2003・3・1〜3・31
2003・3・31(月)
月末
決算で忙しい人もいるかもしれないが、今の私には関係ない。ただ3月が終わったというだけだ。年度末でもあるが、ただ2002年度が終わったというだけだ。
しかしある意味区切りでもある。人間はこうやって区切りをつけて、メリハリを感じないと生きているという実感が湧かないのかもしれない。そしてその区切りを自分の中で利用して、新しい生き方を求めるのかもしれない。
元旦もそうだが、3月末というのはさらに我々に根付いた区切りかもしれない。今までの自分に別れを告げ、新たなる生き方を求めるにはいい機会だ。そう今の自分に忸怩たるものを感じている人は、やり直せばよい。
うまくいかないかもしれないが、やってみよう、変えてみようと思う事だけでも大切な事だろう。
うむ、自分に言い聞かせているみたいだな。
2003・3・30(日)
国益
今盛んに国益という言葉が世の中を飛び回っている。そこで考えてみた、一体国益なるもの正体とは何だろうかと。 国益、その字が示す通り国の益、つまり国の利益だ。しかしその利益とは国によって異なるし、何より価値観が国によって違うのだから論ずる根拠がない。
究極の国益とは国民の生命と財産の維持ということになろうか。しかし独裁国家にはこれは当てはまらない。その地においての国益とは独裁者の生命と財産の維持だろうから。
ここに独裁国家とそうでない国とで理念の違いによる対立が発生する。
それぞれの国がそれぞれの国益を優先して外交活動を行うことは当然だが、そこには妥協というバランス感覚が必要になってくる。勝手気ままな意見のごり押しは当然他の国の反発を招くし、結果それは国益にはならない。
今回のアメリカの態度はまさにこれではないだろうか。
今世界は情報という網で繋がっている。他国の動静が逐一ニュースとして入ってくる。それらの情報を鵜呑みにするのは危険だが、参考には出来る。つまり我々大衆にも判断材料を与えられているわけだ。もちろん国家機密などは分からないが、世界が今どうなっているかくらいは分かる。
本音を言えば、他国がどうなろうと知ったことじゃない、と言う意見が大多数ではないだろうか。しかしここに落とし穴がある。世界は今あらゆるものでリンクしている。経済もそうだし、資源、軍事もそうだ。そしてそれらの危うい均衡の中でかろうじてパワーバランスが保たれているのだ。
対岸の火事ではないのだ。
それぞれの国が国益を求める事のイコールはまた他国の