明だ。しかし私が感じた違和感だけは拭い去れない。

 こんなまやかしの平和祈念ではなく、それぞれが胸の中に秘めていればいい。
 

 
2002年08月10日 15時16分49秒

8月8日 〜繁殖〜
 昨日子供が出来たかもしれないと書いた。
まだ考えてなかっただけに、複雑である。
 経済状況を何とかしなければならなくなった。のんびりと小説を書いている場合ではなくなった。

 我が家では3匹のハムスターを飼っている。ロボロフスキーと言う種類が雄雌1匹ずつとジャンガリアンと言う種類が雄1匹である。それぞれマロ、ロビン、リュウと言う名前を付けている。

 マロとロビンは同居させている。巷ではハムスターをツガイで飼うと鼠算式に増えていくと思われているが、我が家の場合、その気配は全く無い。夫婦としての相性が悪いのかもしれない。ただし仲はよい。

 リュウは一人ぼっちだが、いずれ雌を飼って繁殖させたいと思っている。いや思っていた。なぜ考えが変わったかと言うと、それを飼っている人間様が繁殖しそうだからだ。

 私の優秀な血を引き継ぐのだから、さぞかし可愛くて、頭の良い子が生まれる事であろう。サンデーサイレンス並みの種だからな。
2002年08月10日 14時18分01秒

8月7日 〜複雑な心境〜
 子供が出来たかもしれない。
「月に1度のこんにちわ」が来ないと恐ろしい事を家人が言ってきた。

 遅れてるだけだろうと高をくくっていたが、妊娠検査薬にて検査した結果、陽性反応が出たという。

 驚天動地、青天の霹靂、パニック、ありとあらゆる驚きが私の頭の中を駆け巡った。

 う〜ん、複雑だ。私も37歳、子供を持つに早すぎる事は決して無い。むしろ遅すぎるくらいだ。しかし作家を目指している無職の男でもある。子供が出来たとなると方向転換も考えねばならない。

 嬉しいやら、悲しいやら。
あらゆる感情が頭に芽生えてきた。しかし家人はもっと大変だろう。

 とりあえず病院に行って、診察してもらわないと正確な事は解らないが。

 これからは銀パパと呼んでくれ、と正式な結果が出たらそう言うかも知れない。
2002年08月09日 01時35分13秒

8月6日 〜海〜
 家人と海水浴に行ってきた。福吉と言って我が家から電車で30分くらいのところにある海水浴場だ。大して調べもせず、無料で配られているタウン誌を参考に、そこに決めた。

 電車は西のほうに向かい、景色は徐々に自然色豊なものに変わりつつあった。車窓からは濃灰色から明緑色まで様々な色の山々が見え、時折民家や眩しい緑に覆われた田園が通り過ぎていった。
 電車で数十分移動しただけで、景色がこんなにも違うとは、都会では想像しにくい。

 目的の駅に着いた。私達はどちらに向かえばいいのか解らなかった。案内も看板も何もないのだ。
 たまたま同じ海水浴場に行くと思しき女子高生がいたので、後を付いていく事にした。
 ほどなくリゾートホテルのような建物が現れた。「福吉リゾートホテル」とある。
 タウン誌にはこのホテルが海水浴場を管理している、とある。
 私達は海水浴場への入り口を探した。それらしきものは無い。
 「まさか、このホテルに金払って入るんじゃないだろうな」私は首をかしげながら呟いた。
 ホテルのフロント(といっても銭湯の番台みたいなところ)に行くと、「海水浴ですか」と聞かれた。うなずくと一人1600円です、と言う。金取るんかい!と思ったが、ホテルにある露天風呂にも入れると言う事で、渋々金を払った。
 私は今まで海の家を利用した事が無い。勿体無いからだ。しかもこんなシステムの海水浴場にお目にかかったことが無い。

 そんなこんなで、2人で3200円も払って、ビーチにたどり着いた。
 人が少ない。全部で30人くらいか。いくら平日とはいえ、夏休みだぞ。やっぱりみんなこんなとこには来ないんだ。タウン誌に騙された。
 とはいえ海はきれいで、エメラルドグリーンとまでは行かないが、太陽の光に水が様々な色彩を放っている。湘南や三浦海岸ではあり得ない色だ。透明感のある水は底の砂を細部まで映し出している。綺麗だ。思わず呟いてしまう。
 遠くに薄ぼんやりした濃灰色の陸地が見える。そこからこの綺麗な海岸までを明るい海が渡っている。水面は夏の日差しを反射してキラキラと輝き、光の河を作っている。

 浜辺に陣取り、寝転んだ。私はほとんど太陽を浴びていない体をじりじりとした夏の太陽に任せた。

 途中にわか雨が降ったりしたが、日光浴したり水遊びしたりして、日常から離れた空間は私を癒してくれた。

 4時になって帰り支度を始めた。せっかくだからとホテルの露天風呂に入り、久しぶりの湯船を楽しんだ。

 肩や背中が日焼けで赤くなりひりひりする。活字に埋もれた生活から脱却した一日だった。
2002年08月07日 22時46分35秒

8月5日 〜最近の私〜
 昼前に起きて、洗顔し新聞を取りに行く。
それから飯を食って新聞を隅から隅まで読む。
 トイレに行って用を足しながらトイレに置いてある本を読む。今は「日本語誤用・慣用小事典」を置いている。
 それから書斎に行き、パソコンを立ち上げてメールなどをチェックする。ここまででざっと1時間くらいか。
 
 少し前はここで小説を書き始めたものだが、最近は何冊か本をベッドに持っていき、寝転びながら本を読んでいる始末だ。傍らには「広辞苑」「漢和辞典」などを置いて、解らない言葉や疑問に思った事柄などをすぐに調べられるようにしている。

 こんな調子で、他人から見れば夏休みの読書を楽しんでいるかのような時間を過ごしている。

 二冊くらい読むと夕方になっている。書斎に戻り、ハムスター供に餌をやったり、巣箱の掃除をしたりする。それからシャワーを浴び、すっきりした頃に家人が帰宅して、夕食の準備をして、その後食す。

 食後は酒を飲みながら、興味を引くテレビがあれば観て、なければリビングで本を読む。

 後は寝るまで何かを読んでいる。家人が寝た後は、私もベッドに移り寝るまでそれをしている。

 読書三昧である。本の内容は様々で、小説はもちろんの事、評論、教養、論文たまに漫画と言って感じだ。目と肩が異常に疲れるが、何かを吸収しているようで充実している。

 暇で好きな事してるだけじゃないか!と言われればその通りなのだが。しかし決して無駄な時間ではないだろう。

 こんな生活は今しか出来ない。但し今だけであって、数日後には書きまくる生活に戻る予定である。

 
2002年08月07日 20時44分50秒

8月4日 〜戦後生まれ〜
 私はもちろん戦後の生まれである。戦争など良く知らない。平和にどっぷり使ったのんきな男である。

 私はこの国に生まれて来てよかったと思っている。平和で経済大国で緊張感の無い国に。
 しかしそれらは全て我々の先祖や前世代の人々の屍や努力によって作り出されたもので、我々の世代はその上に生きているだけである。

 私は先の戦争の是非をここで論じるつもりはない。その事に関してはいずれ考えをまとめたい。

 戦後生まれ初の芥川賞作家である、中上健二の「岬」を読んだ。
 はっきり言って面白くなかった。訳の解らない私小説で、まさに「純文学」であった。
 面白くないと書いたのは、単純にそう思っただけで、途中で放り投げだしたくなるような駄作であると言う事ではない。
 その視点、比喩、構成、表現どれを取っても考えさせられるものだった。
 しかし如何せんこの時代の、というより日本の純文学はスケールが小さい。
 そんな事どうでもいいだろ!と突っ込みたくなるようなものが多い。
  
 偉そうに批評するのは一読者としての特権だから、いいだろう。そう思ったからしょうがない。もちろん私にこんな素晴らしい作品は書けないが。だから純文学なんだろうけど。

 意味不明になってしまった。
2002年08月06日 23時06分20秒

8月3日 〜肉体〜
 朝6時くらいに息苦しくなって目が覚める。夜中の3時くらいに寝ているにも拘らず。喘息みたいに咳き込み苦しくなるのだ。

 仕方ないので起きる。まだ眠いのだが寝ようと思っても寝られないのだ。
 新聞を取りに行き、家人が寝ている横で読む。起きてからはそれは無い。気管支炎でも起こしているのだろうか。一体なんだろう。

 気まぐれに鼻毛を抜いてみる。たまにそれが白い時がある。私の頭髪は大分薄くなり(見た目ではあまり分からないが)白髪もある。頭の白髪は2〜3年前からあったのだが、鼻毛は最近発見した。ひげに発見する事もある。一体なんだろう。

 腰痛がひどい。机に座るとすぐに腰を伸ばしたくなる。一体なんだろう。

 近視が進んだような気がする。夜になると良く見えない。この前検査してもらったのだが、今かけているメガネの度はあってると言う。一体なんだろう。

 朝、健康な男性に見られる朝立ちがない。
一体なんだろう。あっこれは結構前からだった。これはいいや。(よくないだろ!)

 これらが急に私に襲い掛かってきた。これが老いというものなのか。
 最近頭は使っているが、肉体は使ってない。それに起因してるのだろうか。
 それにしてもこのままじゃいかん。

 「健全なる魂は健全なる肉体に宿る」と言ったのはローマの風刺詩人、ユウェナリスだが、私も元の健全なる肉体に戻して、健全なる魂を宿したいものだ。
 
 (ここで誤解されたくないので、少し説明させてもらう。「健全なる肉体」とは何も健康体であるとか、健常者であるとかと言う意味ではない。これだけだと、病人とか身体障害者には「健全なる魂」は宿らないのか、と言う事になってしまう。つまり私が思うに「健全なる肉体」とは自らその肉体を堕落させたり、粗末に扱う事による「不健全なる肉体」と相対するものであると言う事ではないか。
 解りやすく言うと「健全なる肉体」とは、病人とか身体障害者を除外するものではなく、誰もが持っているもので、それを自分の意思で堕落させたり、粗末に扱うと「健全なる肉体」ではなくなるという事だ。)

 
2002年08月04日 19時22分41秒

8月2日 〜2分の1〜
 駅から商店街を抜け大通りにぶつかる手前にその店はあった。看板の文字は「道場破り」とある。夏の夜だというのに、入り口の戸は開いていた。暖簾を手でかき分け覗いてみると酔客で満員だった。

 店の女将さんらしき人に尋ねると、少し待てば入れる、と言う。私達2人は待つ事にした。

 辺りを見渡してみた。店の真向かいにはコンビニエンスストアがあり、左隣にはたこ焼き屋があった。初めて見る風景のようだった。

 やがて女将さんに呼ばれ、私達は中に入りカウンターの1番奥に陣取った。
 「生ビール2つ」
 店の中には女将さんと主人とアルバイトの若い男性が焼き鳥の煙の中でせわしく動いていた。

 私は泡が底からひっきりなしに立ち上がっていく麦色の液体が入ったジョッキを右手で持ち、隣のMと乾杯をした。
 客の顔ぶれを観察してみると、入り口付近に若い女3人、カウンターの真ん中には労働者風の中年が4人くらいいた。

 2人ともジョッキが空になった。私達は麦焼酎のボトルを頼んだ。「道場破り」という銘柄だった。
 「久しぶりなんだが、よく覚えていないんだ」
するとMが「俺なんて1回しか来てないからなあ」

 私は18年くらい前、1年間だけここいらに住んでいた。大学受験に失敗し、ある予備校に通っていた。その寮がこの街にあったのだ。そこから私は予備校に通っていた。いや実際は通っている振りをした。

 寮は厳しかった。予備校の授業のある日は必ず朝から寮を出なくてはならなかった。
昼間に寮監が各部屋を見回り、部屋にいようものなら厳重に注意をされた。
 夜は8時頃点呼があり、その時間にいないと始末書を書かされた。
 浪人の予備校生なのだから当たり前なのだが、私はうんざりしていた。

 不良予備校生だった私は、夜中に鉄条網が張りめぐらされた塀を飛び越え、よく飲みに出歩いていた。
 その頃通っていたのが、この「道場破り」という焼き鳥屋であった。
 この店は私が監獄と呼んでいた寮に入った年にオープンした。まだ酒の飲み方もよく知らない若造だった。
 ここである程度酒の飲み方を知ると、焼き鳥屋だけでは物足りなくなり、私は九州最大の繁華街、中洲に足を向けるようになった。
 今では廃れつつあるキャバレーのようなところにもよく行っていた。何故浪人生のくせにそんな金があったかというと、昼間予備校にも行かず、パチンコばかりして、それで稼いでいたからだった。

 焼酎のボトルが空になった。
 「おあいそして」
私は18年前と同じ人であろう女将さんに言った。酔いも手伝ったのだろう、私は勘定をしている女将に「ここって18年位前からありますよね」と聞いてみた。
 「ええ、そのくらいですね」
 「やっぱり。私18年前によく来てたんですよ。前の道路の先にあった予備校の寮にいたんです」
 女将は今までとは打って変わった表情で、
「ええ?早く言ってくださればよかったのに」
 「また来ますよ」
 私は女将に名前を聞かれ、それに答えると、最後に聞いてみて良かったと思いながら
店を後にした。

 −18年ぶりか、今の人生の2分の1だな。
 私は1年間寮にいて、それから東京に行った。そうして18年ぶりにまたここにいる。
同じ街に立っていてもあの時とは何もかもが違う。思い出だけ変わらないか。いやそれとて徐々に風化して、変化していくのだろう。

 私は18年前と違う方向に向かって歩き始めた。
2002年08月04日 18時18分29秒

8月1日 〜夏バテ〜
 今日から8月である。早いものだ。
例年の私なら汗水たらして働いている頃だが、今年は涼しい室内で売れそうも無い小説をせっせと書き溜めている。

 運動してない、家人以外とほとんど会話していない、だからか体がおかしい。変調をきたしている。異常にだるいのだ。

 単なる夏バテならいいのだが、やはり強靭な精神力がないとキツイなこの環境は。

 だからと言って人恋しいと言う訳でもないのだが。活字書いたり読んだりばかりしているからかな。娯楽がないのだな。テレビもあまり見ないし、楽しみと言ったらナイトキャップくらいか。

 遊び呆けるわけには行かないが、何らかの楽しみがないとやっていけないよ。
 この世の中には楽しいことなんか何も無いという人は多いかもしれないがね。

 明日はMと飲む。18年くらい前に通っていた予備校の寮があった所でだ。私はその寮に一年間住んでいた。たまに夜、寮を抜け出して飲みに行っていた飲み屋がまだあるらしい。

 ノスタルジックな気分に浸りながらリフレッシュしよう。
2002年08月02日 16時02分07秒

7月31日 〜腰痛〜
 腰が痛い。少し前にもそういう症状があったのだが、ここ1週間ばかしは出ていなかった。机に向かってキーボードばかり叩いているからだろうか。

 落ち着かない。むずむずして痛い。机に向かいたくない。すぐに腰を伸ばしたくなる。ベッドに寝転びたい。

 子供達に混じってラジオ体操でもしようかな。
2002年08月02日 15時36分26秒

7月30日 〜他人に迷惑をかけなければ何をやってもいいのか?〜
 「誰にも迷惑かけてないからいいじゃん」と言う若者(馬鹿者)が多い。
 
 例えば援助交際はどうだろう。(私に言わせれば単なる売春だが)
 
 まず彼女らは、未成年である。援助交際は男にだまされる危険、病気や妊娠の危険、暴力を受ける危険に晒されており、それらを回避、解決できる能力がない。つまり自己の責任において、成し得ないという事。いざと言う時の責任も取れずに「迷惑かけてないから」の主張は成り立たない。迷惑をかける危険性があるのだ。

 また、未成年であるがゆえに、視野が狭く、社会的能力がない。そういう彼女らの援助交際するぞという自己決定には信用が置けない。「迷惑かけてない」と言う思い込みに信頼性がない。

 「迷惑をかけてない」と言う事は、その行為に正当性があり、自信があると言う事だろう。それならば親や友達(援助交際をやってない)に知られてもいいのだろうか。

 「迷惑をかけない」とは、行為そのものが法律に反しているとか、目に見える形で他者に被害を与えないと言う事以外に心理的、情緒的にも被害を与えないと言う事だろう。
 心理的不快感も与えるなと言う事だろうか。

 「買う大人が悪い」と彼女らは言う。確かにそうだが、それこそ自己決定が出来てない証拠であろう。買う大人がいる、と言う事に問題を摩り替えているのだ。

 援助交際だけではない。あらゆる事に言えるのではないか。我々は一人で生きているのではない。あらゆる人間関係の中で生きている。楽しい関係ばかりではない。嫌になる関係もある。その中においては「迷惑かけない」と言う行為は「人間関係を毀損しない」中でしか成り立たないのだ。
2002年08月02日 15時24分26秒

7月29日 〜惰眠〜
 けたたましい音楽に起こされた。枕もとの時計を見ると、朝の7時だった。
 聞きなれた音楽はラジオ体操のものだった。
 そうか、今は夏休み。朝のラジオ体操か。
普段なら睡眠を妨げられた事に苛立ちを覚えるのだが、小さな子供達の元気そうな姿を思い浮かべると、我慢しようかと言う気にさせられた。

 しかし相当近くでやっているようで、音楽も子供達のざわめきもはっきりと聞こえる。
恐らく私のマンションのはす向かいの駐車場で、やってるのだろう。

 私は子供の頃あまり、このラジオ体操に参加しなかったような気がする。
何故だろう。その時から早起きが苦手だったのか。いやそんなこと無いな。平日でも休日でも7時から8時の間には起きたはずだ。
 だとしたら単に面倒くさかったのだろう。

 ラジオ体操が終わった。しかし子供達は朝の戯れがうれしいのか、いつまでもはしゃいでいる。こんな調子がこれから夏休みが終わるまで続くのか。ややうんざりだが、子供達の元気な姿は見ていて気持ちがいいものだ。

 私にもああいう時代があった。朝は早くから起き、辺りが暗くなるまで元気に遊びまわった時代が。その時は感じなかったが、爽やかな充実感があった。

 今ではどうだろう。夜遅くまで起きていてゴソゴソと何かをやって、酒を飲んで寝て、昼過ぎに起きる生活。爽やかさとは正反対の生活だ。

 何か惰眠を貪っているみたいで、朝からラジオ体操をする子供達や、朝から働いている人たちに申し訳ないような気がした。

 
2002年07月30日 19時32分20秒

7月28日 〜幼稚園〜
 私は子供の頃、福岡の金山幼稚園と言うところに通っていた。
 金山団地に住んでいたから金山幼稚園であった。大昔なので記憶は定かではないが、そこに2年間通っていた事は覚えている。

 今でもあるのだろうか。幼稚だから幼稚園。当たり前の事だが、大人になっても幼稚な人は大勢いる。
 家人もその1人であろう。

 昨日私達は婚姻届を風変わりな中で提出した。その帰りに妻としての心構えを説いた事は昨日の日記で述べた。
 妻としてどころか人間としての心構えを、まず説くべきだったと深く反省している。
 家人は30歳である。しかし中身は幼稚園並みだ。ここまで読んだ人は「もう夫婦喧嘩したのか」とお思いだろう。
少し違うのだな。喧嘩というより呆れたと言ったほうがいいだろう。もちろん私がだが。

 思慮が足りないのである。同じ事を何度も言わせるし、また大人の女性がしないであろう事を平気でする。
 女は愚かである、と言うのは私の考えであるが、それの上をいくのだから怖い。
要するに幼稚なのだ。
 幼稚さが可愛い時もある。しかしそれだけでは駄目だ。人の気も知らずに、いや知ろうとすらしない。

 私が悪いのだな。期待しすぎた。過度な期待をしてそれが叶わないと、怒りと落胆につながる。こんな馬鹿とは思わなかった。

 家事全般はまあ期待通りにこなしている。
如何せん幼稚すぎる。このまま諦めて暮らせばいいのか、それとも大人になるのを待てばいいのか、あるいは早くも違う届出を出せばいいのか。

 何があったのか訝る(いぶかる)人もいるだろう。
昔書いた「言わずもがな」な事を口走ったのだよ。いや「言わずもがな」というより「言っちゃいけないこと」かな。

 私は女と付き合ってこんなに呆れた事はなかったかもしれない。そういう女と結婚したんだから不思議である。

 今日は書斎で寝ようかなと思っている。
ある意味新婚2日目であるにもかかわらず。
 家出しようかな。私の家なのだが。    大体小娘の癖に私に逆らうなんぞ46億年早いわ!
2002年07月29日 01時51分42秒

7月27日 〜祝入籍?〜
 婚姻届けを提出しに家人と市役所に行って来た。
今日は土曜日である。窓口は閉まっている。
その事は事前に分かっていた。

 市役所に到着した。警備員に出せばいいらしいのだが、警備員室が分からない。市役所を1周するも、それらしきものが無い。
 どうなってるんだ?不親切だな、正面玄関にー御用の方はこちらへーとか張り紙くらい張っておいて欲しい。

 婚姻届の見本に電話番号が書いてあったので、電話してみた。
すると、警備員らしき人が出て、入り口を教えてくれた。何のことは無い、正面玄関の横のドアが開くようになっていた。
 非常に分かりにくい。改善すべきだな。
張り紙一つでいいのに。やる気の無い証拠だ。
 
 とにもかくにも、そこから中に入ると、左手に管理人室というものがあった。
 「あそこらしい」
私と家人はそこへと向かった。
 ドアは開けっ放しで2人の老人が横たわってテレビを見ている。
 何て緊張感のないところなんだ。
 「あのう、婚姻届はこちらで受付してくれるのですか」
 「そうですよ」
やはりここか。入籍と言う晴れ舞台を何だと心得ているのか。
 まあいい。婚姻届けを出した。
まるでそれらしくない、あっさりしたものだった。
 
 日付は7月27日だが、正式な処理は29日の月曜日だろう。
 何はともあれ、これで正式な夫婦だ。
4月から一緒に住んでいるので、大した実感は無いな。

 帰り道、妻としての心構えをこんこんと教えてやった。
 頑張るのだぞ。

 夕方から、私の両親と妹夫婦が遊びに来た。大宴会の始まりだ。

 したたかに飲んだ。

 これから二人で力を合わせて頑張っていきたい。

 今日からお祝いの受け付けを開始するから、皆の衆宜しく頼むぞよ。
2002年07月28日 23時38分26秒

7月26日 〜いよいよなり〜
 独身最後の夜である。今日は静に酒を飲んでしみじみしよう。
2002年07月28日 23時15分49秒


7月25日 〜だから英会話ができないのだ〜
 夜ニュースを見ていると、ん?と思う事があった。

 ある肉屋さんが、スーパーで売っている肉の不正表示を暴いて回ると言った特集をやっていた。
 普通の人である。農林水産省や厚生省のお役人様でも何でもない。
 未だに不正表示は後を絶たないみたいで、その肉屋のおじさんが訪れるスーパーの6割がやっていた。

 おじさんが指摘すると、大体が慌てふためくもののお役人様でも何でもないので、指摘し注意する事しかできない。

 やれやれと思っていると、テレビ局の人がインタビューをしているシーンが流れ始めた。
 「未だに不正表示があるみたいですが、どう思われますか」
 何人かに聞いている。
あるメガネをかけた主婦がこう答えていた。
 「最近問題になってるので、大分改善されたかと一抹の期待はあったんですが」
 「一抹の期待」?何かおかしい。
 「一抹の不安」ならよく聞くが。
 私は広辞苑で調べてみた。こう書いてあった。
 ?@ひちはけ。ひとなすり。?Aちょっとしたもの。いくらか。多少。「ーの不安」

 これだけではよく解らない。「一抹の期待」でもいいのかなと思ってしまう。
 しかし私の経験では、こんな表現はないように思える。
 念のためパソコンに入れてある学研漢和大辞典で調べてみた。
 ?@おしろい・絵の具などを、少しぬること。
?A《日本語での特別な意味》悲しみ・不安などが、ほんの少しあること。▽「一抹の」の形で用いる。

 おおこれだ。なるほど、やはり期待とか希望とか言ったいい意味ではなく、悲しみ、不安とかの悪い意味で使われるみたいである。

 分厚い広辞苑ですら、そこまでは言及していない。改めて日本語の難しさを痛感した。
 
 言葉とはやはり単語の意味だけ覚えるのではなく、表現方法や使われ方を覚えないと身に付かないようだ。
 単語を知っていても英語が話せないように。
2002年07月26日 19時35分14秒

7月24日 〜初めての冒険〜
 家人が休みだった為、部屋の大掃除を敢行した。私は粗大ゴミ扱いで、色々な所に追いやられつつ、結局何もしなかった(手伝おうとはしたんだぞ)。

 夕食を取ってくつろいでいると、家人がたまにはハムスターどもと遊びたいと言う。
 それで私の書斎でジャンガリアンのリュウをケージから出してやり、散歩させたのだ。

 私は家人に任せて机に向かったり、歯を磨きにいったりしていたのだ。
 すると突然「リュウがいない!」と家人の悲鳴が聞こえてきた。
 見に行くと唖然とした。
 部屋の外に出られないようにドアの隙間を塞いでいる物が、つま先の開いているスリッパなのだ。
 当然隙間がある。
「こんなものじゃ意味ないだろ!」
 書斎から脱走したのだ。私のマンションは広い。探すのは大変である。しかも暑いので部屋中のドアと言うドアは開けっ放しである。手の届かない隙間に入り込んでいたらお手上げだ。

 しばらく2人で探し回った。家人は事の重大さに泣きそうである。
 私はいつかは見つかるとは思って冷静ではあったが、厄介な事になったと感じていた。

 数十分探し回った。どこに行ったのか姿を現さない。
マンションの外には行ってないはずだ。
冷蔵庫の下か、ベッドの下か、ソファーの下か、洗濯機の下か・・・・いない。

 半分諦めかけ、私はもう1度書斎に戻った。目の前を白い物体が横切った。
「いた!」
脱兎の如く逃げようとしているリュウを、私は構わず右手で強く鷲掴みにした。
「おーい、捕まえたぞ」

 どこにいたのだろう。やはりハムスターも帰巣本能があるのだろうか。
 恐らく初めて見たであろう風景に戸惑って、いろんな所を駆けずり回った挙句に、見慣れた風景で、馴染んだ臭いのある書斎に帰ってきたのだろう。
 家人は半泣きで「ごめんね」とリュウに語りかけている。
 「楽しかったんじゃないか」

 初めての冒険に人間も本人も慌てふためいたみたいだな。

 
2002年07月25日 19時36分33秒

7月23日 〜浅田次郎〜
 「鉄道員」を読んだ。いまさらと思われるかもしれないが、そうなのだから仕方が無い。
 数編の短編が単行本に収録されており、寝る前の数時間を読書に当てて、2日で読み切った。

 確かに面白いが、リアリズム小説という観念から言うと、おかしな点だらけの小説だ。
 一言で言えば「ずるい」。
 読者の泣きのつぼを心得ており、それを惜しみなく発揮している。
 現実にはあり得ない話の連続なのだが、小説だからいいのか。エンターテインメントとして考えれば、十分楽しめる。

 私は浅田次郎の小説を読む前から、競馬ライターとしての浅田次郎を読んでいた。
 いや競馬ライターではなく、ギャンブルライターとでも言おうか。
 そこでの彼は、非常識でまっとうでなく、裏の世界の人間といった風情であった。
 それが人を泣かせる小説を書くのだから面白いものだ。

 私もギャンブルで身を持ち崩した人間として、いい物を書けないかな。今ではすっかりギャンブルから足を洗ったけど。
2002年07月24日 14時09分08秒

7月22日 〜深夜〜
 久しぶりにハローワークに行ってきた。
基本手当てをもらう為のポーズであるが。

 よって久しぶりに早起きした。といっても
8時だけど。

 今日の行動によって初めて失業手当が出る。2週間分で10万強だ。
 これから5ヶ月出る予定だから、100万くらいかな、総計。

 関係ないが今は23日の午前3時くらい。
暑い。昨日の午後9時くらいから飲み始めていたからやや酔っている。
 
 無風でじっとりとした熱気が体を包んでおり、さらに酒のよるほてりが倍層させている。

 家人はもちろん寝ている。俺だけが何故か深夜の帳を潜り抜けてこの日記を書いている。

 静だ。いや遠くから乾いた雑巾を絞り込んでいるような何かの泣き声が聞こえる。

 私はウイスキーにアロマティックビターを数滴垂らしロックで飲んでいる。
 暑いからか氷が解けるのが速い。

 今飲み干した。さて足してくるか。

 冷蔵庫から氷を取ってきてグラスに放り込み、寝室に置いてあったウイスキーのボトルを注ぎ足した。家人のあられもない格好が視界に入ったが、よく寝てるなとしか思わなかった。

 大分酔ったみたいだ。早く寝ろよと言う自分がいるのだが、体が動かない。
 酒を飲む行為が変わった。喉に流し込んでいたのがすする様になってきた。

 深夜の静けさは孤独を感じさせる。今この時間何人の人が活動しているのだろう。
 大勢の人は明日と言う未来の為に体を休めているはずだ。
 
 深夜と言う古来から人々が休息に当てた時間を私は何故今、夜しか活動できない下等動物みたいにもがいているのだろう。

 それは多分私が、実生活の厳しさを知らないからかもしれない・・・

 いや忘れたからかもしれない。
 何故か深夜はそういう事を語らせる。
 
2002年07月23日 03時13分26秒

7月21日 〜本読みすぎかな〜
 九州地方も梅雨明け宣言された。これから本格的な夏の到来である。

 夏と言えば「夏休みの友」。既に縁の無いものであるが、今でもあるのだろうか?
 子供がいる人は教えて欲しい。

 1学期も終わり楽しい夏休み。しかし1つ問題があった。そう宿題である。
 私なんかは夏休みに入ると友達数人と集まり、出来る限り宿題を済ませようと思ったものだ。そしてある程度まで進むと遊び出す。
 そして、夏休みが終わろうかと言う頃、残りが結構あることに気付いて焦り出す。
 それの繰り返しだったかな。

 それとは別に読書にも勤しんだ。これは自発的だ。その頃は名作と言われていた作品、例えば「夏目漱石」「森鴎外」「太宰治」「川端康成」などを読んだものだ。
 その中でも「夏目漱石」は子供心にも面白かったのを覚えている。太宰や川端は難しく感じたものだ。やはり明治の頃は、読者のレベルの合わせていたのか、それとも小説と言うものがまだ確立されてなかったからか、結構平易な文章であったような記憶がある。

 それはともかく、今日も本屋に行ってしまい何冊か本を購入してしまった。
 それはいいのだが、書くほうもしっかりやらんと。書くほうと読むほうに割合は、今1対9くらいになっている。(本当に作家になるつもりかね)

 書きすぎじゃないのか?と言われるくらいにならんとなあ。家人なんて昼間の私を見てないから、夏休みを満喫してると思ってるんだぜ。そりゃないよな。
 こら!確かに会社にも行かず、収入もないが夏休みとは何事じゃ!こんなウキウキ感の無い夏休みがあるか!

 読んだ本がそのまま身になって、書くほうの技術に結びつくようだと良いんだが。
 そして「オール読物新人賞」に投稿だ!
 
2002年07月22日 20時58分37秒

7月20日 〜何の日?〜
 今日は土用の丑の日であり海の日でもある。
 暑さにバテ気味の体を癒す日だ。(何にもしてないのにな)

 今年は海水浴に行くだろうか。昨年は江ノ島などに2回行ったが、2回共曇り空で、日に焼けず「白い夏」であった。
 まあビキニの女達を見て目の保養にはなったが。

 しかし海水浴は疲れるのだな。子供の頃と違って泳ぎに行くというより焼きに行くのだが、太陽の下でビールをがんがん飲み、寝転がる。それはそれで気持ちいいのだが、帰りがだるい。そしてそのまま飲みに行く。
 翌日はぼろぼろである。

 部屋に閉じこもり、外出と言ったら本屋。
こんななまっちろい生活をしているから、色も白い。腹も出ている。このまま海水浴に行っても、情けない気がするな。
 だだっ広いバルコニーでサマーベッドに寝転びながらビールでも飲んで下地作りでもするかなあ。

 夕食にはかねてからの希望通り「うな丼」が出た。久しぶりに食べたような気がする。
 精もつけた事だし、さて何をしようか。
2002年07月21日 15時20分45秒

7月19日 〜腹〜
 私の自慢の一つに「スリムでシャープなボディ」というのがある。

 高校時代から体形が変わってないのだ。
170センチの57キロ。これが私の体形であった。

 無論昔と比べて筋肉は落ち、脂肪が増えているが、見た目では変わらなかった。

 しかし福岡に来て4ヶ月、脆くも私の誇るべき体形は崩れ去ってしまった。
 腹が出てきたのである。

 原因は解り切っている。
 1.まともなものを食べている。
 2.酒のつまみが増えた。
 3.運動をしていない。

 特に2だろうな。
 私は酒を飲むときほとんどつまみを取らなかった。しかし今では大体食している。

 これは昔なら自分でつまみを用意しなければならなかったのに、今では「つまみ用意してくれ」と家人に言うと自動的に、旨そうなつまみが出てきてしまうからだろう。

 う〜む。中年体形になるのだけは避けたい。今日からつまみ禁止令を発動するかな。

 
2002年07月21日 15時01分31秒

7月18日 〜とんでもないメール〜
  先日私にあるメールが突然送られてきた。
それはこういう内容だった。

「作家を目指している事や、福岡にお住まいとの事で突然メールを差し上げました。
友達になって下さい」

京都に住んでいるという同年齢の男性からだった。
 私はこのホームページをたまたま見た人からのメールだと思い、丁寧に返事を書いた。
 すぐに返信が来たのだが、そこには私の本の読み方や、文章修行の方法への非難が書かれていた。

 なんかムカつくなあと思いながらも親切心からきたアドバイスかな、と思ってしまい、これからもご意見等があったら宜しくお願いします、と低姿勢を貫いたのだよ。

 そしたら何て返事が来たと思う?
「文章修行なんて重いですね。貴方が文章修行してる、なんて書くからですよ。貴方が悪いんですよ。もっと軽く考えましょうよ。」だと。

 こらあ!わしが作家を目指してるというのに共鳴して勝手にメール寄越したのと違うんかい!それが何だと?こっちが下手になりゃいい気になりやがって。
 それから延々と自分の好きな作家の事や、今まで読んだ本の感想などを書き連ねてるのだよ、こいつは。意味が解らんわ。

 まあ変な奴だなと思い返事を出さなかったら、あるメールマガジンに
 「メル友募集!当方京都に住んでいる男性です。うつ病とC型肝炎を患っており、仕事も出来ず友達もいません。どなたか友達になって下さい」
と書いてあったんだよ。ハンドルネームに見覚えがあったので、確認してみるとアドレスが例の失礼な男と同じではないか。
 「あっあいつだ!」
おいおいうつ病かよ。それであんな失礼で訳の解らないメールを寄越したのか。

 別にうつ病だからとか、どうこう言うつもりもないが、びっくりしたよ。
 哀れでもあるし、友達になってもいいいが、勝手にメール送ってきて、勝手に非難して、勝手に自分の事だけ書く奴とはどうかな?と考えたのも事実だ。

 病気はしょうがないが、それを盾に失礼菌をばら撒くのはやめろ!と言いたい。
 
2002年07月19日 20時01分33秒

7月17日 〜またしても〜
 昨日は結局日記を書いた後、家人達と食事に行ってしまった。近くの居酒屋にしたので、私は飲んだがね。冷酒を結構飲んだので痛飲と言えば痛飲かな。

 独身最後の夜を気取ったのはいいが、結果的にそうはならなかった。
 と言うのも家人の仕事が長引き、今日入籍できなかったのだ。
 延期だ。
 もう結婚しているような物だから急ぐ必要は無いとは言え、一体いつになったら入籍できるのだ?

 家人はそんな事お構いなしに寝ている。
「30分だけ寝ていい?」
と聞くから「いいよ」とは言ったものの既に1時間以上寝ている。まあいつもの事だ。

 私は久しぶりにスコッチをロックで飲んでいる。
 いつもと変わらない1日だった。
2002年07月17日 23時26分00秒

7月16日 〜最後の晩餐〜
 エアコンの効いた寝室で文学の世界に浸ろうかと思いシャワーを浴びてすっきりしてきた。

 その時大変な事に気付いた。私達は明日婚姻届を出す予定なのだ。
 と言う事はだよ、今日は独身最後の日ではないか。何と言う事だ。肝心な事を忘れていた(明日入籍する事ではなく、今日が独身最後の日であると言う事)。

 私の長年の夢、そう独身最後の夜は男友達たちと痛飲すると言う夢をすっかり忘れていた。(夢か?)

 自由奔放な日々、自堕落な生活。
 大空を羽ばたく鳥のようだった私は明日を以って鳥籠に入れられてしまった哀れな鳥になってしまう。
 それとも草原を走り回り獲物を追いかけていた私は、牙を抜かれた虎のようになってしまう、の方がいいかな。

 今家人から連絡があった。係長(家人の女上司)とM子と一緒に夕食どう?と言う。
 男銀次郎37歳、何で独身最後の夜に女に囲まれて飯食わなきゃいけないのだ!
どうしようか、このままだと独りで独身最後の夜を過ごさなければならない。
 恐らく家人はその事を忘れているだろう。
 酒を飲むのならともかく飯だけの為に出かける気はしない。
私だけ飲んでもいいのだが、それもつまらない。

 東京だったら一声掛ければ友達が寄ってきて痛飲することも出来たのだが、ここは福岡。
 ちっ!哀れ也。独身最後の晩餐は独りで侘しくワインでも飲むかな。当初の予定通り文学の世界に浸りながら。
2002年07月16日 19時23分46秒

7月15日 〜100円〜
 姪浜と言うところにある病院に行って来た。近所の病院に行けばいいのだが、今のマンションに決める前に行ったところだから、少し遠いが二週間に一度くらい電車に乗って通っている。

 帰りにせっかく外出したのだからと、つい家からの最寄の駅を1つ飛ばして、筑前前原と言うところまで行った。

 別に何があるわけでもないのだが、ふらふらと来てしまった。
 駅の構内に100円ショップがある。そこに入ってみた。
 あらゆるものが揃っている。たった100円でいろいろなものが買える。ついぞ昔には考えられなかった事だ。

 私は店内を散策し、目ぼしい物に当たりをつけていった。
 必要ないといえばそうなのだが、私は1500円くらいの買い物をしてしまった。

 乾電池、芳香剤、竹細工の敷きマット、双眼鏡(覗きの為ではない)、ノート、ボールペン等など。
 普通に揃えたら5000円くらい掛かりそうだ。

 もちろん100円以下で買えるものも100円で売っている。そんな細かい事はどうでもいい。
 たった100円で買い物が楽しめるのだ。
人間の購買欲、物欲を刺激してくれ、満足感も与えてくれる。大したものだ。
 デフレ促進の原因かもしれないが、庶民にとってはありがたい。

 たった100円だからといって、必要ないものを買ってしまう。
 無駄に金を消費させるという側面もあるのだから、一概にデフレ促進とは言えないかも知れない。
2002年07月16日 14時17分29秒

7月14日 〜昨年は〜
 日増しに暑くなっていく。日本の蒸し暑い夏が来る。外を歩いていてふとエアコンの効いた涼しい場所に入るとホッとする。そんな季節がやってきた。

 私は以前エアコン関係の会社に勤めていた。この業界は特殊で四季の中で、その忙しさが極端に違っていた。

 夏と冬、特に夏の忙しさは筆舌に尽くしがたく、恐怖ですらあった。

 辞める前の4年くらいは、エアコンの修理技術者みたいな事をやらされていた。
 私は典型的な文系人間である。(だから作家を目指している)その私をそういう部署に配属するとは会社も相当な馬鹿であろう。

 とにかく修理や点検を主にやっていたのだ。
 夏はと言うと、当然私の仕事はエアコンが壊れている所での修理や点検である。
 暑いわ客は文句言うわ訪問件数は多いわで、3重苦であった。
 しかも客相手だから、訪問時間は限られている。早朝、深夜なんて当然駄目だ(中には深夜来い!って客もいたが)。
 限られた時間で件数をこなさなければならない。
 今日は徹夜で頑張ろう、とはいかないのだ。
 そして直さなければならない。暑いから客も我慢できないのだ。テレビとかビデオとかと違って待ってくれないのだ。
 そしてあらゆる地域を回らねばならない。
 我々はまさに虐げられた人々である。
 人間扱いされてないのだ。

 汗だくになって、なんとか1日の仕事を終わらせても、緊急だとかいって客からの要望が来る。終わりなき蟻地獄である。

 1日が終わって疲れ果てて帰宅。シャワーで汗と泥を洗い流し、飯食って晩酌、やっと人間に戻れるのだ。

 こんな地獄模様が夏の間中続くのだよ。しかも安月給。
 やってられるか!ふざけるな!この時期は所長はじめフロント(修理依頼があった客を誰に担当させるか調整する奴ら)を夢の中で何度も殺したものだ。

 やめてせいせいしたわ。

 まあやり遂げた後の充実感はあったがね。汗をかいた後の安ワインは旨かったよ。
 でも二度とやりたくないね。
私は筆1本で食っていく。
 私は元々頭脳労働者なのだ。あんな肉体労働者みたいなこと苦手なのだ。
 
 私の元の仲間は頑張っているのだろうか。
他に能力ないからしょうがなかろう。せいぜい体張って頑張ってくれたまえ(~_~)。
 
 なんてね途中から過激になったが、夏を楽しめない職種から開放された私は、海に行くでもなく、山に行くでもなく、壁に囲まれた書斎でコツコツと売れるかどうかも判らない小説を一人さびしく書いている。

 元の会社の諸君!お互い頑張ろうではないか。
2002年07月15日 21時36分09秒

7月13日 〜日の入り〜
 夏は夜。月の頃はさらなり、と清少納言も言っていたが福岡の夜は短い。
 日の入りが東京と比べて30〜40分くらい遅いのだ。
 今日で7時半くらいか。

 家人が仕事の時は、帰宅が早くて8時くらい、遅くて9時くらいだから当然夕食もそれ以降となる。あたりは暗い。

 昨日今日と珍しく家人が連休だったので、いつもより早い夕食が2日連続で続いた。
 今日は7時前だ。
まだ外は明るい。
 私はいつものように晩酌を楽しんでいた。
リビングのサッシから見える外の景色は、夕暮れでもなく、時計を見なければ、4時か5時くらいかと思わせる。
 こんな明るい自然の光が射してくる中で酒を飲むのは、何か悪い事をしているみたいで、落ち着かない。
 それと同時にそれが粋であるかのような錯覚に陥ってしまう。

 だんだんと日が落ちてくる。ゆったりとした時間が流れていく。
 些細な事だが得したような気分だった。

 我々人間が休息の時間に入る頃、ハムスター達は活発に動き出す。
 今日は3匹共部屋に放って遊ばしてやった。普段はあまり使っていない通称洗濯部屋でだ。
 うれしいのか怖いのか、すばしこく部屋中を走り回っていた。

 我々の日の入りが彼らの日の出なのだ。
大きな時間のズレはあるが、彼らも太古の昔から、その生活リズムでやってきたのだろう。

 私は家人が寝た後、BS放送で「青春の門〜筑豊編」を朝の4時半まで観てしまった。
 私だけが勝手気儘に時間を使っている。
良いのか悪いのか。う〜ん、まっいいか。
2002年07月14日 17時45分56秒

7月12日 〜映画〜
 夕食に天ぷらを食べながらテレビで映画を2本観た。
 1つは「プリンスオブエジプト」。
ミュージカルアニメとでも言うべきもので、はっきり言って面白くなかった。
 日本ではこういうのは受けない。

 もう1つは「スターウォーズ エピソード1」。
 これは理屈ぬきに面白かった。前3部作から20年くらい経ってるのかな。昔初めて「スターウォーズ」を観た時はあまりの凄さに声も出なかったが、あれから20年、もちろん特撮技術は格段に向上しているものの、あの時の感動、驚きはさほどなかった。
 これが年を取ると言う事なのか。
 大体の事は経験済みで、目新しい物に遭遇しても、どこか冷めている。
 
 毎日が驚きと感動に満ち溢れていた子供の頃とは違う。
 生活に追われ、生きる事の辛さに汲々としている。

 趣味がある人はまだいいかもしれない。
私の趣味は読書くらいか。これは確かに感動や知識をもたらすが、なにかこう、外に発散するとか、趣味を共有できる友人が出来るとか、その道を究めるとか、そういう事と無縁の趣味だから、生きがいにはならないような気がする。

 そんな事無いな、本で何かを得た人もいるだろうし、感銘を受け生き方が変わった人もいるだろう。
 つまりこの場合の生きがいとは、自分で何かを作ったり、究めたり、積極的に動く事による満足感とでも言おうか。
   
 読書を趣味と言うのは少し違うのかもしれない。だとすると私には趣味と言えるものがない。これは悲しむべき事だ。
 映画鑑賞もそうだろう。
 自分が積極的に参加できる趣味と言うものを見つけたいものだ。
2002年07月13日 14時37分09秒

7月11日 〜人を殺してはいけない理由〜
 書斎から見える景色の色が変わった。
眩しい色に変わった。

 たまには、若手作家の本でも読んでみるかと言う事で辻仁成の「ピアニシモ」を手にとってみた。
 すばる文学賞を取ったデビュー作である。

 変わった比喩が多く、観念的であった。
題材はありふれていたが、表現とそれに対するアプローチが確かに新鮮だった。
 純文学っぽい書き方だな。だから芥川賞取ったのか。単純に面白いかどうかで言ったら、面白くない。

 昨日生きる事の意味について考えてみた。
ではそれを奪う行為に関してはどうだろう。

 なぜ人を殺してはいけないのか。
 私は単純に「殺したくないから」つまり人間はそう出来ているからと言いたい。
 殺してはいけないのが当たり前で、それを理由付けしないといけないのがおかしい。
 そう出来てるのだ。遺伝子に組み込まれたものなのだ。「人を殺してはいけないよ」と。

 では無理やり理由を考えてみよう。
 1、自分が殺されたくないから、自分に嫌がる事は人にもするべきではない。
 こんな単純な意見では子供しか納得しないな。

 2、人を殺すと自分が壊れるから。
 これは罪の意識に苛まれるとか、罰が待ってるとかに理由から導き出せるが、それをなんとも思わない人もいるだろうから、まだ弱い。

 3、人間は共同体だ。その共同体の利益を喪失させる事になるからだ。
 例えば殺された側の悲しみ、怒りそういうものを増殖させてしまうからと言う事か。
 一見最もそうに思えるが、だからといって人が人を殺さなくなるだろうか。

 止むを得ない場合、例えば戦争。これは個人ではなく国家の問題だから除外しよう。
 
 殺さなきゃ殺される場合、これは殺したくて殺すわけじゃないから、これも除外。

 憎しみが増大し抑えきれなくなって殺してしまう場合。
 う〜ん、難しい。

 ここまで書いて、考える事の無意味さに気付いた。最初に書いたように理由なんてないのだ。いけないものはいけない。
 人の命を奪う権利は誰にもないとか、そういうことじゃなくて、生まれついて与えられたルールなのだ。

 もちろ自殺も駄目だ。自分の命だからどうしようと勝手だろ、と言う人もいるだろうが、人は人によって生かされている。だから命は自分のものではないのだ。
 生きる権利があれば、死ぬ権利もあるというかもしれない。違う!命と言うものは権利とかではない。与えられたものだ。自分で得たものではない。

 とは言うものの、論理だけじゃ割り切れないのが人間なんだよな。だから人生は面白いのかも。

 生きる意味とか殺してはいけない理由とか考えずに、与えられたものとして生と死を受け止めるしかないのかもしれない。
 
2002年07月12日 15時19分06秒

7月10日 〜生きるとは〜
 霧かと思うような音の無い雨が顔を濡らしていく。
 かと思うと突然風が前方から突き刺すように吹き、濡れた顔から雨を拭い去っていく。
 そんな一日だった。

 私の家にはハムスターが3匹いる。
それらの世話は私がやっている。大体家にいるから、自然とそうなった。今日も元気に動き回っている。たった2,3年の命とも知らずに。

 私達はふとした時に、生きる事の意味を考える。 
 絶望感に襲われた時、人の死に遭遇した時、人の生に立ち会った時、転機が訪れた時、いずれの時にか解らないが多かれ少なかれそれを考えた事の無い人はいないだろう。

 生きる事の意味とは何か。その答えは残念ながら・・・ない。
 人それぞれで違うだろうし、その時の境遇によっても違うだろう。
 とは言っても答えが見つかる人は幸せでほとんどの人は見つからない。
 死の間際に解るものなのかもしれない。

 3匹のハムスターは何も考えてないだろう。本能のまま生きている。
 「俺達の生きてる意味って何だろうな」
と考えてたら怖い。
 「ちょっと窮屈だけど、餌はくれるし、掃除はしてくれる。楽だよな」
なんて考えてたら可愛げないなあ。
 ただ毎日を懸命に生きているだけだ。

 人間だけが考える「生きる意味」。
それは毎日を一生懸命に生きて初めて、死ぬ時に解るものなのかもしれない。

 いや、そうじゃないな。今こうして生きている、その事が既に意味のある事なのもしれない。
 
2002年07月10日 22時13分45秒

7月9日 〜風〜
 昨晩は風が無く蒸し暑い夜だったが、今夜は風が全てを飲み込む津波のように押し寄せてくる。
 元々このマンションの周りは田畑が多く、障害物が無い為か風が強く吹き付けてくる。
 台風6号の影響もあるのだろうか。
 部屋中の窓を開けていると、風の道とでも言おうか、1本の道が出来上がり、私のマンションを風が次から次へと通り過ぎていく。

  風の音を「どっどど どどうど どどうど どどう」と表したのは宮沢賢治の「風の又三郎」だが、風によって穏やかな日常がかき乱されて胸騒ぎが起こる様子が何となく解る。
 私にはこんな表現は出来ないが、今夜の風の音を私なりの言葉で書き表すなら、どうなるか。
 「ヒューヒュー」とか「ピュ−ピユー」とかの擬態語は使いたくないな。
 
 冒頭の「風が全てを飲み込む津波のように押し寄せてくる」というのもよく考えてみるとありきたりな表現のような気がする。
 
 「暗闇から走り出てきた見えない獣に体当たりでもされたかのような強い風だった」
 というのはどうか。いやこれじゃ突風をイメージするなあ。今夜のとはちょっと違う。

 「川の濁流が川底の泥を巻き込み襲い掛かってくるような強い風だった」
 旨くないな。

 「空気の塊が一度に押し寄せて、それに溺れてしまいそうな強い風だった」
 どうだろう。

 「神の怒りが地球上の全てのものを、抹消させたかのような強い風だった」
 よくわからないな。

 「さまよえる霊魂が自由を求めて飛び回ってるかのような強い風だった」
 オカルトだな。

 「地上のあらゆる穢れたものを天に運んでくれるかのような勢いのある風だった」
 宗教書みたいだな。

 「耳を劈く(つんざく)轟音が(ごうおん)世界の終わりを告げているような強い風だった」
 ハルマゲドンだな。

 こうしてみれば風の比喩だけでも難しい事が解る。やっぱり最初のがいいかな。

 途中で夕食食べて今ワインを飲んでいるが、未だ風の音鳴り止まず。それと同時に蛙の鳴き声が聞こえている。
 この地は東京では聞けなかったあらゆる音が自然と耳に入ってくる。五感を研ぎ澄ませてこれらを受け止めよう。

 風のように過ぎ去って行くのではなく、人々の心に留まるような小説を残したい。
 なんてね。
 
2002年07月09日 22時34分46秒

7月8日 〜本屋〜
 雨が降っている。今日は家人も仕事が休みだ。二人でどこかに出かけようと相成った訳ではあるが、雨が降っている。

 しばらくして雨が止んだ。しかしそろそろ夕方かと言う時間である。本屋に行く事にした。

 ここから本屋は遠い。歩きだと30分位掛かるのではなかろうか。自転車での二人乗りで行く事にした。もちろん私が運転だ。
 一応裏道で行ったのだが、遠い遠い。しかも二人乗りだ、疲れたよ。
 15分位掛かったろうか。

 私は伊集院静の文庫本の新刊が出たので、それが目的だった。
 その本はすぐに見つかったのだが、久しぶりの本屋なので、他の本もじっくりと何か面白そうな本はないかと店内をくまなく回った。

 結局お目当ての本と、もう一冊雑誌を買って店を出た。
 すると再び雨が降り始めていた。結構降っており、私達は仕方なく店内で雨宿りする事にした。
 店内を回ると欲しい本がたくさんある。
しかし私は新刊や雑誌以外は、古本屋で買う事にしている。(いじましいだろ)
 30分位で雨も止み、今度は帰り道にある古本屋へと向かった。
 家人は食材等の買い物をしたいらしく、私達は古本屋とスーパーの分かれ道で別れた。

 古本屋で私は4冊ばかり買い、家路へと向かった。家人はすでに帰っており、私は読書、家人は夕食の準備に取り掛かった。

 何て事のない1日だったが、読める本が手元にあるのはうれしいものだ。
 確か堀場製作所の社長が言った言葉だったと思うが、「本屋に行き本を一冊も買わないののは愚か者である。」(ちょっと違ったかな)と言う言葉に触れたとき私は、それを実践しようと思ったものだ。
 情報と知識の宝庫、このお宝を目の前にして、手を出さないのは確かに損だよな。

 結局朝の5時まで本を読んでしまった。
2002年07月09日 18時27分05秒

7月7日 〜入籍は?〜
 今日は七夕、天の川にへだてられた牽牛星(ケンギュウセイ)と織女星(ショクジョセイ)が、この夜一年に一度だけ会える日である。

 私と家人はこの日に入籍するはずだった。しかし前にも書いたが、戸籍抄本が必要だと言う事を知らずに、この日の入籍は延期となった。(先が思いやられる)

 まあ別に二人が婚姻すると言う事が大事なのであって、日にちにこだわりはないのだあが、どうせならなあ、と思ったのだ。

 恐らく17日に入籍すると思う。少しでもラッキー7の7が入ってたほうがいいからね。
 待てよ、7+7で14でもいいかな。27でもいいな。それはともかく今月中にする予定である。

 2ヶ月ぶりくらいに、ホームページの写真を変えた。マロとロビン、姫路城での私、家人とリュウ。家人は顔は映ってないけどね。

 家人は今日と明日休み(本当は入籍の為に休み取ったんだが)ゆっくりするか。

 夜、前の会社の後輩のNから電話があった。日曜だと言うのに仕事らしい。哀れなり。
 東京は暑いのだとか。福岡はまだそれほどでもないがね。
 ピチョン君のおかげでエアコン売れてるのかな(私は元エアコン関係の会社にいた)。
 私の分まで頑張ってくれたまえ。
2002年07月08日 16時24分44秒

7月6日 〜思索の日々〜
 暇に任せてあらゆる事を考える。
時には政治、時には歴史、時には文学、時には色恋、時には夕飯、時には無。

 生活パターンが変わった。働いている時はこうだった。
 朝7時に起き、身支度して会社に向かう。
9時前に着いて、まあ仕事をする。そして夕方、まあ8時位には帰宅する。テレビ見ながら夕食とって酒を飲んで寝る。

 それの繰り返しだった。字に起こしてみると何て空しい生活だろうか。
 休日は本読んだり、出かけたり好きな事をしていたが。

 今はと言うと、昼前に起き、飯食って本読んで、物書いて、何かしら考えて、夕方になったらシャワー浴びて、家人の帰り待って、夕食食って、酒飲みながら小1時間位テレビ見て、また本読んで、考えて、寝る。
とまあこんな感じだ。

 圧倒的に考える時間が多くなった。
「人間は、1日中考えているもの、そのものである」こう言ったのはエマーソンだったっけ。

 そりゃ昔も何かを考えていただろう。しかし今は内容が違うのだ。
 思春期から大学生くらいに戻ったかのようだ。

 だから何?と言われそうだが、人間色々考えると普段思いもつかなかったような真理を見出す事があるのだよ。

 受動的だった知識に能動的な、つまり自分の考えとかの筋が明確に表せるようになるのだな。森羅万象のことに対する自分の意見と言うものが、筋の通った矛盾の無いものになるとでもいうのかなあ。

 善悪、正誤、それら相対するものを判断できる過信というものが生まれるのだよ(自信じゃなく過信)だから中途半端では怖い。
もっともっと考え、吸収し、勉強しなければと前向きになれるのだな、思索の日々によって。

 何の役に立つの?と言われたら自己満足の世界が満たされるだけかも。

 今読み返してみたら訳解らんな。やっぱワイン2本飲んでからこれ書いてちゃいかんな。

 思索というより酔っ払いの支離滅裂な戯言だよ。ベッド行こうっと。
2002年07月08日 01時28分54秒

7月5日 〜正論は時には正しくない〜
 実家にて一悶着あった。
家人のことだ。私は常々家人に意見をする。
最初は子供を諭すように言うのだが、理解しようとしなかったり、何度も同じ事言わせたり、時には家人の考え方のおかしさに腹を立てたりして大声で怒鳴りつける事もある。

 今日もそうだった。しかし妹が反論してきた。家人はそういう子だから仕方が無い、と言うのだ。私はそれでは向上しないし、家人の為にもならない、と言い返したのだが空回りであった。

 最初は普通に話していたのだが、お互いエキサイトし、論戦となってしまったのだ。
それは別にいい。時には必要な事かもしれないからだ。

 私は自分の考えをのべつ幕なしに言った。
私は論争になると徹底的に相手が参ったと言うまで、言ってしまう悪いところがある。
 論点をずらし、相手の間違いを突いて反論を展開する。もちろん頭から否定はしないが。

 それが相手に伝わらない事がある。理屈や正論は時に相手を傷つけ、ダメージを与えてしまう。
 私は信念を持ってそれを相手に求める。
もちろん相手の言い分が正しいと感じたら、撤回もする。押し付けの時もあるやもしれない。相手の事を思って言ったことでも、それが煙たがられる事もある。
 それじゃ何も言わず、苦々しい思いで傍観すればいいのか?
 あ!いかんいかん。また理屈をこね出したぞ。要するに言い方だな。
 相手のプライドを尊重し、それが失われないような言い方をすればいいのだな。

 昨日は妹を泣かせてしまった。妹を泣かせたのは15年ぶり位かもしれない。
 子供子供と思ってた妹も立派(?)な大人になった。いつまでも子供扱いしていたら失礼なのかも。生意気にもなった。家人もそうだな。奴も大人だ(子供っぽいからつい色々言ってしまうんだな)

 正論は相手に伝わらなければ、そこですでに正論では無くなるのかもしれない。
 相手を見て、正論を相手が受け止められるような言い方をしなければならないな。
 これは自分自身の修行にもなるかもしれない。

 親父にこう言われた。
「お前の言ってる事は全て正論だ。しかしそれが通じない相手もいる。俺もお母さんには(私の母の事)通じなかった。女に理屈は通らない」

 う〜む。理屈は左脳、これは男。
感覚は右脳、これは女。感覚に訴えなきゃ駄目か。それと言い方だな。諭すような言い方か(それでも通じないからついつい怒鳴ってしまうのだが)。

 女性差別じゃないぞ。男と女の違いとでも言おうか。
2002年07月06日 18時10分56秒

7月4日 〜戸籍抄本?〜
 7日に婚姻届け出すにあたって、用紙を良く見ると「この届書を本籍地でない役場にだすときは、戸籍抄本(謄本)が必要ですから、あらかじめ用意してください」とある。

 迂闊だった。そんなものいらないと思っていた。私の本籍は横浜なのだ。これから取り寄せてたら7日に入籍出来ない。
 七夕でラッキー7なのに。また日程変更しないといけないのか?明日市役所に聞いてみよう。

 国民総背番号制が実施される。
国民一人一人に11桁の番号を振り当てて管理するというものだ。
あらゆる個人情報が、国家に管理される。
 これには色々な問題がはらんでいる。
つい先日も防衛庁で個人情報の危険な使い方が問題になった。
 国家が個人を管理するを言う事は、慎重にその情報の秘匿というのを考えねばならない。簡単に情報が漏れるようではいけない。
 そして不正に活用できないようにしっかりとした法整備が必要である。
 戸籍とか住民票とかが全国どこででも取得できる事は確かに便利である。
しかしその分、管理が弱い役所から漏れてしまうこともあり得る。

 個が個として確立されなければ、単なる番号としての存在になってしまう。
 個人主義が蔓延している日本。このままでは本当に番号としての分け方しか出来なくなってしまう。
 個性が大事なのだ。一億総並びで区別は番号ではロボットだ。
 人と違う事を極端に恐れる日本人。
私は何を言われようと、個性を大切にしたい。(偉そうに言ってるが、私は凡庸な人間で、単なる頑固じじいなのかも)
2002年07月05日 15時07分29秒

7月3日 〜こいつらマジか?〜
 テレビでニュース番組を見ていた。
HIV感染者に関するニュースだった。
 現在判っているでけで10年前の10倍の感染者がいるという。
 その中には、薬害による感染者もいるのだろう。
 それに関する怒りは多大にある。しかし私がニュースを見ていて、最もあきれたのは、リポーターに
「HIV感染者の増大についてどう思いますか?」
というインタビューに対する若者達の答えであった。

 外見が派手なある若い女は、隣の友人らしき女と
「関係ないよね、私達の周りにいないし」
「そうだよね、気をつけてるしねえ」
 なんという認識なのか。確かに関係ないのかもしれない。それでは自分に関係なかったら、どうでもいいのか。普段そう思ってたとしてもインタビューされたのだから、少しは考えて答えなさい。
 それから「気をつけてるし」とは何だ。
ちゃんとコンドーム着けてるから大丈夫と言いたいのか。
 患者の大半は血友病患者で、無理やり非加熱製剤によって感染したという事を知らないのか。
 もう一つ凄いのがあった。
 同じ質門を若い男にした時の答えだ。
 「いいんじゃないすか。そのうち薬もできるだろうし」
 ?????は?何この答え?
 私の脳はシェイクされたかの如く、揺さぶられ、次に脳内の血流が止まったかの如く、思考が停止し、最後にその止まった血流が逆流したかの如く、怒りに打ち震えた。

「いいじゃないすか」って何やねん!
どこがどういいのだ!いいわけないからニュースになってるんだろ!狂ってるとしか思えない。
 
 あほかこいつは。全国に己の問題意識の無さと幼稚性と危機意識の無さと無知をさらけ出しよった。
 まあしかし実際はこんな程度の認識なのかもしれない。
 
 それにしてもこんなコメント採用してニュースに流すテレビ局の考えも解らん。
 今の若者の認識はこの程度ですよ、と言いたかったのだろうか。そんな事はとっくに解ってるわい。

 本当に驚いたよ。
 私が怒りあきれていたら、家人が
「あなたは大丈夫でしょうね」
と言ってきた。
 「わからん」
と答えたら、やっぱりという目で私を見なすった。怖いよ〜。
2002年07月04日 14時48分39秒

7月2日 〜暑いし頭も熱い〜
 シャワーを浴びたというのに暑くてもう汗をかいてしまった。
 
 今日初めてエアコンを点けて見た。ぬるい風しか出てこない。送風状態である。
 おいおいどうなってるんだ?
昔取った杵柄である。私はエアコンの点検を始めてみた。まず中機から。
 う〜ん、良く判らない。次に外機。
 判らん。
 よし基本に戻ろう。といっても調べる道具が無い。目視点検しか出来ない。
 おおっと、中機と外機の連絡線が緩んでいる。
 ばかばかしい。すぐ直ったわ。

 頭も熱いのだよ。それは昨日書いたことにある。
 女ってどうしてああなんだろうか。(前にも書いたような・・・)
 ヒステリックで、直情的で、言わずもがなの事を平気で言う。
 勘違いしないでくれ、それが気の強い女だったら、なんかシャキシャキしてて私は好きかもしれない。そうじゃないのだ。グチグチ余計な事を、そう言わずもがな(いや言っちゃいけない事かな)な事を平気で言うのだ。
 売り言葉の買い言葉とか言うレベルではないよ。
 俺は「うるさい!」とか「黙れ!」とかは言う。それは単にその場その場の、言ってみれば掛け声みたいなものである。(喧嘩における常用語とでも言おうか)
 しかし女というのは、それにプラスアルファを付け加える。
 例えば「稼ぎが悪いくせに」とか「あんたといっしょになって損した」とか「出世も出来ないくせに」とか「あんたといたらこれから先夢も希望もない」とか「転勤になっても私は付いていかないから」とか「○○さんの旦那はこんなに素敵なのに」とか・・・
 もうよそう悲しくなってくる。

 な、残酷な事平気で言うのだよ。
 要するに男がいかに強がっていても実はナイーブな生き物だと言う事を少しも解ってないのだ。
 男が同じような事女に言えるか?
言えないよな。そこまで男は残酷じゃない。

 う〜んここまで書いたら女からの反論がすごそうだな。

 今家人が帰ってきた。
 こいつはすぐ反省する。しかし真の反省ではないから、また同じような事で俺を激怒させる。
  
 これを見た人は一体どんな事で喧嘩するのだろう、と思われるだろうが、笑ってしまう事に私も良く解らない。
 その時の感情で女はものを言うから、男はさっぱり解らない。

 女心も解らないの?と言われそうだが、男に解るわけないんじゃい!
解ったフリして我慢して優しくすればいいんかい!
 そんな事出来るか!俺は九州男児だぞ!(今は)

 脱線した。そうじゃないな。確かに女はかくあるべきという考えはあるが、私が言いたいのは、女は残酷で言わずもがなな事を平気で口にし、思慮が浅いと私は言いたいのだ。

 これって男女差別?いや違うな。極端な意見?そうかも、それに到る経緯が女にもあるのだろうからな。

 単なる痴話喧嘩と言うなよ!最近うんざりする事が多いのだ。
 ここで私が「昔の女は良かった」とか「お前の為に福岡帰ってくるんじゃなかった」とか「一緒に暮らすんじゃなかった」とか言ったらどう思う?酷い男と思うだろ。
 そう言う事を女は平気で言うのだよ。

 え?俺が無職で作家を目指すとかいう世迷言いってるから、しょうがないだろって?
 そうか、そうかもしれない。
 私は自分の立場をわきまえて家人に尽くさないといけなかったのか。自分の事封じ込めて。


 それが出来ないから喧嘩するんだろ。
暑い熱い。
 俺こそ冷静にならなければな。

 とにかく私は今までやってきたスタイルは絶対崩さない!それが解らん女には用が無い!
 傲慢な締めで、以上!
2002年07月02日 21時37分17秒

7月1日 〜半年が過ぎた〜
 早いもので私が会社をやめてから、半年が過ぎた。
 その間何をしただろうか。とその前に風呂に入ってくる。

 鬱陶しい。実に鬱陶しい。せっかく風呂に入ってさっぱりして、家人も帰ってきて、夕食も食って、ワインを飲んでくつろぎながら本を読んでいたのに、またしても家人が訳の分からないことを言い始めた。
 奴は普段はおとなしくて、好い娘なのだが、たまに人の怒りのつぼを刺激する言葉や態度を平気で発する事がある。
 無神経なのだ。そういうつもりがないらしいから逆に恐ろしい。
 私はそういう時まずは冷静にその事を指摘する。しかし私の冷静かつ鋭い指摘に対してもまた同じような事を繰り返し言う。ただそれだけなのだ。

 うんざりである。冷静さを無くした人間とは話したくない。いや冷静を装って逆上していると言ったほうが正しいかもしれない。
私(ええい俺だ!)は書斎に引きこもるわい。


 これを書いた後、家人が書斎に来てまあ書くのも憚れるが、普通に仲直りした。
 やはり単純な女は放って置くに限る。
無理やり論争を吹っかけても話しにならないしな。

 奇跡的にこれを読んでいる諸君!
私は決して女心の分からない男ではない。
 女が男に求めるものも解っている。
 しかし自分の女はこうあるべきだと言う盲信を私は昔から持っている。
 これはある意味信念だ。それが美しい事だからだ、私の女像として。それを批判する事は誰にも出来ない。
 なぜならそれが私の好みだからだ。
 といっても別に極端な右とか左とかそういう事ではない。
 単なる こ・の・み なのだ。

 途中で色々あったから意味が解らなくなったが、要するに私はこの半年間、色々あったということだな。

 今は午前1時半。家人は風呂に入っている。

 私の怒りのつぼをこの半年でつかんでしまった家人。それと同時に私を懐柔する術を学んだ家人。
 色々あって面白いかもしれない、この家人と私は1週間後入籍する。
 皆さんお祝い待ってるよ。
2002年07月02日 01時54分21秒

6月30日 〜終わった〜
 ブラジルの優勝で終わったワールドカップ。強いなあの一言だな。
 組織としての完成度は低かったが、何せあの個人技の凄さ、ドイツの組織プレーなんて吹っ飛ばしていたね。
 
 しかしこれで楽しみが減ったよ。大したサッカーファンでもなかったのだが、大概の試合は見たよ(暇だからだろ!)。

 忙しい毎日に追われての小さな楽しみなら、楽しみの一つに過ぎないのかもしれないが、私の場合は暇な毎日を過ごしての大きな楽しみであったから、楽しみは計り知れなかった。(ちょっと違うか)

 世界の素晴らしいプレーを楽しんだ後は、せせこましい日本で、ちんけな小説でも書くしかないな。

 そしてアテネ、ドイツを楽しみに生きよう。(わしの楽しみはそれしかないのかい)

 
2002年07月01日 20時44分31秒

6月29日 〜思い込み〜
 昨日は偉そうな事を書いたが、実際はどうなのだろう。
 私は差別は悪い事で、いつかそれが無くなればいい、と書いた。
 そして被差別者がそれを隠す事無く、堂々とさらけ出し溶け込む事で、差別は無くなるかもしれない、とまで書いた。
 そんな簡単な事ではないな、と反省した。
「破戒」の主人公みたいに隠す事で、幸せになれるのなら、皆隠すだろうなと思った。
 
 ちょっと違うが、例えば犯罪を起こして刑務所に入ってた人がいるとする。刑務所でみそぎは済ませたとはいえ前科者である。
その人は、それを隠したいと思うだろう。
 自慢するのは暴力団くらいのものだろう。
 何故か?それは生きていくにおいて不利だからである。
 反省もし、罪を償ったと言えども他人は、そう見ない。

 難しいところだ。
隠さねば差別される。しかしそれだと差別は無くならない。
 極端な例えだったな。犯罪者は自分が悪い事したのだから、ある程度は仕方ないか。
では何も悪い事をしていない被差別者はどうする。
 悲しいだろうな。

 自分は正しいと思っている差別者がいるとしよう。ナチなんかそうだったな。それがドイツの為、世界の為と信じ込みユダヤ人を迫害した。これは怖い。差別が悪い事ではなく、正しい事だと思っているのだから。
 
 昨日差別する心は誰にでもある、と書いた。それを無くして行くのが一番大事だが、それでも無くならないという人がいたら、せめて必死に理性でそれを隠す事だ。
 あからさまに差別をする態度は、見ていても見苦しい。皆それを無くそうと努力しているか、隠そうとしているのだろうから、安易に出すべきではない。

 宗教の盲信者も怖い。日本ではオウムなんかそうだろう。正しいと信じて殺人まで犯す。

 思い込みとはかくにも怖いものだな。それが真実で真理であるなら思い込んで邁進するのはいい。だがそうではないかもしれない。
その判断はそれぞれが経験や学習で身につけなければならない。
 それでも間違いはある。それに早く気付けば修正は効く。自分で気付く場合もあるだろうし、他人からの忠告もあるだろう。

 単なる思い込みではなくて、しっかりと考え、勉強し、経験し、他人の意見も咀嚼して判断したいものだ。
 
2002年06月30日 15時24分48秒

6月28日 〜差別〜
 あらゆる差別がこの世には氾濫している。
人種差別、部落差別、弱者差別、男女差別もそうだろう。
 私達はこれらの差別が「いけない」と言う事は知っている。
 しかし「私は差別などしないし、考えた事も無い」と言う人がいたら、それは相当な人格者か、あるいは鈍感な偽善者だろう。
 悲しむべき事に、差別は我々の心に中に巣食っている。それを理性で隠そうとしているだけかもしれない。
 自分と異なるものを排除しようとする本能とでも言うべきものが元来備わっている生き物なのだ。
 差別によって戦争や紛争が起こった例も枚挙に暇が無い。
 人は他人に対して優越感を持ちたがる生き物だ。劣等感の持ち主でも、まだ自分より下がいると思いたいのだろう。そして「下」を見つけてはそれを差別する。
 競争社会にあっては、仕方が無い事なのだろうか。それで社会主義が生まれた。しかしそれも単なる理想論であったことは歴史が証明している。

 同じスタートラインに立っての競争なら、いいだろう。
 しかしスタートラインからして違ったら、こんな理不尽な事は無い。
 それが差別の恐ろしいところだ。
 同じ人間なのに、人種が違う、部落出身だ、在日だ、身体障害者だ、女だ、そんな理由での差別ははっきり言って醜い。

 島崎藤村の「破戒」を読んだ事のある人は大勢いるだろう。
 これの主人公は部落出身である事を隠して生きようとした。
 時代が違うと言われるかもしれないが、未だにこの差別は存在するらしい。
 丑松思想と呼ばれるこの本の主人公の考えは、被差別者がそれを隠して生きる。それはそれでいいではないか。「寝た子を起こすな」というものである。
 しかし隠して生きる。これでは差別はなくならない。隠さなければ差別されてしまうと言う現実がある限り差別はなくならない。

 朝鮮は嫌いだと言う人は大勢いる。
何故か。なにか酷い目にでもあったのだろうか。そうではないだろう。皆「何となく」ではなかろうか。親や親戚に子供の頃から、そう教えられたとか。教えられないにしても、話等から、そう植えつけられてしまったとか。
 自分の判断ではないのか、と言いたい。
それは歴史も生活習慣も違う国だから、相容れないところはあるだろう。それは向こうも同じだ。
 しかしそこから何が生まれると言うのか。
憎しみと誤解だけだ。
 欧米の人達だってアジアの人が嫌いだとか黒人が嫌いだとかはあると思う。肌に色が違うからだろう。だからと言ってこちらも嫌いだよ、と思っていてはいつまでたっても、憎しみは無くならない。
 
 じゃあ日本人と朝鮮人はどこが違うのか。
見た目はあまり変わらない。違いは歴史と習慣と言葉くらいだろう。

 身体障害者はどうだろう。これは悲しいかな健常者とは明らかに違いが見て取れる。
 しかし皆がどう接すれば分からないだけかもしれない。哀れむべきなのか、普通に接するべきなのか。もちろん後者であろう。

 もしあらゆる被差別者と差別者が、同じように当然の如く共生できる環境があったなら、差別は無くなるかもしれない。
 そこには人と人との係わり合いがあり、理解し合い、助け合う。そうすれば差別心など薄れていくのかもしれない。
 哀れみではなく思いやりを、憎しみではなく愛を。

 差別は決して無くならないだろう。しかし昔より今、今より未来は、と少しずつでも無くして行かなければ、人類はいつまでたっても愚かしいと言う事になる。

 まだまだ書きたい事はいっぱいあるし、不十分だが、またいつか考えたい。
 その前に家人への男女差別(?)を止めなさいと言われそうだが。

 
2002年06月30日 14時37分04秒

6月27日 〜夜のお出かけ〜
 今朝高校時代の友人Mから連絡があって今日夜飲まないか?と言う。
 暇な私はもちろんオーケーである。
しかし夜の10時くらいになると言う。
私は田舎に住んでいるので電車があまり無い。
 とりあえず、下山門という駅で待ち合わせる事にした。
 9時半くらいに落ち合い、それからMの車で福重の「十徳や」と言う店に行った。
駐車場完備の立派な居酒屋である。(おいおい飲酒運転奨励店かい)

 そこでまず生ビールを頼み、それから焼酎のボトルを頼んだ。
 Mは水割り、私も水割りにしたがそれに梅干を入れてアクセントとした。
 
 行き着くところ話は、昔話となる。
それも高校時代の部活の話だ。
 奴と私はバスケットボール部に所属していた。結構強いチームでインターハイを真面目に目指していた。大体県のベスト8で終わるのだが、公立の進学校にしては大したものではなかろうか。
 私はレギュラーでガード、奴は私のポジションの控えと言う違いはあったが(エッヘン)2人共同じような背格好で体格も似ていたので、よく競い合ったものだ。(今では奴は関取風だが)

 青春時代の思い出というのは色褪せる事無く焼きついている。それを共有できる旧友がいる事は幸せな事だ。

 その爽やかな思い出話が終わると、決まって女の話に移る。(ここでは書けないような事もある)それも昔の話だが。

 最近の話はあまりしない。そういうものだろう。私は東京、奴は福岡と離れていたので共通の話と言うのは、やはり昔の話となるのは仕方が無い。

 これからは近くなり飲む回数も増えるだろうから、話す内容も変わってくるかもしれないが。

 0時頃店を出た。私は最終電車まで30分も待たねばならなかった。
 頼み込んで家まで車で送ってもらった。(ありがとう)
 ちなみに私が初めて家人に会ったとき奴もいた事を付け加えておこう。
2002年06月30日 13時16分03秒

6月26日 〜疲れた〜
 風は強いが、良く晴れた日であった。

 今日はかねてからの懸案事項の一つであるエアコンの取り付けを強行した。
 妹と家人に手伝ってもらい、一気に2台取り付けることにした。

 まずは道具と部材の調達だ。
妹の車で、まず100円ショップに行き、そこで使えるものを購入した。(なるべく安く上げたいからね)
 次にホームセンターに行き、配管セットやその他必要なものを購入すると、すでに5時を回っていた。
 まあ福岡は東京より日が長い。なんとかなるだろう。
 しかしやってみると、なかなか思うように行かず、2台付け終わったのは辺りも暗い、夜の8時半であった。
 疲れた。

 疲れを癒す為にその日の夕食は、焼肉にした。
 ワールドカップ準決勝の「ブラジル対トルコ」を観戦しながら、舌鼓を打った。
 途中から妹の旦那も来て、4人で酒を飲みながら(家人は飲めないが)談笑した。

 しかし義弟は、極端な思想の持ち主だな。
リベラルではないなと思ったが、その事は次回に指摘してやろう。(余計なお世話か)

 人それぞれ考え方と言うものは違うのは当然だが、客観的に見る目も養わねばならない。
 主観はあくまで主観であって、それが正しいとは限らないのだから。
 かといってすぐ人の意見に同調するのもどうかと思うが。
 要するに柔軟に物事を考えるべきなのだナ。
2002年06月27日 18時41分57秒

6月25日 〜韓国〜
 ここまで快進撃を続けてきた韓国がついにドイツに敗れた。
 しかし韓国の勢いたるや筆舌に尽くしがたい。
 まさに挙国一致と言う感じであった。
スタンドは韓国のサポーターの赤一色。ある意味怖い。
 素晴らしい文化を持ちながらも、朝鮮は他国からの侵略、迫害に常に晒されてきた。それらの歴史がこの民族のアイデンティティをかくも強固なものにしたのではなかろうか。
 それはともかく、とかく誤解されやすい国の快挙に拍手を送りたい。
2002年06月27日 18時23分28秒

6月24日 〜またしても〜
 昨日の飲みすぎのせいで、やや二日酔いである。ボーとして過ごしてしまった。以上。
2002年06月27日 18時13分27秒

6月23日 〜餃子屋?〜
 小雨がゆっくりと空から舞い降りてくる。梅雨だというのに本格的な雨はまだ来ない。
 
 夕方、家人から電話があり、私の妹(家人の友人でもある)に食事に誘われたから西新に出てこない?と言う。
 私にはそれが「西新の餃子屋で」と聞こえた。時計を見ると午後7時。なんでもっと早く連絡しないのだと思いつつ、私はシャワーを浴びて、出かけた。

 西新に着こうかという時、家人から携帯にメールが来て「店は満員で入れないらしい。妹夫婦だけ入れたみたい」とある。
 ここまで来てそれは無いだろう、と思ったが仕方ない。駅の改札で家人と待ち合わせてることにした。

 家人と落ち合い、私達はとりあえずその店まで行く事にした。
 「それでその餃子屋はどこにあるんだ」
 「え、餃子屋じゃないよ。カプリチョーザというイタリアンレストランよ」
 と言われたのだ。
 何、餃子屋じゃないのか。
 カプリチョーザのチョーザを餃子と聞き間違えたらしい。
 私は餃子を食べるつもり満々だったのだが。
 カプリチョーザと言われても福岡の事あまり知らない私に分かる訳ないだろう。イタ飯屋と言えよな。
 まあいい。とりあえず先に入っている妹に電話すると、もう食べ終わると言う。
こらこら早過ぎるだろ!どっちみち満員で私達は入れなかったのだがね。

 仕方なく妹夫婦が出てくるのを店の前で待ち、4人で近くの居酒屋に入った。
 飲みに来たようなものだが、酒があればどこでもいい。
 もちろんつまみに餃子を頼んだのは言うまでも無い。

 最初はビールで、次はウーロンハイ。
ええい、まだるっこい、焼酎のお湯割り梅干入りを頼もう。

 というわけで焼酎のお湯割り梅干入りを頼み続けた私は例によって、ベロベロだ。
 店を出てからの記憶はあまり無い。
 あれしきの酒で記憶無くすとは、私も焼きが回ったものだ。
 しかし私はこういう記憶無くす位の境地が何故か好きなのだな。
 一瞬でもこの世の憂さを忘れられるからだろうか。
 飲む時はとことん。これが私の飲み方である(威張るような事か!)。
2002年06月24日 20時43分38秒

6月22日 〜ショック〜
 今日の分の日記を書き終わってアップしようとしたら突然、強制終了になった。おい!XPは安定性が売りじゃないのか!結構あるぞ、こういう事。今のところワードとエクセルに関しては無いのが救いだが。
 よくあるのがインターネットエクプローラとリアルプレイヤーなどのアプリケーションだな。よく「プログラムが応答してません」と出るのだ。
 リアルプレイヤーなどは別にいいが、日記をアップしようとしてた時になるとショックだ。
 今日の内容は別にどうでもいいことではあったけど。
 
 原稿無くしたような気分だな。まあワードやエクセルに懸命に打ち込んで、それが「不正な処理・・・」と出た時はもっとショックだがね。ちなみに今家人と喧嘩中。全く腹立つわ!詳細は後日にでも。今日は私は書斎で寝る。

 
2002年06月23日 00時09分07秒

6月21日 〜思い浮かばない〜
 いつもなら、この日記に書くことはパソコンを前にしたらすぐに書き始められるのに、今日は5分位考え込んでしまった。
 結局何も浮かばないまま、これを書いている。
 別にその日の出来事でも書けばいいのだろうが、こう単調な毎日だと書くこともないのが実状だ。
 今までだって単調ではあったが、日々の所感とか、小さな事柄を膨らましてとかで、書くことに困りはしなかった。
 これでも、あるスパン毎に書き方とか、内容とかを変えてきたつもりである。
 ただの愚痴、情景描写、笑える話、怒れる話、随想等々。
 たかが日記だが、書くことに意味を見出したい私としては、テーマというか、内容と言うか、文体というか、それらをひっくるめて書くことに、なにかしら得たいと思っているのだ。
 こんな日記書く程度で何が得られるんだ、と思われるかもしれない。そうだな、あえて言えば書く癖をつけるだけでもいい。

 思い浮かばずに机の前に佇むのは、創作だけでいいよな。
 
2002年06月22日 23時29分13秒

6月20日 〜のんびり〜
 今日は家人は仕事が休みであった。
2人で昼前に起きて(私は早く起きていたのだが、家人はぐっすりであった)朝飯兼昼食を取り、私は仕事(収入の無い)をし、家人は洗濯と掃除にいそしんだ。

 その後、私は読みたかった本をベッドに持ち込みそれを寝転びながら読み、家人も家事を終え隣でのんびりし始めた。そしてそのまま寝てしまった。
 私はそのまま本を読み続けた。一心不乱に。
 3時間ばかり経っただろうか、まだ家人は寝ている。疲れているのだろう。
 良く寝る奴なのだ。しかもどこでも寝る。ベッドはもちろんの事、ソファー、炬燵、床(これはいかがなものか)、私の書斎のリラックスチェアー等々。
 そして必ずよだれを垂らす。シーツ、クッション、座布団に大きなシミが出来るほど。(お前は子供か!)

 そしてまたよだれを垂らしていた。可愛いと思える時も間々あるが、大概はあきれてしまう。

 もう6時だ、そろそろ起こさねば。
 とってものんびりした日であった。これだけ寝れば家人も疲れは取れただろう。
2002年06月21日 17時53分36秒

6月19日 〜キムチ鍋〜
 サッカー敗戦のショックをまだ引きずっている。感情を揺さぶられる環境に無い私の唯一の楽しみだったのに。まあいまさら言っても詮無い事か。

 妹が来た。フリーマーケットに出す品物の整理をする為にダンボール箱が欲しいと言う。私の家には引越しの際の段ボール箱がまだあるからだ。

 2人でもワールドカップの話をした。やはり奴も私と同じ意見だった。あの采配で勝ってたらトルシエマジックとさらに言われただろうが、最後にあれではな。選手ももっと技を磨いて個人技で打破するくらいになれよな。求めすぎかな。

 夕飯を食っていくと言う事なので、妹と材料を買いに行った。この暑さの中、キムチ鍋をしようと言う事になったのだ。
 家人は8時くらいの帰宅になると言うので、2人で準備した。といっても私はコンロと鍋を出しただけだが。
 丁度出来上がった頃に家人帰ってきた(鼻の利く奴だ)。

 3人で鍋をつつき、一息吐くと妹と家人は(まあ主に妹が)私と家人の結婚式についてあれこれパンフレットを見ながら、侃々諤々(でもないか妹だけで)とやっている。
 やれサイパンが安いだの、ハワイは遠いだのかしましい。
 まあ私はこういうの考えるのは面倒くさいから助かるのだが。(家人は決める事が出来ない)

 まあサイパンかな。無職の自由人が海外挙式なんて、いいのだろうか。
 まあいいか。一生に一回だし(本当か?)。
2002年06月21日 15時08分20秒

6月18日 〜何で?〜
 私の楽しみが一つ減ってしまった。
そうワールドカップ日本敗戦である。
一体何なんだ、あの負け方は。
 どうしようもない強豪と対戦したとか、一方的に負けていた試合だったら納得するさ。
 こんなチャンスもう無いぞっていうくらいの条件が揃っていた今回のワールドカップ。
 1.開催国である。
 2.予選リーグ有利な組だった。
 3.決勝リーグ初戦がトルコだった。
 4.トルコに勝てば次はセネガル。決して強豪ではない。

 私はベスト4まで行くものと思っていた。
まあ悪くてベスト8だと。
 今回日本のサッカーを見ていてやはり世界にはまだまだ通用しないなと感じていた。
 つまり当分の間日本はワールドカップにおいていい成績を残せないだろうと言うことだ。 
 しかし今回は上記の4つの理由で上位に食い込めるはずだったのだ。
 こういうことは今世紀中にはないぞ。
 実力でのし上がるにはまだまだだしな。

 トルシエ采配も腑に落ちなかった。
なんだこの先発メンバーは?そう思った。
まあ私は素人だから、この面においてはあまり口出ししたくないが、予選と一緒でいいじゃん、と思ったのは私だけではあるまい。
選手交代もなあ。もっと積極的にせいや!
って感じだよ。

 それに比べて韓国は凄かった。開催国はこうでなくてはいけない。

 後はブラジルの個人技を楽しむくらいしかないね。

 私を楽しませてくれた日本代表だったが、最後に「何で?」となってしまったのが残念でならない。
2002年06月19日 23時57分56秒

6月17日 〜飽きた〜
 なんか飽きたな、こういう生活。
ある意味規則正しすぎる。ルーティンだ。
 緊張感もない。楽天家すぎるのかも。
いや単なる怠け者かな。
 元の会社の奴らは何してるだろうか。
彼らもまたルーティンワークに日々忙殺されているのだろうか。いやそうじゃないな、変化はあるものな。ツマラン仕事かもしれないが、やり終えた後の充実感はあるかもしれない。
 
 旅にでも出るか。韓国なんかいいな。でも今はワールドカップで大変な騒ぎかもな。

 漠然とした不安感と変化の無い毎日。
 呆然とした保安官と喧嘩の無い落日。
(関係ないナ)

 閉塞感と空腹感。
(これも関係ないナ)

 家人と佳人。
(これは関係あることにしておこう)

 自由人と遊人。
(私かナ)

 あ〜意味不明だな。ワールドカップでも見ようっと。ついに狂ったかと言われる前に。
2002年06月18日 15時04分16秒

6月16日 〜曜日感覚〜
 今日は何曜日だろう、と思うことが多くなった。今日は日曜日だよな、と確かめる。
 会社勤めの時はこんな事は無かった。特に休日を忘れる事など有り得なかった。土日だけじゃなく、それぞれの曜日になにかしらの意味があった。
 例えば月曜日。週の仕事始めである。それは嫌だよな。
 火曜日。まだ休みボケで仕事にも身が入らない。
 水曜日。中日。やっと半分だ。
 木曜日。明日会社行けば休みだ。(ここら辺りから飲みに行ったりする)
 金曜日。今日で終わりだ。飲もう!となる。
 土曜日。朝もゆっくりできる。今日も飲める!
 日曜日。午後辺りから憂鬱になる。明日会社か。
 
 こうしてみると、やはりメリハリのある生活にしか曜日は関係ないと思えてくるナ。
 仕事して、休む。休んで、仕事する。これの繰り返しで生活してきた。
 今、それが無い。だから曜日が関係ないのだ。土曜だろうと日曜だろうと平日だろうと。
 さらに家人も土日が休みと言う訳ではないので余計である。

 暦も関係なくなると、だらだらするのみだな。何か手を考えないと。
 小説書く日と休みの日を設定するか。しかしそんな悠長なことではなあ。
 とにかく前のように休みの日を追い求めていた鋭い感覚を呼び戻さねばな。(ん?)
2002年06月17日 20時00分35秒

6月15日 〜晒し者〜
 湿った空気が肌にじっとりとまとわりついて気持ちが悪い。
 雨は降っていないが梅雨入りしたなと思わせる季候だ。

 今日は両親がエアコンを買うというので付き合わされた。散々迷った挙句松下のエアコンにした。ダイキンは売ってなかったのだ。(別にダイキンファンでもないからいいけど)

 その後家人の会社の家族や取引先の為のファミリーバザールとかいう催し物に妹夫婦と行って来た。
 私はどうせ何も買うつもりは無かったから、すぐ帰るつもりでいたのだが家人に色々案内されて会場を仕方なく回ったのだ。
 すると途中途中で家人の会社の人達に紹介され、まさに晒し者になってしまった。
 まあこうなる事は解っていたからいいのだが。
 私の今の姿は茶髪で口髭を蓄えているという怪しいものなのだ。しかも自由人であることは前情報で知っているという。
 相当胡散臭い奴だと思われただろうな。
 東京からきた怪しい奴が、われらの同僚を騙しているのでは?と思ったに違いない。
 まあ救いがあるとすれば私の全身から醸し出す持って生まれた「爽やかさ」ではなかろうか。私の外見と今の生き方が怪しくとも、私と会って話せばすぐに皆さんそれに気付くだろう(^_^)。

 こんな戯けた事書いてたら、誰かに晒し首にされるだろうな。
2002年06月16日 18時23分40秒

6月14日 〜決勝トーナメント〜
 勝つとは思っていたが2−0とはね。
良くやった。次はトルコ戦だ!(手抜き)
2002年06月16日 17時54分09秒

6月13日 〜怖い〜
 今日は実家にて夕食を取ってそのまま例のごとく飲んだ。
 家人は仕事でいなかったが、妹夫婦が来ていた。
 そして酔っ払った。当初は実家に泊まるつもりだったが、家人が11時頃私に連絡してきたので、一緒に帰ることにしたのだ。実家は家人の仕事場と私の家の中間にある。

 実家の前の駅で待ち合わせ、2人で電車に乗り込んだのが、11時半くらいか。

 その電車の中で事件は起こったのだ。
 私は酔っ払って、いすに座り白河夜船だった(熟睡してるって事)。
 ふと目を覚まし、意味が解らないが左隣に座っている女性を家人だと思い込み(家人は右隣にいた)その女性の太ももを撫ぜてしまったのだ。
 女性は驚き、それによって私も間違いに気づき寝たふりをしたのだが。
 女性は私から離れるように席をずらした。何事も無かったかのように私が寝たふりをしたから、本当に何が起こったのか分からなかったのかもしれない。
 
 あ〜良かった。痴漢に間違われるところだった。
 怖い怖い。誤認でも未遂でもなくて本当にシタからな。しかも席はガラガラ。
 泥酔は怖いよ。(お前が怖いわ!)
2002年06月16日 14時07分26秒

6月12日 〜金が無い!〜
 職を辞して早5ヶ月。当たり前の事だが金が無くなって来た。貯金や(あまり無かったけど)退職金などが底をついてきた。
 生活費は家人が基本的に出していて、足りなくなると私が補充するというやり方で3ヶ月やってきた。(半分ヒモじゃん)
 その他に私の社会保険料や(前の会社のを継続している。これが32400円/月もする)私個人の支払いは自分で出しているが、これらが月におおよそ6万くらい。あと先述の生活費補填が月5万くらい。計11万くらい私の方から出している訳だ。
 う〜む。と言う事は私と家人の月の支出は、家人の収入が20万として、30万強と言う事か。使いすぎかな。

 家人は一時家計簿なるものを付けていたが、仕事で疲れるんだろう、今は付けてない。 
 私個人の小遣いは基本的に無い。せいぜい古本屋で本を買うくらいだからね。
 タバコや酒は生活費から出している。
これが月に3万くらいかな(おい!それが家計を圧迫してるんじゃないのか)。
 失業手当は8月から半年出る。それまでは何とかなるだろうが。厳しいね。
  
 今年中に何らかの形で結果が出なかったら、私は働くつもりだ。(当たり前だろ!)
 今からでも働け!と言われそうだが、失業手当がもらえるうちはいいのだ。
 ところでこの不況時に40近い男が就職できるのか?

 まあいいか。なんとかなるさ。
2002年06月13日 17時15分48秒

6月11日 〜読書〜
 古本屋で本を購入した。
高橋源一郎著 「文学じゃないかもしれない症候群」
丸谷才一著  「文章読本」
井上ひさし著 「私家版 日本語文法」
外山滋比古著 「文章を書くこころ」
(無理してるね。それとも悩んでる?」

 私は読書家だった。過去形なのはここ15年間あまり本を読んでなかったからだ。
 月に2〜3冊ってところか。漫画は読んでたけど。
 
 小学生から大学生あたりまで、月に10冊。多いときは50冊くらい読んでいたのではなかったか。(暗い少年だったのかも)(^_^)
 もちろん受験シーズンや部活動(これでもバスケット部だぞ)に熱中してた時はあまり読んでなかったかもしれないが。

 好きな作家というのは特にいなかった。強いてあげれば「レイモンド・チャンドラー」
「平井和正」「筒井康隆」「五木寛之」。あと「太宰治」を熱心に読んでた時期もあったっけ。
(無茶苦茶だね。乱読って感じ)

 そして高校の時に初めて小説なるものを書いたなあ(エロありの破天荒なものだった)
 友達に読ませたりしたものだ。
その作品、私の机の中に仕舞ってたはずなんだが、私が東京の大学に行っている間捨てられたらしい(そりゃそうか、エロっぽかったからな)

 社会人になってからはあまり読書しなくなったなあ。何読んだっけ?「大沢在昌」「内田康夫」ミステリー中心だったかな。
 悪い遊びを覚えたからかな。あまり家にいなかったような気がする。「酒」「女」「ギャンブル」等々。
 ま、それが普通か。

 会社辞めてから再び読書するようになった。
 今よく読むのは「伊集院静」「J.グリシャム」後は文学評論とか文章に関する本かな。
それと漫画だな。雑誌は買わないが古本屋で、たまに懐かしくなって買ったりする。

 最近読み方が変わった。昔はストーリ重視で、文体、表現方法、風景描写、心理描写等にはあまり気を付けてなかったんだが、それらにも気を配って読むようになった。
乱読じゃなく精読といったところか。
時には忍耐を強いられるが、そうしないと本当にその本を読んだ事にならないからナ。

 あっ今日も小説書いてないや。自分にノルマ課さないといかんな。
2002年06月12日 18時15分14秒

6月10日 〜反省〜
 最近だらだらしている。ワールドカップのせいにして誤魔化そうと思ったが、怠けているだけのようだ。この日記だけは毎日書いているが、小説のほうは書いたり書かなかったりしている。
 
 朝11時くらいに起き、飯食ってパソコンに向かいメール等のチェックをする。それから新聞を読み始め13時くらいにそれらが終わる。書斎に再度向かい、ハム供の餌を替えたりケージの掃除をしたりする。
 それから普通なら小説を書き始めないといけないのだが、本を読んだりインターネットをしたりして時間を潰している。いや潰しているつもりはないのだが、結果的にそうなっている。本を読むのはまだいいが、ネットサーフィンしているようじゃいけないナ。

 家人の帰りと共に夕飯食って、ワイン飲みながらワールドカップ観戦だ。(これじゃ優雅な人じゃないか)
 そして、リビングにてくつろいだ後はベッドに移りワインを(またかよ)飲みながら本を読みつつ就寝。

 そして朝。家人はなかな目覚めないので、目覚まし時計は鳴りっ放し。私も目が覚めてしまう。家人を仕事に送り出して、再度寝る。
 そして11時。同じことの繰り返しだ。
こんなことじゃいかん。

 猿でも出来ると言う「反省」を私は出来ない。猿以下だね。明日から元の生活パターンに戻さねば。(それでも優雅だねと思われそうだが)

 
2002年06月11日 20時48分22秒

6月9日 〜勝った!〜
 大歓声の下、日本がロシアに勝利した。サッカーワールドカップの事である。
 私は良くて引き分けだと思っていたから、その喜びは計り知れない。
 ワインを飲みながらの観戦は、至福の時であった。ボールの行方に一喜一憂し、日本がピンチになると、歯を噛み締めそれに耐えるとホッと胸を撫で下ろす。
 逆に日本が攻めているときは、あらん限りの声を張り上げて応援する。
 熱くなった。やはりスポーツはいい。
例え応援するチームなり個人なりが敗れてもそれはそれでいい。応援しているときの過程がいいのだ。
 何が起こるかが分からないからいいのだ。
そこにドラマが生まれ、人は感動する。
 笑ったり、泣いたり、叫んだり、人の持つ感情をあらわに出し尽くす。
 その感情は時間と共に薄れては来るだろうが、一瞬の時は確実に私達に刻み込まれている。その時の興奮はやがてそれぞれの脳裏にそれぞれの形で浮かび上がるのだ。
だからいい。記憶がある限り、私達はいつでもその時に舞い戻る事が出来るのだから。

 次はチュニジアだ。再度興奮を与えてくれるだろう。

 私も動でも静でもいいから感動できるような小説を書きたいものだ。
2002年06月10日 17時27分20秒

6月8日 〜1年ぶり〜
 1年ぶりにMと飲んだ。藤崎の餃子屋に入った。まあ餃子屋といっても飲み屋みたいなところである。夕方の6時と言うのに満員だった。
 
 久しぶりに会ったMは益々太っていた。まさにおっさんである。お互いの近況等を話しながら、昔話に花を咲かせた。
 
 私は焼酎のロック、Mは水割り(邪道)を飲んで大いに盛り上がった。餃子の美味しい店であった。
 
 9時頃別れ、私は帰途に着こうとした。
が、まだ飲み足りなく家人を呼び出して家の近所の「SPOON」というバーに入った。
 
 酒の種類は少なかったが、値段も安くまた行こうという気にさせる店だった。
 私はすでにベロベロで、その後の事は良く覚えていない(-_-;)
 
 久しぶりに痛飲した楽しい夜だった。
2002年06月09日 19時08分21秒

6月7日 〜ワールドカップ〜
 盛り上がってますな、ワールドカップ(本当か)。
 しかしチケットはどうなってるのかね?
全く持ってけしからん。変な代理店に任せるからこうなるんだよ。

 それはそうと普段はサッカーなどあまり見ない私達が連日テレビに釘付けである。
 日本戦など独りで大騒ぎしてたよ。
しかし冷静に見てると世界レベルのサッカーは凄いね。日本など子供のサッカーに見えてしまうよ。
今日はイギリスとアルゼンチンだ。これも面白そうだな。フォークランドを思い出すね(嘘付け)

 家人から電話があって仕事で少し遅くなると言う。独りでテレビ観戦するか。
 
 この日のために必死で頑張ってきた選手達。その過程を想像するだけでも価値があると言うものだ。

 私もせめてよく頑張ったと思えるくらい努力したいね。
 愚か者として。
2002年06月07日 19時49分47秒

6月6日〜入籍は?〜
 当初の予定では今日入籍するはずだった。
(家人とはまだ入籍してないのだ)
 覚えやすいからだ。
(実は5月15日の予定だったんだが、家人が5.15事件を連想するから嫌だと)
 しかし今度は私が嫌だと言ったのだ。何故なら新約聖書の以下の一節が気になるからだ

智慧は茲にあり、心ある者は獸の數字を算へよ。獸の數字は人の數字にして、その數字は六百六十六なり。ヨハネの默示録13:18

映画『オーメン』に出てくる"666"という数字の根拠は上記の一節なのだよ。

 と言うわけで辞めた。そこで私は7月7日はどうか?と提案した。
すると家人は七夕で1年に1回しか会えないみたいで嫌だと言う。(こんな調子じゃ一生入籍は無理だな)

 七夕。もともとは旧暦の7月15日の夜に戻ってくる祖先の霊に着せる衣服を機織して棚においておく習慣があり、棚に機で織った衣服を備えることから「棚機」という言葉が生まれる。その後仏教が伝来すると、7月15日は仏教上の行事「盂蘭盆(盆)」となり、棚機は盆の準備をする日ということになって7月7日に繰り上げられた。また、棚機と中国から伝えられた織女・牽牛の伝説が結び付けられて、天の川を隔てた織姫(織女星、こと座のベガ)と彦星(牽牛星、わし座のアルタイル)が年に一度の再会を許される日とされた。
とある。

 いいじゃないか!結婚記念日なんて1年に1回なんだから。ぴったりだろ!と説得してようやく納得したみたいである。

 要は2人の気持ちが問題なのであって、その日が来た時に2人で祝えればいいのだから。(ただ恐怖の日は嫌だな)

 7月7日こそは入籍するぞ!収入もないくせにね。
引用が多くてすみません。

 私が7月7日が良いのは、単にゾロ目が好きでラッキー7だからなのであるが。
2002年06月06日 16時44分06秒

6月5日 〜エアコン〜
 昼過ぎに妹から電話があり、代車で軽の1ボックスがきたから実家にあるエアコン運ばない?と言う。私はレンタカー借りるつもりだったから、その話に乗った。
 実家にあるエアコンとは、私が昨年小平から八王子に引っ越した際、実家に送ったものだ。
 実家では使わないと言う事なので、私が再度使う事になったのだ。
 これで我が家にはエアコンが2台あることになった。
 1台は家人が前の部屋から持ってきたものである。
 これで夏は越せそうだ。(私が取り付けないといけないが)

 土曜日に高校時代の友人と飲む事になった。彼と私は同じバスケット部で、それ以来の付き合いだ。
 彼は福岡の大学を出て、そのままこちらに就職し結婚までして子供も2人いる。
 下の子が生まれたばかりで、なかなか会えなかったのだが、何とか都合をつけたようだ。
まあ2時間だけという制限付きらしいが。

 この頃腰と背中が痛い。ずっとパソコンに向かっているせいだろうか。
 運動不足?年?
いずれにしても良くないな。
 昨日家人にマッサージしてもらったのだが、今日も痛い(ToT)/~~~

 酒飲んで麻痺させるしかあるまい。
まさに対症療法だな(治療になってない!)
2002年06月06日 16時21分18秒

6月4日 〜臭い〜
 私が今住んでいるところは、はっきり言って田舎である。周りは畑だし、高層建築物もない。
 本屋もないし、図書館もない。
 昼も夜も静かである。環境はいいのかもしれない。
 しかしとても気になる事がある。
たまに臭いのだ。肥料の臭いだろうか。風に乗って牛糞らしき臭いが漂ってくるのだ。  食事時などたまったものじゃないよ、君!
毎日臭う訳じゃないが、ひとたび来襲されると、鼻はひん曲がるし、ここはどこ?ってな感じになるのだ。
 いくら畑が多い田舎とはいえ、何棟かマンションが建っている地域だぞ。誰も苦情を言わないのだろうか。
 大体、臭いが漂わないように管理しろよな。おかしいよ。その元になっている奴は、この臭いを我慢しているのか?
そんなはずはないよ。だったら農家の人たちは全員臭いのが平気と言う事になる。

 家人の実家は農家で牛も飼っているらしいが、こんな臭いはしない、と憤慨していた。
だとしたらここらの奴らは何なんだ?と言う事になる。

 空気はきれいなのだろうが、これなら東京の汚れた空気のほうがましだよ。
2002年06月06日 12時15分28秒

6月3日 〜ハムハム日記〜
 午前9時に起きた。家人は1週間ぶりの休みである。
 朝飯食って、家の掃除を始めた。私は自分の書斎を整理し、家全体に掃除機をかけ、あ食器に洗い物をした。
 家人は洗濯をし、風呂、トイレなどの掃除を入念にしていた。
 
 全て終了したのが午後2時。それから出かけた。目指すはペットショップ。
 今回マロの仲間を増やすにあたって、私は3つの案を持っていた。

 1.マロと同じロボロフスキーのメスを買いお嫁さん候補にする。

 2.ジャンガリアンという人に慣れやすい種類のオスを買う。

 3.1と2両方買う。

 色々考えた結果3に決定。

 ペットショップに到着。水槽に入っているハムスター達を観察。どれもこれも可愛い。
 マロの嫁さん候補は家人に選ばせ、私はジャンガリアンのパールホワイトという種類のオスを選んだ。
その他巣箱やら回し車等購入し、絞めて5千円なり(-_-;)

 帰宅して早速セッティングだ。昨日購入した衣装ケースにマロとお嫁さん候補を入れ、
マロが使っていたケージにパールホワイトを入れた。
 名前はマロのお嫁さん候補が「ロビン」(ロボロフスキーだから)パールホワイトは「龍」(意味は無い)に決定。

 マロとロビンは広いケースの中で元気良く走り回っている。喧嘩はしてないようだ。
 龍は独りでおとなしくしている。

 これから3匹も世話しなければならない。
大変だな。しかもマロとロビンが子供でも作った日にはどうするんだ。
 まあ私の場合仕事部屋は家だし(仕事って?)世話する時間はある。
 自分の世話も出来ないくせにね。

 これから3匹の成長を見守っていきたい。
(己が成長しろ!)
2002年06月04日 14時43分49秒

6月2日 〜熱いお茶〜
 暑い。まだ5月だぞ、何でこんなに暑いんだ。30度くらいありそうだ。
 あらゆる窓を全開にすれば、風通しは良くなるんだが、それも風が吹いてたらの話。
今は無風。
 梅雨に入る前にエアコン付けないといけないな。今前の部屋から取り外して持ってきたのが2台ある。1つは私の書斎に、もう1つはリビングに付ける予定である。
余計な出費を抑える為、私が取り付け工事をする。

 100円ショップとホームセンターに行ってきた。マロの仲間を増やす為、その飼育箱と雑貨品等を購入した。飼育箱は普通の衣装ケースを利用する。ふたはバーベキュー用の網で代用する。(いいアイディアだろ)
明日家人とハムスターを買いに行く。

 最近腹が出てきたようだ(-_-;)
運動もせず家人の作った料理を食べてばかりいるからだろう。(これじゃブロイラーだね)
 なんせ家人と暮らすようになって食生活が一変した。まともなものを食べている。
インスタント食品はまず食べない。
米を食べる。2品3品4品のおかずがある。
 そして酒のつまみにまた何か食べる。
これの繰り返しである。(そりゃ太るわな)
米食い虫の宿六だね。
 マロでさえ回し車で運動してるのに。
私も専用の回し車でも買おうか。(どこに売ってるんだ)

 一昨日くらいから携帯電話への勧誘メールがひどい。昨日なんて1日に50件くらいきた。深夜、早朝お構いなしである。50件だぞ。こりゃもう、嫌がらせ以外の何者でもないわ。一体どうなっているんだ?
送ってくる業者の奴らいっぺん殺したろうか、と思ってしまう程迷惑だ。
 昔もあったがこんなには無かったぞ。
 アドレスかえるの面倒だから、ドメイン指定受信設定した。
これで大丈夫かな?
もっと法規制かけろや!いちいち面倒なんじゃ!

 暑いけど熱いお茶でもすすって心を落ち着けるか。

 
2002年06月03日 11時28分30秒

6月1日 〜嗜好品〜
 嗜好品。
 直接 食欲を満たすための食べ物ではなく、毎日の生活にうるおいとゆとりをもたらすものとして口にして楽しむ 人それぞれに異なる(食べ物の)好み。とある。
  
 酒、タバコ、コーヒーなどが当てはまるだろう。
 私はいずれも嗜んでいる。
 特にタバコは1日に2箱くらい吸っている。
 たまに気持ちが悪いときがある。吸いすぎでだ。それでも吸う。どうかしてるね。

 酒もそうだ。私は毎日飲むのだが、これもどうにも酒が不味いときがある。それでも酔えば旨くなるだろうと科学的に全く根拠がないことを言い出して、また飲む。(不味いのが麻痺するだけなのにね)

 無理やりである。何故そこまでして嗜むのだろう。癖というか、それが無いと落ち着かないというか、ほとんど異常である。
体に悪いことばかりしている。

 ある程度我慢すれば、こんなに旨いものは無いのに、無理やりだから不味いし、体にも悪い。しかし我慢すれば精神衛生上悪い。
ん〜難しいところだ。

 「毎日の生活にうるおいとゆとりをもたらすもの」とはとても言えないな私の場合。

 まあ性的嗜好が変よりいいか。
(どうだろう)

 といいつつ気持ち悪いのにまたタバコに火を点けようとしていた。反省。

 
2002年06月01日 17時41分37秒

5月31日 〜酒場〜 
 酒場に行きたい夜がある。
好きな酒場は?と聞かれると私はこう言うだろう。
 場所は都会の雑居ビルの一角。
 分厚いドアを開けると、薄暗い空間が目の前に現れる。
 「いらっしゃいませ」とマスターの声。
 音楽は何でもいいが静かなのがいい。
 店の広さは狭いほうが雰囲気がわかり易くてよろしい。
 もちろんカウンターに腰掛ける。
おもむろにタバコに火をつけ、こう言う。
 「バーボン。ロックで」
 程よく年を重ねたマスターが、
「かしこまりました」と静かに答える。
グラスにアイスピックで割られた氷が入れられ、琥珀色の液体が注がれる。
 目の前に置かれたグラスを手で弄びながら、グラスを見つめ喉に流し込む。
 たちまち喉から食道そして胃へと熱を帯びながらたどり着く。
 静かに時が流れていく。
 時折マスターと世間話や共通の知り合いについて、二言三言会話を交わす。
 (渋いね)

 そして一時間後私はべろべろになっている。
 二時間後同じことを何度も口にしだす。
 三時間後呂律がまわらなくなる。

 そこを出て二軒目に向かう。
 すでに出来上がっている私は記憶が無い。
 
 三軒目、女を求めてふらふらと・・・
 ああそうじゃないだろ!

 酒場のネオンが恋しいナ。
 
2002年05月31日 20時49分06秒

5月30日 〜思い通りにならぬもの〜
 金。
 無くては困るもの。生きていけない。
 女。
 無くても生きていけるが、無かったら味気ない。
 人生。
 無かったら終わり。
 さてこの三つの中で一つだけ思い通りになるとしたら、何を選ぶだろうか。
 まず金。
 金が思い通りになり、金持ちになったとしよう。しかし女はいないし、人生は暗い。
 次に女。
 女を意中のままに扱えたとしよう。しかし貧乏でお先真っ暗。
 最後に人生。
 これは金が無くても女がいなくても、自分の好きなように人生を生きられる。(しかし金無いしも女もいないのだよ。ある意味独りよがりの世界かも)
 
 皆さんはどうだろう。
 金があれば女もなんとかなるし、人生も豊かになる(金で買える女だけど)
 女がいればそれだけで幸せだ。
 人生が豊かであれば、他に何もいらない。
 難しいようで簡単だよね。でも難しい。
 三つとも思い通りにならないから人は悩み、努力し、挫折し、もがくのだろう。
(ちなみに女の人は2番目を男に置き換えて欲しい)
 自分の思い通りになったら、それは神か悪魔だよナ。
 ヨワッチイ人間はそういう訳にはいかないか。
 
 一つだけ思い通りになるとしたら、私は自分の「生き方」にしたい。
 これは自分がそう思えば出来ることだ。
 あらゆる困難、誘惑、事情、それらは当然ある。
 しかし、「生き方」は自分がそう思えばいいことなのだから。
  
 思い通りにならない事だらけの世の中。
 せめて「生き方」くらいは自分で決めたいものだ。
 例え、そうならなくとも。
 何故なら「生き方」はこうありたいと人それぞれが思う、言ってみれば思念の世界なのだから。
2002年05月31日 01時10分38秒

5月29日 〜ハムスター〜
 プラスチックで出来た巣箱の中にティッシュペーパーが刻んで置かれ、その中で「マロ」は寝起きをしている。
 ケージは「マロ」に合わせて小さめのを買った。
 その中にトイレ、餌箱、砂浴び用の小箱、給水器が設置されてある。
 先述の巣箱はロフトになっていて、その為の梯子があり、床にはウッドチップが敷き詰められている。
 遊び道具としてトイレットペーパーの芯を入れてあるのはご愛嬌だ。

 まさに完全無欠の環境である。
 餌はもちろんの事、毎日こまめに巣箱や、トイレの清掃もしている。(私が暇だからか?)
 しかし懐かない。手から餌を食べることはあるが、自ら手に乗ってきたり、摺り寄ってくることは無い。
 
 私の飼っているハムスターは「ロボロフスキー」という種類で、ハムスターの中では一番小さい。
 だからかとても臆病である。あまり人には慣れないらしい。
 知らなかった(-_-;)一番可愛いから買ったのだ。
 しかし本当に可愛い(~o~)小さくて(5センチくらい)目は黒くて真ん丸で、口はおちょぼ口で、お尻はプリプリしてる。
 きょとんとした仕草をされた日には、全てを許したくなる。

 臆病で慣れないけど、観賞用として可愛がっていきたい。
 手の届かない絶世の美女でも遠くから眺めているつもりでネ。
2002年05月30日 19時57分21秒

5月28日 〜道なき道〜         
 久しぶりに飲む日本酒が喉から胃へと流し込まれ私は、酔っていた。
 しかし何故か美味しくなかった。
 西新の「わらじや」というところで、家人と家人の上司と酒宴を開いている。自然薯の料理を出す店だ。
 私は「菊水」「酔鯨」「菊姫」を飲んだ。
その店は徳利とお猪口に青竹を切ったのを使っている。それがなかなか乙なものである。
料理も旨かった。
 しかし私はいつものように酒宴を楽しむことはなかった。
 
 私は、今歩んでいる「道」を歩いていこうと決めた。
 前々からその「道」を歩きたかったのだが、なかなか決心がつかなかった。
 安定した「道」(いや「レール」といったほうがいいかもしれない)から離れるのを恐れていた。
 社会的にも、収入的にも安定したその「レール」から脱線する事を恐れていた。
 だが何故?
 世間体?成功するわけないから?生活?
そのどれもが私を思い留まらせていた。
 昨年の初め、私はこのままやりたくもない仕事を続けることに疑問を感じた。
 不惑まであと3年。今しかない。
幸い(?)にも私は独身で、身軽だ。
 仕事を辞めて、やりたいことをやろう。
人生一度きりだ。後悔はしたくない。
 今の仕事を中途半端に終わらせたくないから、一年間はがんばろう。そう思った。
 今年の末辞めて、一年間は頑張ろうと。
 退職金と失業保険で辞めて一年は何とかなる。
  
 家人と福岡で出会った。2年前にも妹の紹介で会ってはいるのだが、その時はそれだけだった。
 昨年、私が「道」を歩く事を決心していた5月に再会した。そして今度は「出会った」のだ。
 私は悩んだ。
 当初の私の計画は、こうだった。
 今年一杯で会社を辞め、一年間は「道」を歩いていく。もちろん東京でだ。
 しかし「出会った」以上それは難しい。
私はとかく駄目になりがちな遠距離恋愛を続ける為にしょっちゅう福岡に行っていた。
努力していた。
 どうする?東京に呼び寄せたら二人での生活は難しい。会社を辞めなければ可能だが、「道」はどうなる。
 今の会社の福岡支店に移動希望出すか。
それも「道」に行けない。
 私は会社勤めしながら「道」に進むという中途半端な事はしたくなかった。
 保険をかけたくなかったのだ。
 一か八かだ。
 悩んだ末、私は「道」と家人を取った。
すなわち会社を辞め福岡にて家人と暮らし、「道」を歩く。
 これがベストかどうかはわからない。
 苦渋の選択だった。
 胃がおかしくなるくらい悩んだ。
 この選択だと家人を巻き込んでしまう、これが一番のネックだった。
 「道」を捨てるか「家人」を捨てるか。
 どちらも出来ない以上こうするしか無かったのだ。
 後は「道」、自分の「道」を切り開いていくしかない。
 
 誰もわかってくれなくていい。
 しかし家人は解ってくれていると信じたい。

 エゴかもしれない。
 誰に何と言われようと自分の決めたことだ、このまま道なき道を歩いて行くつもりだ。
2002年05月29日 14時50分49秒

5月27日 〜ビデオ〜
 書斎のバルコニーにワインを片手に佇んでいた。
 遠くのほうに灯りが煌々と輝いている。
 あれは何の灯りだろう。
 右手にはマンションの灯りが各階毎についていて眩しいくらいだ。正面には一戸建ての家がまばらに建っていて、灯りもさらにまばらである。
 今は午前二時。
 草木も眠る丑三つ時である。
  
 今日は疲れた。事の発端は家人だ。
 今日は午後の九時から、さんまとキムタクが出てるドラマがあった。
 家人はそれを毎週楽しみに見ていた。
 もちろん今日も見るつもりだ
 だが私はたけしの「TVタックル」が見たい。

かくしてチャンネル権はもちろん私にあるので、家人はドラマをビデオに録る事にしたのだ。(ほかの部屋で見ればいいのだが。私の家はテレビが3台ある)
 そうして「TVタックル」も終わり、私は家人に「ビデオ見ていいよ」と言ったのだ。
 しかしいざ家人がビデオを再生しようとしても、画面は砂の嵐。
 「あれ?映ってないよ」
 家人はそう言うと無言で私にー何とかしてよーと目で訴えてきた。
 しょうがない。私も「家庭電器修理技術者」の資格を持っている男だ。(ビデオは“電子”だっけ)まあいい。こんなものすぐ直せるさ。
 配線を見直してみた。・・・
合ってる。おかしいな。私は色々試してみた。それでもビデオは砂の嵐だ。
取り扱い説明書も読んだ。おかしいところはない。
こうなりゃ意地だ。あーでもない、こうでもない、と私は最初から配線等を見直していったが、それでも駄目だ。こりゃビデオが壊れてるに違いない。
 私はそれでも念のため、確実に映像が入っているビデオを書斎から持ってきて(エッチ系ではないよ。念のため)セットして再生してみた・・・・クリアな画像が妹からもらった28インチのモニターから、私を驚かせるがごとく飛び出してきた。
 あれ?映るじゃん。
家人が録ったビデオを再生してみると、やはり砂の嵐。
 試しに私は家人の録ったビデオテープで、今やってる番組を録画してみた。
 巻き戻して再生!
 映っている。
 こらあ!お前の操作ミスだろう!
 私の貴重な時間を返せ!
 一時間費やしました。

 人間が作った機械に踊らされた一日だったよ。
 いや家人に踊らされたのか。
 踊る阿呆に見る阿呆。よしこのリズムで踊りたいわ!
2002年05月28日 02時45分39秒

5月26日 〜環境美化〜
 空一面に水色のペンキを撒き散らかしたかのような一点の曇りもない青空が、朝の澄み切った大気を覆っている。
 大地に目を移すと、木々の緑や麦の枯れ木色が、モザイクのように鮮やかに広がっている。
  
 地域の環境美化運動に家人と参加した。
 このマンションからは二十名くらいが参加した。
 皆罰金を恐れたのか、それとも環境美化に一役買おうとしたのか。まあいい事かな。
 何をしたかというと、このマンションから、志登神社というところまでのゴミ拾いである。
 各自ゴミ袋を持って、その神社までの道端のゴミを拾っていくのだ。
 「楽勝だな」
家人にそう言うと私たちは、作業を始めた。
 いい散歩になるよ。
 朝のさわやかな空気がおいしい。
 体の中の毒素が抜けていくようだ。
 たまにはいいもんだナ。
 
 作業は四十分くらいで終了し、私たちは部屋へと帰った。
 一時間くらい休憩した後、私たちは出かけた。
 家人が甥っ子の誕生日に何かプレゼントしたい、というのでそれに付き合うことのなったのだ。
 「マリノアシティ」というところに行った。
 ここにはアジアで二番目の大きさの観覧車がある。私は乗ったことはないが。
 そこで色々買い物をして、二時過ぎに家に帰った。

 第69回ダービーである。今回も馬券は買ってないが、ダービーだけは特別だ。見なければならない。
 ビールを飲みながら観戦した。私は岡部騎乗の「シンボリクリエンス」を応援した。
 武豊の「タニノギムレット」が勝った。
 強いな。皐月賞もマイルカップも旨く乗ってたら勝ってただろう。
 しかし武は凄いな。史上初のダービー三勝だよ。まだ三十二歳。記録を伸ばすのは間違いないな。
 私は三十七歳。堕ちていくのは間違いないな。
 いや!そんなこと考えてたら何も出来ない。失敗を恐れていたら前に進まない。
 私は平凡な人生が嫌だからこの道を選んだのだ。

 後悔はしたくない。どうせちっぽけな人生だ。ご意見無用だ。
 なら、ひとりでやればよかったのだが、家人を巻き込むことになったのが誤算だな。
 本当は自分の為に頑張る、といいたいところだが、そこに家人も入れておこう。
2002年05月27日 17時40分55秒

5月25日 〜MONSTER〜
 殺風景な私の書斎の片隅に薔薇とブルースターが活けてある。くすんだ赤の薔薇と清涼感漂わせる薄い青が対照的ではあるが、妙に合っている。
 
 妹から借りた「MONSTER]という漫画を18冊読んだ。「YAWARA」を書いた浦沢直樹の作品である。入念にプロットを考え、構成も詳細にまとめたのだろうが、一言で言えば不親切な作品だ、と思った。
 読者のことを考えたらとても、こういう書き方はしないはずだ。というのも章ごとに話が飛び、時空列も曖昧で、登場人物の関係がわかりにくいのだ。
 わざとこういう構成にして、読者の判断、想像力に委ねたのだろうが、作者の怠慢というそしりを受けても仕方がないように思えた。 
 ただ一気に読ませるという筆力は見事で、ラストまですらすらと読めたことは評価できる。
 思わせぶりなラストも読み手によって、いろいろな解釈ができて論議を呼んだのではなかろうか。

 今日から、短編を書き始めた。
 ある老人の物語である。導入部で苦労したが、なんとか8枚ばかり書いた。

 明日は8時から例の環境美化なんとか、とかいう清掃作業がある。
結局家人と2人で参加することにした。
 散々批判した私だが、一度出てみようと思った。
 日曜の朝から行動することによって、何か新鮮な気持ちが持てるかもしれないと思ったからだ。
2002年05月26日 09時26分48秒

5月24日 〜陽光〜
 私の家は、マンションの5階で角部屋である。間取りは3LDKで、私の書斎が北向きの6畳でバルコニー付き、リビングは13畳くらいで、その隣があまり使ってない6畳の部屋だ。この2つの部屋にバルコニーがまたがっている。寝室は東向きでベッドが置いてある。(私には贅沢だな)

 ここに引っ越してきてから、朝目覚めるのが早い。といっても7時くらいだが。
 カーテンが遮光じゃないからかもしれない。寝室が東向きなので朝日が日の出とともに窓いっぱいに射してくる。
 仕事をしているときは、ありがたい事だっただろうが、夜型の生活になってしまった今となっては、辛い。
 一度起きてから(家人は大体7時半に起きる)朝飯食ってまた寝たりと訳のわからない生活リズムを余儀なくされている。朝飯食わずに寝ることもあるが。
 そして昼頃本格的に起きる。その頃は陽光は南から射している頃で、家全体が太陽の光で眩しいくらい明るくなっている。

 今日も朝日の眩しさに私の睡眠は終わりを告げられ、いつもの一日が始まった。
 昨日妹に借りてきた本を読みきり、夕方からパソコンに向かっている。(小説書いたりしてるんだよ)

 太古の昔から陽光は我々生けるものに変わらず、大いなる恵みを惜しむ事無く与えてくれた。それを睡眠の妨げなんて言っちゃイケナイナ。

 近代になり灯りを自由に使い、夜も活動するようになった今の人間は、どこかおかしいのだろうか?文明社会は我々に多大なものをもたらしてくれたが、それはとてもじゃないが太陽の陽光には及ぶまい。

 そして今日も私は夜更かしをして、明朝陽光に怒られるのだろう。定職に就かず、夢を追い続けている私を夢から覚まそうとしてるのかもしれないナ。
2002年05月24日 19時48分36秒

5月23日 〜ばれた〜
 妹夫婦からテレビをもらった。28インチのBS内蔵型である。
 新しいのに買い換えたからくれる、という事らしい。豪気なものだ。
 それで先日我が家に遊びに来た家人の後輩のM子ちゃんに車を出してもらって、妹夫婦の家まで3人で引き取りに行った。(悪いね)
 でかい。我が家ではそれまで14インチのテレビだったから、およそ4倍である。これで我が家のテレビライフも楽しいものになろう。昨日テレビはあまり見なくなった、と
書いたがね。

 引き取りに行ったついでに、妹夫婦の家にお邪魔し、しばし歓談した。妹、家人、M子ちゃんと3人でおしゃべりしている間に、私はそこにあったパソコンをいじっていた。
 インターネットエキスプローラを開いて「お気に入り」を見てみると、そこには何と私のこの「屑の吐露吐露日記」があるではないか!私は妹夫婦には教えていない。ホームページを作ったことは教えたが。
 何故だ?検索エンジンにも登録されてないはずなのに。
 私は妹に、
「おい!なんで俺のホームページのURLがわかったんだ?」
と聞いてみた。すると、
「大ちゃん(義弟)があらゆる手段を使って探したらしいよ」
と返ってきた。
 うーん。まあ別に見られて困る事はないのだが、なんとなくいやな感じだ。私の私生活を身内に見られるみたいで。
 他人なら平気なんだが。しかし作家になるには己の恥や考え方等をさらけ出さなきゃいけないし、その第一歩と思えばいいか。
 
 その夜は義弟の誕生日だとかで妹夫婦は、うまい水炊きの店にいくらしい。私たちも水炊きで対抗しようと、夕飯は家人お手製の怪しげな水炊きを食した。旨かったんだが、これ水炊き?といった代物だった。
 
 テレビの迫力ある画面が私たちの前にある。テレビに出ている人たちは、文章どころか顔までさらけ出している。勇気があるね。
2002年05月24日 17時22分06秒

5月22日 〜テレビ〜
 最近テレビを見なくなった。見るとしたら夕飯の時くらいだろうか。
 昔は意味もなくテレビをつけて、特に見たい番組という訳でもないのに画面に見入ってたような気がする。無理やりリモコンでチャンネルを替えまくって、少しでも興味の湧く内容だったら、それを見ていた。生活がテレビに侵されていた。そして、大概低俗で、記憶に残らないような番組だった。
 今は本当に見たい番組しか見ない。数えるほどである。週に5本くらいかな。計5時間。

 「プロジェクトX」
 「その時歴史が動いた」
 この2本は必ず見る。後は番組表を見て、面白そうなものがあったら見る、といった程度だ。
 じゃあそのほかの時間は何してるかというと、パソコンに向かってるか、本を読んでいるか、マロと遊んでるか、それくらいだろうか。(暗いナ)

 もちろん家人とのコミュニケーションも大事にしている。これが最も重要だ。(家人が、これを見る事もあるだろうから一応ナ)

 なんか変化のない毎日だな。せめて自分が書いている小説だけでも、想像力働かせて変化のあるものにしたいね。
 テレビドラマになる位の面白いやつを書きたいものだ。
2002年05月22日 19時11分30秒

5月21日 〜ぽかぽか陽気〜
 いつもは夜になると肌寒くなるのだが、今日は暖かい。昼間は汗をかくほどだった。だんだんと初夏の陽気になって行くのだなあ。

 家人が帰ってきた。今は午後10時。会社のゴルフコンペの手伝いがあったそうだ。疲れきった表情だ。今は私の書斎でくつろいでいる。
 
 家人が帰ってくるまでは、机の上の空気清浄機のファンが回る音しか聞こえないくらい静かだった。この家は一人には広すぎる。3LDKもあるのだ。ひとつの部屋は洗濯部屋になっている。無駄かもしれないな。

 先程から酒を飲んでいた。ウイスキーのロックだ。 
 太陽光線による“ぽかぽか”もいいが、酒に酔っての“ぽかぽか”も私は好きだな。
2002年05月21日 22時37分48秒

5月20日 〜パソコンの調子が、、、〜
 パソコンの調子が悪い。ウインドウズが起動しないのだ。前々から電源入れてもすぐに立ち上がらないという不具合はあったが、何度かやり直せば起動した。ところが今回は駄目だ。2時間くらい延々とトライしたが一向に立ち上がる気配がない。
 困った。パソコンというより、ウインドウズのシステムが原因だろう。という事はまたしても、リカバリしないといけないのか?
 ショックである。今まで2回くらいリカバリかけたが、一応起動したのでバックアップとる事ができた。しかし今回は起動しないので、データが消えてしまう。何たる事だ。まあメールとマイドキュメントはDドライブに移動してたからいいとして、他のは、パーだな。
 てな訳で5時間位かけてリカバリした。
何とか起動することが出来た。しかしこれから他のソフトをインストールしたり設定をいちからやり直さなきゃならない。
 全く何だってんだ!今日は家の鍵は無くすし最悪だな。

 何とか終わった。ふう〜。
まあ終わったから、これを書いているんだがな。
 人間と違ってリカバリできるところがいいネ。私もリカバリかけて、若返りたいナ。無駄に過ごした時間が多すぎたよ。

 これらの無駄な時間も、なんらかの価値やら財産やらになってるのかナ。
2002年05月21日 17時46分46秒

5月19日 〜第63回オークス〜
 “スマイルトゥモロー”が第63回オークスを制した。
私は岡部騎手の“シャイニンルビー”を応援してたのだが5着に終わった。

 私はオークスにはいい思い出が無い。
当たった記憶が無い。それでは悪い思い出ならあるのか、特に無いなあ。要するに興奮したレースが無いという事なのだろう。

 私が今まで競馬で興奮したレースと言うのは2種類に分けられる。
 一つは、しこたま馬券を買ったレース。
これはもう、レースが始まる前からドキドキして、落ち着かなくて心臓に悪い。
ゴール前は絶叫である。
そして、ガックリとうなだれる。
私はギャンブル運が悪いのだろう。そういう時は大体外している。
 もう一つは、何かしらの感動を与えてくれたレース。
 実例を挙げると、“オグリキャップ”のラストランとなった、平成元年(?)の有馬記念。これは、その前の天皇賞、ジャパンカップと惨敗してたので、まさか勝つとは思わなかった。
 例の大川慶次郎が
「ライアン!」
と叫んでいたレースだ。
 4コーナーで先頭まで躍り出たときも、(どうせ、ゴール前で失速するだろう)と思っていた。私は祈るような気持ちで、
(粘ってくれ!)と念じていた。
 それがなんと、“メジロライアン”の猛追を振り切り先頭でゴール版を駆け込んだときは陳腐な表現だが、涙が出そうだった。
 まあアナウンサーが、
「右手を挙げた武豊!」
と叫んだときは、(おいおい、左手だろ!)と突っ込んでいたが。
 それと、“トウカイテイオー”のジャパンカップ。これも前回の天皇賞で負けていたので来るとは思わなかった。
 ゴール前の叩き合いでは、
「行け!行け!差せ!おらー!」
と絶叫した。
 私は岡部と“シンボリルドルフ”が贔屓だったので、勝った時は、
「よくやった」
と何度も噛締めるように呟いたものだ。
(どちらも馬券は外れたんだけどね)

 最近興奮というか、我を忘れて何かに熱中する事があっただろうか。そう考えるとなんてつまらない生活を送ってるのだろうかと思ってしまう。

 来週は日本ダービーだ。
 それまでに、”スマイルトゥモロー”の心境になりたいものだ。
2002年05月19日 16時53分11秒

5月18日 〜回覧板〜
 灰色の空が窓から見える景色を覆い、普段は青や緑の鮮やかなコントラストをぼやけた蜃気楼のように、映し出している。

 回覧板がきた。今時そんなものあるのか、と思っていたから驚いた。
 内容は今度の日曜日、ここいらの清掃をするから参加しろ、というものだった。
参加しないなら千円徴収します、とある。
 おいおい。なんだそれは?罰金制か?
まあ、そうでもしなければ人が集まらないのだろうが、こちとら
町内会費というものを毎月支払ってるんだぞ。しかも強制的に。ふざけるな!と言いたい。そんなのはボランティアでやるものだろう。
それとも何か?ここらの住人は、そうまでしなきゃ誰も集まらないのか?それなら、それでいいじゃないか。罰金まで取ってやる事じゃないだろう。大の大人が情けないわ。
 私は参加もしないし、罰金も払わない。
ただ単に清掃の呼びかけだけだったら、考えてもいいが、罰金制というのが気に食わない。そういう決まりに同意したつもりはない!

 こんな田舎でも、いろいろマンションとかが立ち並び、近所付き合いとが希薄になってるのだろう。そうでなきゃ、こんな馬鹿げた制度を作るはずが無い。
 
 今日の空のように、薄ぼんやりとした人間関係をこんな制度で無理やり明確にしようとしても、それは無理と言うものだ。
2002年05月18日 18時43分27秒

5月17日 〜酒〜
 近くの用水路を流れる水の音が静寂の中で一定のリズムを刻んでいる。まるで
〜君は独りじゃないんだよ〜
と私を慰めているかのごとく。

 私は辛く悲しいことがあると酒を飲んで、自分を慰めていた。
失恋した時、仕事上の失敗で落ち込んだ時、ムシャクシャした時、漠然とした不安感に襲われた時。酒はそれらを一時の間忘れさせてくれた。もちろん酔いが覚めれば再び、それらに苦しむのだが。
 いいのだ。ほんの少しの間でも忘れさせてくれれば。

 もちろん祝い事や、楽しいことがあった時の祝杯も、さらにそれらの感情を増幅させてくれる。
 なんて酒とは素晴らしいものなのだろうか。
「酒を飲んでも飲まれるな」
と言う輩がいる。いいじゃないか。中途半端に飲むよりよっぽど人間らしい。
 それによって他人に迷惑かけるのは、なるべくなら避けたいが仲間なら笑って
「しょうがねえな」
と言ってやって欲しいものだ。
全ては自分の責任においてやればいい。
(何てね、自己弁護かな)

 Tという飲み友達がいる。
彼の飲み方は、私の比じゃない。
(昔は私もそうだったかもしれないが)
 彼を夜の繁華街に放って置くと、ふらふらと酒場から酒場へと渡っていく。
そして翌日何も覚えていないのだ。
彼は昨日どういう行動をとったか財布の中身で判断する。一銭も残ってなければ大分はしごしたんだろうと判断するわけだ。
 ただツケでも飲む男だから、一体いくら使ったかは彼にもわからない。後日とんでもない額の請求書が届いて、初めて判る訳だ。
 彼のそういう酒場での行動を、私はいろいろな意味で微笑ましく思ってしまう。
一つは
「私より酷い酒飲みが居たものだ」とう安心感。
または、
「あれじゃ女も出来んわ」
という憐憫の情。
 翌朝反省するらしのだが、夜また酒場を徘徊している。
 そうそう彼はキャバクラが大好きである事も付け加えておこう。

 Tは東京で私は福岡。飲む機会は大分減ったが、また夜の酒場で羽目を外したいものだ。

 次はHの事を書きたいと思う。こいつも結構な酒飲みである。

 そして今宵も私は酒を飲む。
2002年05月17日 18時31分50秒

5月16日 〜ギャンブル〜
 書斎から見える田園が長きに渡ってそこにあるかのように、今日も変わらないでいる。季節が変わるたびに何かを伝えてくれるのだろうか。ゆったりとした時間が今日も過ぎていく。
 
 ギャンブルにはまってた頃は、時間の移ろいが退屈をするという事を忘れさせるくらい早かった。
 パチンコ、パチスロ、競馬、競艇、競輪。何でも手を出した。一攫千金を夢見てた。金が尽きるまで没頭した。おかげでいつも財布の中はカラッッポだった。
 一番はまったのは競馬だろう。前日から酒を飲みながら、競馬の予想し、情報交換し同じギャンブル仲間と語り合った。
 どんなに疲れてても競馬には出かけたものだ。馬券が的中したらビールを飲み、次のレースの予想に励んだ。
 もちろん外れることのほうが多かったから大体がオケラ街道をとぼとぼと歩いて帰ったものだ。
 しかし楽しかった。当たるかもしれないという夢があった。充実していたと言ってもいいかもしれない。
 そのせいか、私の経済状態は最悪であった。もちろん競馬のせいである。
 外れることの方が多かったし、当たってもあぶく銭と言うことで豪快に飲んだりして、手元には残らなかった。
 これではいかんと、競馬を封印し始めたのが、今から4〜5年くらい前か。
 それによって私の経済状態は改善され、まともな生活を送れるようになったのである。まあ3年くらいかかったが。
 しかし失ったものは多かったような気がする。燃えるものが無くなった。
飲み方もおとなしくなったし、明日の事を考えて飲むようになった。大人になったのか、年をとったのか。つまらない。

 今も大きなギャンブルをしている。今までのギャンブルは遊びだったが、今回のは人生を賭けている。やはり人生はギャンブルがないとつまらない。定期航路じゃ面白くない。
2002年05月16日 18時54分08秒

5月15日 〜雨〜
 ベランダに置いてある、捨てる予定のビニールで包装してあるガスコンロに雨が当たり規則的に音を鳴らしている。
 気のせいか最近雨が多い。こう多いと段々と鬱になってくる。思わず外に出て少し汗ばむ位の陽気に身を委ねてみたくなるくらいの一日を迎えてみたい。

 昨夜、家人の後輩の女の子が我が家に遊びに来た。結構良く喋る子で楽しいひと時を過ごした。
 キムチ鍋でもてなし、酒を飲んだ。マロとも鬼ごっこをして遊んだ。まあ追いかける一方の鬼ごっこだが。
そりゃそうだ。マロが人間を追いかけてきたら、これはもうホラーの世界だ。
 
 先日、大学時代の友人から「ホームページビルダー」のCDが送られてきた。
これを使ってさらに見栄えの良いページを作りたい。
 友人も諸問題を抱えて大変そうであるが、私にはどうする事もできない。相談等にはもちろん乗るが、非力な私はただ聞いてあげる事しかできないんだろうナ。

 今宅急便でリラックスソファーチェアが届いた。オットマンとテーブルがついた奴である。これで5900円。安い。これで読書したり夜景を見ながら酒を飲んだりして、疲れを癒したい。(疲れることしてるのか?)

 ふと気づくと、音が止んでいる。雨が終わったようだ。今度はマロが巣箱を目に見えないくらいの小さな爪でかきむしってる音が聞こえたきた。
2002年05月15日 16時07分37秒

5月14日 〜やれやれ〜
 昨日寝る間際、家人と喧嘩した。他愛も無いことなのだが。喧嘩というより私のほうが家人に対して呆れたといった方がいいかもしれない。
 どうして女はああなのだろうか?すぐ感情的になり、話も出来ない。思ってることと逆の事を言ってしまう生き物なんだろうか?そんな事言えば相手はさらに怒るであろう事を平気で口にする。火に油を注ぐことに躊躇がない。「それを言っちゃおしまいよ」、と言うことまで頭が及ばないのだろうか。
 
 今までの私の経験から言うと、喧嘩に至るまでと喧嘩が始まってからの女のタイプには3つあると思う(あくまで私の主観です)。

 1.じっと我慢して耐えるタイプ。

これは、喧嘩にならずに男が勝手に怒って結局男が折れる。しかしこういうタイプが怒ったら、2人の仲は収拾がつかなくなり終わってしまう。男に愛想を尽かしてしまう訳だナ。

 2.些細な事で喧嘩したりするが、自分から折れるタイプ。

今の家人がこのタイプかな。今のところ私は偉そうにして、決して謝ったりしないが、それは相手が折れるだろうと見くびっているからかもしれない。これを書きながら、やや反省。(私は昭和初期の男かい!とよく周りに言われる程偉そうにしているらしい)。

 3.決して折れないタイプ。

これは怖い。私も折れないタイプだから延々と冷たい空気が流れる。
 以前こういう事があった。
喧嘩の原因は忘れたが、私が仕事から帰宅すると女が部屋にいて座っていた。黙ったままだ。(これだけでも怖い)
よく見ると女は、バーボンのボトルを目の前に置き、それをロックで飲んでいたのだ。それも味わうとかと言うレベルじゃなくて、喉に流し込むといった趣で、まさに戦争の前の静けさと言った感じであった。
(怖い。怖すぎる)
私が何か言おうものなら、たちまちのうちに第3次世界大戦が始まってしまいそうな感じである。冷戦である。
 それからどうしたかと言うと、仕方なく私も同じように飲み始めた。2人で黙って飲む酒は、お互い何を考えているのかも解らず、ただ時が過ぎ行くのみ。結局、黙ったままベロベロになり寝てしまった。
 この時の恐ろしい、落ち着かない雰囲気は言葉では言い表せない。
 今思えば私のほうが謝ればよかったのだろうがね。それが出来ない男なのだからしょうがない。このタイプとはわたしゃ駄目だね。
  
 やっぱ2番目のタイプが私には合ってるのかな?解らないけどナ。喧嘩しても最後に仲直りすればいいか。

 やれやれ、家人もだが私も反省点だらけだね。
まあいいか。これから家人と出かけてくるわ。
2002年05月14日 14時38分02秒

5月13日 〜三昧〜
 読書三昧である。昨日は夜中の3時頃まで本を読み(ワインを飲みながら)、今日は昼過ぎに起きて、飯食って古本屋で数冊の本を購入し、今まで読んでいた。少々疲れ気味である。
 最近小説を書いていない。毎日少しでも机に向かわなきゃいけないとは思うのだが。「読んで!」、「書いて!」じゃなきゃナ。

 しかし「小説を書く」と言うことは根気の要ることだなと、改めて思った。論文やエッセイ風の文は苦にならずに結構スラスラと書けるのだがね。考えながら、推敲しながら、しかも細かな表現、描写、設定を丁寧にしかも大胆に書いていかなければならない。
 
 それだけでも大変なのに面白くないと(あらゆる意味で)、小説には成りえない。
 また書いたとしても、売れなければ食っていけない。その前に発表しなければならない。
 「ふう〜大変だね」

 まあ自分で選んだ道だ。とりあえず小説書くことに専念だな。

 読みも書きも三昧してみるか。もちろんお酒も忘れずに。これが無いと生きてる意味が無いからナ。
2002年05月13日 18時36分56秒

5月12日 〜だらだら〜
 だらだらしてた。昨日また実家で飲みすぎたようで、気持ち悪い。
 最近実家で飲むと飲みすぎる傾向にある。安心して飲めるからかな。どうもはしゃぎすぎるようだ。
 と言うわけで、のんびりとワインを飲んでいる(懲りないな)。

 家人は服を着たままベッドで寝ている。疲れてるとはいえ、そういうだらしない所
は嫌いだ。私はどんなに疲れてても、まずシャワーを浴びて、着替えて、それからのんびりするのだが(最近疲れるようなことしてないけど)。

 まあ昼間だらだらしている私に言う資格はないか。勝手にしろ!だ。
2002年05月13日 16時23分50秒

5月11日 〜不思議な関係〜
 家人と妹夫婦達と「海の中道海浜公園」と言うところに遊びに行った。
家人は朝から弁当を作って、それを持ってきていた。
 公園には義弟の車で行った。多少混んでいたが、小一時間くらいで着いた。
 天気は曇りで絶好のピクニック日和とは行かなかったが、雨が降らないだけましというものだ。
 入場して、まず「動物の森」とか言うところに行き、猿やらウサギやらを見て
家人と妹達は「カワイイ!」を連発していた。
 それからレストハウスで弁当を広げ、いつの間にこんなに作ったのだろう?思ったほどまともに仕上がった弁当を、私だけビールを飲みながら食した。
 食後はパターゴルフなどして、午後5時に公園を出た。なんか爽やかだナ。
 私がこんな休日を過ごすなんて東京にいた頃には考えられなかった。そりゃあ若い時分は彼女と動物園や遊園地に行ったりして健全なデートと言うものをした事はあったが、30を超えてからは皆無に等しかったのではないだろうか。
まあ今回はデートと言うわけではないがね。

 夜は実家で過ごした。昨日買った母の日のプレゼントを渡すためである。結局父と母と私、家人、妹夫婦の6人で宴会になり、またしても私は酔っ払って記憶を失くしていた。
 
 しかし最近妹夫婦と会うことが多い。何か変な感じだ。それもそのはず家人と妹は昔からの友達なのだ。私が家人と知り合ったのも妹に紹介されたからなのだ。
やりにくい事この上ない。家人と喧嘩すると、奴は妹に相談するし、それがたまに親にも報告されていたりする。浮気などばれたら親や妹に集中砲火を浴びせられそうである。全く持って不思議な関係である。
2002年05月12日 17時52分03秒

5月10日 〜母の日〜
 母の日のプレゼント買うために家人と出かけた。隣の駅の筑前前原と言うところである。雨が降っていて億劫だったが、家人も久々の休みだし、たまには良かろうという事で己を納得させた。
 駅に着いて、まず警察署に行った。免許証の住所変更をついでにする事にした。東京からという事で、写真が必要だと言う。近くに証明写真を取れる機械があったので、そこで撮り提出した。家人も変更してなかったので、まあこれだけでも出かけた意義はあったのかな。
 それから近くの「サンリブ」という、まあ「ダイエー」みたいなショッピングセンターに行った。
 母の日のプレゼントをあれこれ考えながら、店内をうろうろした。
帽子とハンカチそれぞれ2セット購入した。
私と家人の母親にだ。
 それから100円ショップに行って、色々買い込んだ。
 今は家にて寛いでいる。飯食って、風呂入って、ビール飲んで、これからワインを飲もうかなと思っている。
 
 明日妹夫婦と遊んだ後実家に行くつもりだ。
2002年05月10日 23時55分05秒

5月9日 〜男と女〜
 男と女の関係って何だろうか?
この年になっても解らない。異性がいないと耐えられない人もいるし、そうでない人もいる。最近わかったのは所詮男と女は解り合えないと言うことか。そりゃそうだ。考え方も違うし、体の機能も違う。
 互いの足りないものを補い合う存在なのか。しかし何が足りないのか解る筈も無くもがいている。
 自然と求め合うようになってるのか、確かにそうでないととっくに人類は滅びているだろう。
 時には安心し、色々共有でき、ときめくこともあろう。しかし大半は疲れる。
最初だけだ。愛してるなんて思うのは。
後は、まあ情かな。愛がなくなっても情が残ればいいが、それすら無くなれば無関心か憎しみしか残らない。
そう考えれば怖いなあ。
 特に結婚なんてした日にゃ、どうなるのか?経験したことないから解らないが。
我慢大会なのかなあ。
肉体的快楽を得るためだけなら金で解決できる。精神的快楽というか、安らぎを求めてしまう生き物だから色々トラブルが起きるのだろう。
 所詮恋愛なんて他人同士がするものだから(近親相姦なんてのもあるが)と割り切ることが出来ればいいのだが、そうもいかない。
 太古の昔から哲学者が考え続けてきても答えは出てないのだから、人それぞれで違うものなんだろうな。「永遠に謎」だな。
だから面白く苦しいんだろうナ。

 こんな事考えたのも結婚間近だからかな。今までみたいに簡単に別れられないからなあ。
私には向いてないような気がする。と言ったら家人に怒られるかな。
 
 いてもいなくても困る存在。それが男と女って事か。
2002年05月09日 18時40分00秒

5月8日 〜勧誘〜
 ベッドに横たわりながら本を読んでいると、玄関のチャイムが鳴った。出てみると新聞の勧誘だった。
 多弁な男で、聞きもしないのによくペラペラとしゃべり続けていた。
「ただいまキャンペーン中でして、3つのサービスからお選びいただいております。」
と言う。
1、無料期間が長い(但し1年契約で2ヶ月)
 
2、洗剤等のサービス
 
3、チケット等のサービス

「どれがよろしいでしょうか?」
私は「1かな」と答えた。
「2ヶ月じゃなく3ヶ月なら考えるよ」
勧誘員は唸る。
さらに唸る。
「わかりました。3ヶ月無料にします。」
「わかった。なら取ろうじゃないか。」
私は契約書に名前を書き印鑑を押した。
「ところでさ、洗剤とかくれないの?」
「え?あ〜わかりました。今持ってきます」
彼は洗剤を3箱持ってきた。切れたらまた持ってくると言う。
「ついでにさ、チケットとかは?」
彼はなんかの無料入場券を置いていった。
結局私は3つのキャンペーン全てを手に入れた。
 それでも新聞屋は儲かるのである。得したナ。

 家人が帰ってきた。事の顛末を話すと信じられないと言う顔をした。
今日は寒い。酒飲んで寝よう。
2002年05月08日 20時17分49秒

5月7日 〜マロ可愛い〜
 旅の疲れからか、昼の1時頃起きた。
家人は仕事でいない。朝飯兼昼食を取り一服。
 マロと遊ぶか。だんだん慣れてきたみたいである。手渡しで餌をやっても食べるようになった。食べるときの仕草がまた可愛いのだ。小さな手で餌をつかみ、口を一生懸命に動かして、上と下の歯を小刻みに噛み合わせて食べるのだ。
 生きるのに必死の様相なのだ。それがまた可愛い。
 こんな小動物でも生きることは大変なのかもしれない。私はどうだろう?少し落ち込んだ。
 今朝家人が出掛けに
「あなたの為に仕事がんばってくるね」
と笑顔で言い放った。
ドキっとした。私は家人の為に何かを頑張っているだろうか?人の為になんてオコガマシイかもしれないが、私を信じて着いてきている家人の為にも、せめて努力はしたいものだ。
 マロが必死で生きているように。
2002年05月07日 19時44分32秒

5月6日 〜帰宅〜
 昨日はなかなか寝付けなかった。
起きたら8時だった。私は小さなカプセルから出て風呂場に向かった。
 旅も終わりである。2人は既に出発してるであろう。
 身体を小奇麗にし、サウナを出た。岡山駅まで3分くらいか。着いて時刻表を調べ9時32分の博多行きの新幹線に決めた。
まだ時間があったので、ホームで立ち食いそばを食べる事にした。
 甘い。汁が甘い。関西風だな。しかも東京と違って、みんなうどんを注文している。食文化の違いである。
 私は子供の頃、大阪に5年くらい住んでいたが、東京が一番長い。18年住んでいた。
やはり東京の味がいい。特に蕎麦は。
 ともかく新幹線に乗り込み帰途へ着いた。
 昼の1時頃自宅に着いた。3日ぶりの我が家である。部屋はきれいに片付いていた。
炬燵を仕舞ったようだ。
 マロはとみると、元気そうだ。あー疲れた。やはり我が家は落ち着くよ。家人は仕事に行ってるようだ。
 私はベッドに潜りこみ、旅の疲れを癒そうと思った。寝付けない。伊集院静でも読むか。 
 いつの間にか眠ってしまったようだ。
時刻は夕方6時。家人からメールが来てた。
今から帰るという。家人とも3日ぶりだ。
今日は可愛がってやろう。なんてな。
2002年05月07日 19時20分13秒

5月5日 〜出雲大社〜
 出雲大社に行った。作家成功と家内円満を願った。神々の集まるところである。少しは聞いてくれるだろう。
 今日は出雲に泊まるつもりだったが、TとHが帰りがだるいので今日の内に出発したいと言う。まったく無計画なやつらだ。
 それで私は、松江発の夜行バスが空いてたらそれで帰ろうかと思ったのだが、満員であった。仕方ないので時間を有効に使うために急遽岡山に向かうことになった。
 岡山には深夜1時頃着いた。それから2日ぶりの風呂を岡山駅前のサウナで満喫しビールを軽く飲んだ。
 TとHは2時間くらい仮眠を取って出発するという。
私は新幹線なので、ややゆっくりできる。
 私だけカプセルで寝た。しかし異常に暑かったのでなかなか寝付けなかった。
結局4時位に寝たのかな。
 明日は福岡である。家人はどうしてただろうか?のんびりしてたかな。
2002年05月06日 23時10分09秒

5月4日 〜砂丘〜
 鳥取に向かった。砂丘が目的である。昨晩はTは疲れからか一人早く寝た。私とHはそんなTの顔に悪戯し写真に収めて遊んでいた。
 さて砂丘である。砂丘には14時頃着いた。今まで見たことのない景色であった。砂だらけである。不思議な光景が目の前に広がっていた。私たちは海辺に向かって砂丘を歩いていった。結構ある。障害物が無い為かやたらと広く感じる。雄大だ。
 その日は近くのキャンプ場に泊まる事にした。市がやってるところで無料であった。
 その日もしこたま飲み、途中で近くに同じくキャンプを張っている親父に
「うるさい!」
と怒鳴られるハプニングがあったものの、楽しく過ごせた。
 そうそう今日の夕食のメニューは昨日と同じく焼肉バーベキューだった。
ワイン5本飲んだ。
 いつのまにか3人寝ていた。途中雨が降った。
2002年05月06日 22時21分25秒

5月3日 〜待たされた〜
 今日から山陰旅行である。まず朝6時半にTに電話で叩き起こされた。
「今どこ?」とT。
「家。7時に出る。」と私。
まあ実際は8時に出たのだが。
 それはそうと今回もいつもと同じく、何も計画を立てずに行き当たりばったりの旅行である。待ち合わせ場所はもちろんの事、宿泊場所も決めてない。毎年こんな感じで何とかやって来た。 
しかし例年と違うことが一つだけある。
それは私が東京にいないという事だ。
 例年のメンバーは3人で、私とTとH。
TとHは東京に住んでいる。私も今年の3月までは東京にいた。しかし今回は福岡である。
 よってどこかで待ち合わせしなければならない。
当初は鳥取か出雲あたりで合流する予定だった。しかし福岡からだとアクセスが今一なのだ。それで姫路で待ち合わせることにした。
 前日Hに電話をしたところ、朝には姫路に着くから、なるべく早く来てくれと言われた。私は待たされるのが嫌なので、11時を目処に姫路待ち合わせでいいだろうと思ったのだ。
 しかし私が姫路に着く頃、あやつらはまだ箕面あたりで、14時頃になるかも言い放ったのだ。
 こらあ!なるべく早く来いと言ったのはそっちだろ!こんなところで3時間も待ちたくない。それで私は仕方ないので、神戸まで行ってやる事にした。
そこでも2時間待たされた。私は新幹線だが、奴等は車、仕方がないか。
 結局14時頃落ち合った。これからどうするか。まだ何も決めてない。とりあえず、姫路に向かった。
 途中で、奇跡的にキャンプ場に予約が出来た。そこは兵庫県の三木市と言うところの、グリーンピア三木。
そこに、19時頃到着。同じ敷地内の風呂に入りテント設営。飲みまくった。
2002年05月06日 22時05分38秒

5月2日 〜吐いた〜
 朝吐いた。昨日のつけである。
私は飲んでるときは何ともないのだが、翌日くる性質なのだ。
 明日から旅行である。体調を整えなければ。といいつつワインを飲んでいるが。
2002年05月03日 00時17分35秒

5月1日 〜妹夫婦
 妹夫婦が来た。家人を入れて4人で焼肉パーティをした。今日も酔っ払った。死んだ。
2002年05月03日 00時08分28秒

4月30日 〜初夏〜
 27度まで気温が上がったそうだ。
ぽかぽか陽気である。 
 今日も古本屋に行って10冊ばかり本を購入した。帰宅して何冊か読破したのだが、こんな天気の良い日に部屋で読書とはね。
書を捨て街に出よう!ではないがこれでいいのだろうか?
まあいいか。

 数日後は山陰ツアーだ。天気がよければいいのだが。
2002年05月01日 14時01分29秒

4月29日 〜集金〜
 ガスと新聞の集金がきた。
私は相変わらず3百円しか持ってない。
昨日家人に金置いていくように言っていたのだが、忘れたようだ。
 「金が無い」というのも恥ずかしく、私はここの主じゃないふりをして切り抜けた。
ガス屋は私のことをここの子供だと思ったらしく(インターホンゆえ顔は見えない)急にぞんざいな口調になったが、仕方ない。「こら!わしは37歳の立派な大人で、かつここの主だぞ!」と言いたかったが、それが3百円しか持っていないというのも情けない。
 
 今のところ無収入である私は、なんとか貯金で食いつないでいる。収入は家人の給料だけである。
持ち株もこの日本の経済状態ではいいはずもなく、売るに売られぬ塩漬け状態となっている。
8月からは失業保険が下りるものの、それも今年いっぱいである。
 なんとか金を得るために動かなければ。
無謀な挑戦を成功させて、金持ちになりたいものだ。
2002年04月29日 19時59分39秒

4月28日 〜再度〜
 昨日の続きだ。頭きたから再度リカバリかけてやる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・5時間経過・・・やはりだめだ(T_T)/~~~デフラグかけてみる。変わらない。う〜んOSの問題だと思ったのだが。 
 最初にこの問題が起きたのは、メモリを増設した時からだった。それで購入先のサービスに出したりしたのだが、メモリは関係ないと言われたのだ。増設したメモリを外せば普通に起動したので、問題はそこのあるとしか思えない。
こら〜!どうしてくれようか。一度立ち上がれば問題なく稼動するからいいようなものの、何度もトライするのが面倒なんだよ。この問題は未解決事項としてとりあえず保留だな。

 ところで今日ベッドがきた。今まではフローリングに直接布団を敷いていたのだ。
よって寝心地は悪く、全身ところどころが痛かった。これで安眠できるよ。
早速組み立てることにした。家人は仕事でいないので、一人でしなければならない。
 まずねじで固定だな。おい!固すぎるぞ。今使ってるドライバーは取っ手の部分が細くて力が入らない。
仕方ない、まともなドライバーを買いにいくか。財布をみる。3百円しかない。
今日は日曜日、銀行はここらの田舎じゃ開いてないのだ。どうしようか、と思案に明け暮れてみる。
とりあえず行ってみるか。
結果は買えなかった。カードも使えない店だったし、もちろん銀行は開いてない。あと2百円足りなかった。
大の大人が3百円しか持ってないというのも問題だが。
 仕方なく安っぽいドライバーを力の限り強引にまわしてなんとかした。疲れた。
さらにダブルベッドだから、色々なものが大きいのだ。しまった!一人じゃ無理だったか。しかしここまできたら意地でもなんとかしてやる。
 2時間後無事完成した。へとへとである。
そこに家人が帰ってきた。私は事の顛末をおおげさに吹聴し、いかに大変だったかを延々とまくし立てた。いや実際大変だったのだ。
まあいい。これで安眠できると思えば。
くつろぎのスペースが一つ増えたな。
 くつろいでばっかりと言われそうだが。
2002年04月29日 14時52分19秒

4月27日 〜パソ壊れた〜
 パソコンの調子が悪い。一ヶ月位前からだ。起動時にエラーが出て何度も再起動かけないと立ち上がらないのだ。
 いろいろとやってはみたのだが。
それでリカバリかける事にした。私の場合、meからXPにアップグレードしたので面倒くさい。
 まずリカバリかけて初期状態に戻し、それから再度XPにアップグレードしなければならないのだ。
 計5時間。なんとか作業も終わり、バックアップし忘れたファイルとかもあってショックを受けつつ、ソフトをインストールし直して、いざ立ち上げてみた。
 ん?、、、むむ?変わらない。やはり起動時にエラーが出る。おい!!!!今までの苦労は何だったんだ!ウインドウズの問題じゃないというのか。疲れた。
今日はもう止めた(T_T)/~~~
2002年04月29日 14時20分34秒

4月26日 〜のんびり〜
 朝からハローワークに行ってきた。
第一回失業認定日とかいうやつだ。
書類を書いて提出して、5分で終わった。
まじかよ。
昨日飲み過ぎた私は気持ち悪かったので、早々に帰途に就いた。
 帰って昼寝した。今日家人は友達の結婚式とかで実家に帰る。
 夜独りで夕飯を食い、のんびり酒飲みながら本を読んだ。たまにはいいものだ。
 一般の人たちは早い人で明日からゴールデンウイークらしい。
昨年のゴールデンウイークは友達と佐渡に行った。小汚い民宿に2泊した。
今年は山陰地方に行くつもりである。
まだしっかりとした予定は立ててないが、いつもの事なので心配はしていない。
鳥取砂丘や出雲大社など見て回るつもりである。まあほとんど飲んでることであろう。
2002年04月27日 14時18分45秒

4月25日 〜だるい〜
 体がだるい。最近ずっとだ。やはりメリハリのある生活してないからだろうか。
運動もしてないし、他人との関わりも家人以外ない。これって異常事態ではないだろうか。家人かマロ。
 メールとかなら毎日やり取りしてるが、会話はない。いかんな。
 昔なら独りでプラっと飲みにでも出かけたのだが、最近は気力もないし、その前に店も知らない。開拓しようとも思わない。
精神衛生上よろしくないな。
明日はハローワークの日だ。久しぶりに人に触れてくるか。
2002年04月25日 22時56分27秒

4月24日 〜変化なし〜
 また今日も意味も無く過ごしてしまった私がいる。ただ家人の帰りを待っている私が。
 今日は家人と共に早起きし、朝飯を食べて、新聞を読み、テレビを見てた。
途中眠くなり、色々な事考えながら再度寝床に就いた。昼過ぎに起き、伊集院静の「三年坂」を読んだ。
 なんてお気楽な生活だろうか。
 
 昔、そう17年位前、私が大学1年の時も同じような生活をしてた事があった。
少し違うかもしれないが、今と似ている。
 当時私は入学した大学が志望校と違った事もあり、学校に行くのが嫌で仕方が無かった。というより全く行ってなかった。
 志望校に再度チャレンジしょうと思い立ち、再受験の準備を始めていた。
 実際受験勉強をし始めていた。
しかし、浪人生とは違い、一応大学生だった私は、やはり甘えがあったのだろう。今ひとつ勉強に身が入らず、結構自由な時間を過ごしていたように思える。
好きな本を読み、パチンコもたまにしていたし、酒も飲んでた。郷里の友達とも会ってたし、要するにやりたい事をやってた訳だ。
 或る意味、今と同じかもしれない。
しかし、あの頃は若かった。何も恐れてなかった。やり直しが効いた。今はどうだろうか?無謀な試みであることはわかっている。
そういう時私はこう考える。
「人生一度きり」と。

 17年前は再受験に失敗し、大学1年時の単位はゼロだった。2年生からやり直し、3年間で、人が4年かかる単位を何とか取り、無事卒業した。

 今回はそうもいかない。あの当時と違って、不安があり責任もある。
だが私は根っからの楽観主義者。
何とかなる事を信じて、邁進しよう。
 
 そうするしかないのだから。
 「人生一度きり」だ。
2002年04月24日 20時12分47秒

4月23日 〜伊集院静〜
 直木賞受賞作「受け月」を読んだ。
一気に読んだ。誰にでも或る人生、生活のひとコマを描いた作品だった。簡単に書けそうだと思った。しかし人に読ませるものを書くという事はたやすい事ではないだろう。
 人物の設定、物語の創造、表現力、読む人への訴求力。これらが合わさり融合して初めて作品となるのだとしたら、これは難しい。
 伊集院静の他の作品が読みたくなった。

 ちょうど家人から電話があった。どこかに出かけない?という。家人は今日休みで、歯医者と美容院に行っていた。終わったらしい。
特に行きたい所は無いのだが、例の古本屋でも行って、伊集院の本でも買うかな。
 朝から降っていた雨も止んでることだしな。
 そうだ帰りにでも前々から気になってた、近所のバーでも行ってみるか。うん、そうしよう。
2002年04月23日 16時24分56秒

4月22日 〜読書三昧〜
 起きてから昨日購入した本をずっと読んでいた。2冊読んだ。唸った。
 読者を思わず引き付ける小説というものは、なかなか無い。今回のは読んで正解だった。J・グリシャムの「法律事務所」だ。
トム・クルーズ主演で映画化までされたその原作である。
 とてもこういうのは書けそうも無い。
綿密な取材と専門知識それと想像力。
想像力ならあるが。
 しかし情景描写と人物設定の丁寧さには、舌を巻いた。まさに「仕事」だ。
駄文を書きなぐってる私とは大違いである。
 これからもう一冊の伊集院静の本を読みたいのだが、家人もいるし集中出来そうも無いな。明日にするか。
  
 となるとやる事は一つ。
今日は梅酒でも飲むか。まあもう飲んでるけど。
2002年04月23日 00時23分48秒

4月21日 〜古本屋〜
 今日古本屋に行った。昔から古本屋はよく利用してるのだが、なんと家の近所に本屋がないのだ。図書館もないし、作家になろうとしている私にとってすこぶる環境のいい所なのだ(笑い)。という訳で仕方なく古本屋に行ったという次第である。
 不思議な事にここらには、古本屋が3軒もあり(それも郊外型のでかい店)貧乏人の私には重宝している。
 最近凝っている、J・グリシャムの「法律事務所」上下巻と伊集院静の「受け月」を買った。3百円也。
 それらを午後3時位から今まで(今午後8時)読んだ。
 
 家人が帰ってきた。お疲れさん。これから夕飯だ。仕事に炊事に大変だなあ。
洗い物くらいは手伝うが、他は全部家人がこなしている。私も書きかけの小説仕上げなければ。
申し訳が立たないよ。
2002年04月21日 19時46分33秒

4月20日 〜雨〜
 雨がしとしと降っている。家は静かだ。
雨の音だけが聞こえてくる。マロは寝ている。家人は仕事だ。私だけしかこの世に存在しないみたいだ。
 本屋にでも行こうかなとも思ったが、雨音を聴いて止めた。暇である。

 意味も無く煙草をふかしている自分がいる。こんな事でいいのだろうかと自問する。
解からない。
  
 モラトリアムも限りがある。時間は無限ではないのだ。シャワーでも浴びてくるか。
2002年04月20日 18時26分21秒

4月19日 〜やや〜
 やや酔っ払っている。ワイン1本空けた。家人は疲れているのか炬燵で寝ている。
焼酎に切り替えた。家人が起きて来た。
 今午前2時。家人が風呂に入るという。
全くタフなんだか何なんだか。
明日も仕事だというのに、偉いものだ。
 私が働いていた時には、睡眠優先で1時には寝ていた。しかも特に忙しくないだろうと予想される時には、朝もゆっくりしていた。
直行やらなんやら理由をつけて。
家人にはそれが無い。遅刻もしなければ、ずるやすみもしない。偉いものだ。
 私は13年間のサラリーマン時代常に楽しようと心がけてきた。いかにサボるかが私の命題だった。
もちろん最低限の仕事はこなしてきたし、また実力以上の成果を出してきた事もある。
 たまには仕事にやりがいを感じた事もあったし、充実感も味わったりした。
 それだけである。天職と思った事は無かったし、一生これで食って行こうとも思わなかった。
 生きる事をなめていたのかもしれない。
行き当たりばったりで、将来も考えず、その日暮らしのようなものだった。
深酒して憂さを晴らし、その時が楽しかったら良かった。これからもその姿勢は崩すつもりは無いが、生きる目的が作家として成功せなばと変わった以上、改めねばならない所も出てくるだろう。
 これから頑張っていくぞ。納得するまで。
グラスに焼酎注いで、そう思った。
2002年04月20日 02時32分11秒

4月18日 〜顔合わせ〜
 豆腐懐石の店で私と家人の両親との顔合わせを行なった。
 昼間というのに一人3500円も取られた。
もちろん、私持ちである。
 会は和やかなムードで進み、まあ一言で言えばつつがなく終わったという所か。
 しかし料理の量には驚いた。次から次へと運ばれてくる。一品一品の量は少ないのだが、それが20種位出てくるのだ。元々小食の私は、半分くらい残してしまった。勿体無い。その代わり酒は人一倍飲んだ。
最初はビール、次に焼酎のロック。家人の両親は、ほとんど飲めないということで、私と自分の親父とで、代わりに飲んだ。
 最後に私が締めの挨拶をピシッと決め会は終わった。

 その後私は飲み足りなかったので、近くで飲みなおそうと思ったのだが、私の案に乗ってくる人は皆無で、仕方なく家人の両親の買い物に付き合う事にした。この時午後3時半。
 私はほろ酔いで、買い物なぞ付き合いたくなかったのだが、たまにはよかろうと思ったのだ。
 それから延々2時間。30分くらいで終わるだろうと思ってた私の目論見は簡単に打ち消され、徐々に酔いが覚めてきてけだるくなっていた。
自分の親なら文句言ってそうそうと引き上げるのだが、なんせ家人の親、仕方なく最後まで付き合った。

 それから家人の両親と別れ、家人と飲みに行った。のだが、その店で「福岡泡盛会」とか言う団体の宴会が催されていて、うるさいのうるさくないのって言ったら。
 辛抱たまらなくなった私は、その店を早々に出て、意味が解からないが、妹の地元で飲む直す事にした。もちろん妹も誘って。
 10時間連続(途中買い物に付き合わされるというハプニングがあったが)飲み続けた私は、もうグロッキーである。
 おやすみなさい。
2002年04月19日 17時44分47秒

4月17日 〜会社って〜
 会社を辞めてから、3ヶ月以上が過ぎた。
あの忙しい日々は何だったのだろうか。
 といっても私はマイペースでやってたので、それほど忙しかったという実感は無いが。しかし時間を奪われていたのは、確かである。
 時に心地よい充実感もあれば、何でこんなくだらない事に私の貴重な時間を費やさないといけないのだ、と思った事もあった。
 会社の人達やお客さんに気を使い、荒れて飲んだくれた事もあった。逆に気を使わなくていい仲間とも巡り合って楽しい時間を過ごして飲んだくれた事もあった。
(飲んでばっかり)
 
 今思えば、会社勤めしているということは、ある種、社会の一つのコミュニティに所属しているという安心感みたいなものがあった。私は一人では無いという。
 人間は、人間の社会に生まれ出る。
そして最初から、その身体性そのものにおいて、他者の存在を予定している。
つまり人間は、一人では生きられないようになっているのだ。

 私は今、会社を辞め作家になろうともがいているわけだが、ここにも逃げられない何かがある。どうあがいたって真の自由人には、なりきれない訳だ。

 とりあえずは、会社から逃れ、それと同時に仲間も失ったわけだが、こうするしかなかったのだ。自分のやりたい事やるには。
 
 最近元いた会社の仲間から、電話があった。この愚にもつかない日記を見たというのだ。
見たなら何か書き込まんかい!
盗み見はいかんよ!
Kさん。Mちゃん。N君。
 思えばアホばっかりだったな(^o^)丿
しかし、みんな頑張っていた。
仕事は一生懸命だし、夜は飲んだくれてたし、半端じゃなかったな。
 私は仕事適当で、夜活躍していたが。
 
 せっかく会社辞めて未知の世界に飛び込んだのだから、悔いの無いようやるつもりである。
 マロも何も考えてないアホのようでも、私に飼われてるという不自由さがあるのだなあ。
ふと見ると幸せそうに寝ているよ。
 
 明日は私と家人の両親との顔合わせ。
ここにも逃げられない人間界特有の何かがあるのね。
2002年04月17日 17時28分32秒

4月16日 〜職安〜
 ハローワークに行ってきた。二度目である。
 今日は、なんか説明会みたいなもので、老若男女およそ40名ばかり集まって、熱心に聞いていた。
 まあ、私の場合就職するつもりは毛頭なく、失業保険をもらう為の出席である。
 しかし色々な顔ぶれだったなあ。私みたいにいかにも失業保険の為だけに、出席してると思える人もいれば、真剣に職探しに来てると思える人、または何しに来たの?と一見感じられる人もいた。
 みんな生きてるのね。それなりに。

 しかし今日は朝から雨で蒸し暑い。
先程シャワーを浴びてすっきりしたものの、また汗が滲み出てきそうだ。

 そうそうハローワークの帰り、散髪に行ったのだが(初めて行く店)、入ったら普通、いらっしゃいませ、の掛け声と共に席に案内するだろう?しかしその後何も言わないのだ。もちろん満員だったら、自然と待合席にて、待つさ。それほど愚かではない。
しかし、ガラガラなのだよ。
 「???」
 良く理解できないまま「待つの?」と聞いたら、なんやらレジで若造が、もごもご言ってる。もう一度
「待つのかい?」
と優しく聞くと、
「前金です」
だと。
 こらあ!わしは初めてなんだよ!そんなシステムなんぞ知るか!俺がまごまごしてるの見てただろ!だったら、恐れ入りますが前金でお願いします、くらい言わんか!
と言いたいのを、ぐっと我慢し
「あっそう、いくら?」
と再度優しく聞いてあげた私は、我ながらアッパレであった。 
   
 しかし福岡って、そうなんか?
前金システムなんか?よくわからん。

 なんにしても客商売の何たるが、全く解かってない奴らが、多すぎる。

 この前もあるコンビ二で、こういう事があった。
 深夜酒を友達と部屋であおって、酒を切らした私たちは、近くのコンビ二に酒とつまみを、補充しにいったのである。
 一通り買うべきものをかごに入れ、そのまま店を後にしたかったのだが、不本意ながらレジへと(冗談だよ)、金を支払いに行ったのである。
いつものように兄ちゃんがレジを打ち始め、それが終わり、
「○○円になります」と言われるのを私はおとなしく待っていたのだ。
 しかし無言。そして無言。
とっくにレジ打ち終えて、商品は袋の中。
「ん?」
なんだこの静寂は。なにかあるのか?
しかし何もありそうも無い。
にらんでも、兄ちゃんは何も言わない。
普段は温厚で優しいと巷で定評の私も、つい、
「だからいくらなんだよ!!」
と店中に響き渡る、渋いバリトンで叫んでしまった。
「あ、○○円です」
最初から言えや。ぼーっとしてるんじゃないよ。
これがかわいい女の子だったら、私もここまでは言わない。だがしかし、いかにも生意気そうな小僧だったので、今後の彼の為を思って、優しく諭したのだ。

 そういう奴は首にしてハローワークでも行かせればいい。世間の厳しさが骨身にしみてわかるだろう。以上、無職で作家になろうと戯言抜かして、世間をなめきってる男の意見でした。
2002年04月16日 19時14分48秒

4月15日 〜小動物〜
 今日我が家の住人が増えた。
以前から欲しがっていた、ハムスターでる。
 名前はマロとした。由来はあるのだが、ここでは書かない事にする。
 家人に魔露はどう?と聞いたら、嫌がったのでマロとした。
 今も元気良く、動き回っているが、一つだけ気になる事がある。
アホなのだ。 
せっかく巣箱用意したのに、そこには近寄ろうともせず(ロフトだぞ)、地べたで寝ようとするのだ。
風来坊で、だらしない私ですら、どんなに酔って帰ってきても、寝巻きに着替え、ベッドに寝るというのに。
まだマロハウスに慣れてないのであろうか。
宗男ハウスなら分るが。
 何時間見てても飽きない。
今は梅酒のソーダ割り飲みつつ、マロを眺めている。
 暇つぶしのおもちゃが出来てよかった。
2002年04月16日 00時18分13秒

4月14日 〜半人前〜
 気持ち悪い。吐きそうである。実際先程戻してしまった。  
 昨日飲み過ぎたようだ。
 近頃、酔っ払うと或る時間から、まったく記憶が失せてしまう事がある。
 これって、アルコール依存症の第何期くらいの症状なんだろう。
 
 昨日、実家にて久しぶりに全員が揃った。
しかも、その伴侶も揃っていた。
 甥っ子と初めて会った訳だが、
最初は人見知りして、私と目を合わせないようにしていた。電車のおもちゃをやると、途端に愛想がよくなり、
だっこしても、嫌がらなくなるまでになついてきた。
 そんな訳で、久しぶりに楽しい時を過ごし、ついつい飲みすぎてしまったようだ。
 といっても、覚えているのは前半だけで、後半はあまり覚えていない。
長男として、恥ずかしくない行動を取っていただろうか?心配である。

 ま、何にしても酒の力とは、偉大なもので、普段はあまりしゃべらない私も、はしゃいでいたようである。
弟嫁とも普通に話していたように思える。
まあ、記憶は無いのだが。

 しかしあの俺の後をくっついてまわっていた弟が、父親とはなあ。
俺と違って、堅実で地に足を付けた生活してたからなあ。

 まだ、正式に結婚もしていない私は、まだまだ半人前であるとつくづく思った。
 
 その前に無職だろ!と言われそうだが。
2002年04月14日 18時00分49秒

4月13日 〜甥っ子〜
 今日は、実家に行く。
弟夫婦と甥っ子が岐阜から来てるのだ。
 弟とは妹の結婚式以来、弟嫁とは彼らの結婚式以来。甥っ子に至っては、初対面だ。
 話によれば、嫁は変な奴で、間が抜けてるというか、おっとりし過ぎてるというか、暖簾に腕押しというか、何か意思の疎通が、出来ないタイプらしい。
 俺はせっかちで、言葉がきついタイプらしいので、みんな二人の対面を恐れてるが、何、かわいい弟の嫁、やさしく接するに決まってる。
ただ、話しかけても、反応なかったら、「こらああ!」とやさしく返事を促すだけに過ぎない。
 何にしても楽しみである。
 どうせ飲むと思うので、さらに強烈な突っ込み、乱暴な口調で相手をもてなす事であろう。
 話は変わるが、何と今日も朝から宅配便で起こされた。
宅配便は結構なのだが、何故朝早いのだ?
家人曰く、ここら辺はお年寄りが多いから、早く持って来ても起きてると思ってるんでしょう。だと。
そんな訳あるか!そこまで気使う訳ないだろ。全く訳分らん。
ここは田舎だから、配達量が少ないんだろうか?
それとも近くに配送センターがあって、
まずこの地域から、配達して行くのだろうか?
それとも、惰眠をむさぼる私への嫌がらせだろうか?
 確かに朝はゆっくりしてるが、夜遅くまで起きてるのだ。
とにかく、宅配便に起こされるのは、納得いかん。
 大体、東京に住んでた時と違って、夜遊びしないし、女遊びだって一切してないのに。
 関係ないか。
朝から、家人は私を怒らせるし。
 あらゆる怒りを持って、実家に行ってくることにするか。癒されに。

 さらに怒りが増すかもしれないが。
2002年04月13日 15時44分03秒

4月12日 〜またもや〜
 今日もまた、朝から叩き起こされた。
今度は書留だった。しかしオートロック開けてやり、玄関まで出てやると(無論眠い目をこすりながら)
 「坂田さんですか?」
だと。
おいおい表札にちゃんと名前出てるだろ!
うちは、○○だよ。坂田じゃないよ!確認してから、呼べよな。
 嫌がらせとしか思えないよ。
 しょうがないから、起きて顔洗って、朝飯食って、新聞読んで。何てさわやかな朝なのだろうか。食後は入れたてのコーヒー。
うむ、いい香りだ。
 その後は執筆活動だ。とここまで書いてたら、家人から「ご飯できたよ!」との声。
一時中断。ちなみに夕食、今は午後8時。
 あれから、3時間。
飯食って、ワイン飲んで、浅見光彦シリーズ「黄金の石橋」をテレビで見てた。
 さて本格的に飲むか。
 そうそう夕方にも、「書留です!」
また「坂田さん」だった。
おい同じ書留だろ!もって来た人は違ったが、ちゃんと申し伝えしとけよ!
 今から1985年のワイン飲もうっと。
2002年04月12日 23時03分22秒

4月11日 〜宅配便〜
朝早くから、宅配便のお兄さんに起こされ私はすこぶる眠い。
何も朝の8時過ぎに来なくても、いいではないか。
 皆朝から労働してるのに、私だけ寝ているのは、許せないという事なのか。
しかも代引き。たまたま金があったからいいようなものの、朝早く起こされ、しかも金までふんだくるとは。
 という訳で、送ってこられたのは、「新鮮快缶」という怪しげな空気清浄機なのだ。
といっても見た目はジュースの缶みたく、小さな代物で、電池で動かす消臭剤みたいなものだ。
マイナスイオンを発生させるとかで、まあ興味本位で買ってしまったのだ。
 今すんでいるマンションは昨年、建てられたもので、まだ新築同然で、ヘビースモーカーである私は、部屋を汚さず、匂いもつけず、本数も減らしなさい、というまさに三重苦の肩身の狭い思いで喫煙している。
 当初は換気扇の前でしか吸わない!
と宣言していたのだが、いちいち、寛いでいたり、仕事(おいおい、仕事って何だよ)
してたりすると、立ち上がって換気扇まで行くのが、面倒くさくてたまらない。
それで煙草による被害を最小限にとどめる為、あらゆる努力を惜しまないようにしている。
その一つが空気清浄機であり、この度購入した、この「新鮮快缶」なのだ。
 まあこれが値段の割りに(ハムスター並みの値段)効くのかどうかは、数日後に判明するであろう。
今は、私の書斎に鎮座ましましている。
偉そうに、その場を占拠できるか、ジュースの空き缶みたく、燃えないごみとして、リサイクルされるかは、君次第だよ。
と私は、今日9本目の煙草に、火を付けて、つぶやいたのであった。
しかし腹減ったなあ。家人はまだ帰ってこない。
待つ身の辛さなり(-_-;)
2002年04月11日 17時02分01秒
4月10日 〜何なんだ〜
 全く女ってのはどうして、アアナンダロウか。まあしょうもない事なのだが。
 今日家人と妹と母とで(既にこの組み合わせが怖いが)日帰り温泉にでも行くかということで、とりあえず実家に行ったのだが(実家は電車で20分弱にある)
やはり出かけるのもだるいから、買い物でも行こうかということになったのである。
 俺は無職で暇だから、手乗り文鳥でも飼おうか、とまあこう思ってたわけだ。
しかし世話が大変だという妹の意見を聞き、
じゃあハムスターなら大丈夫だろうと思い、ハムスターの売ってる、とあるショッピングセンターらしきとこに行こうと相成ったのだ。
 母も孫の服やら買いたいと言ったので、まずそれらしき店を4人で廻り、服は買わなかったものの、雑貨品等買いこんで、
最後にペットショップに向かったわけだ。ここまではいい。
 そして俺がまず飼育用のカゴを見て、どれがいいかなとわくわくしながら至福の時を過ごしていると、まず家人が、
「カゴなら実家にあるよ!」とまあやや無駄遣いを戒め、
さらには物を有効活用すべきだと、妥当な意見を宣はれたのだ。
 すると母も妹も束になって「そうよ!もったいない。実家から持ってくればいいじゃない、今日は我慢しなさいよ!」と言い始めたのだ。
 こら3人攻撃かい!と思いつつ、俺は何の為にここまで来て買い物まで付き合ったか分ってるのかあ!!ハムスター買うためだろうが!それは貴様らも分ってたはずだろうが、今更何抜かしとるんじゃ。と喉まで出掛かった言葉をぐっと飲み込んで、
俺は、じゃいいわ!と捨て台詞を吐きながら、外にタバコを吸いに行ったのである。何て俺って大人なのだろう。
それを全く女共は。
なめられとるな、こりゃ。疲れたわい。
 まあ、ハムスターごときの小動物に振り回された、俺も俺だが。
 以上愚痴でした。
2002年04月10日 23時23分28秒
4月9日 〜暇〜
 今日は独り。まあ家人は働き、俺は無職なのでいつもの事なのだが。
 しかし今日は家人は休みなのである。どうして独りかと言うと、同僚の出産祝いに出かけてしまったからなのだ。せっかくの休みなのに。
「一緒に来ない?」とは言われたが知らない人だし、気使いそうで拒否した。それで何をしていたかと言うと、まずこのホームページを少しでも見栄えをよくするために悪戦苦闘していたのだ。大して変わってないが。
まあ勉強して少しづつよくしていこうかと思う。
 先ほど家人から電話があり遅くなるとの事
。申し訳なさそうだった。怒られるとでも思ったのだろう。俺はちゃんと連絡さえすれば、よほど遅くならない限り怒ったりしないのになあ。
 まあという訳でこれから小説でも書く事にするか。
2002年04月09日 18時14分04秒

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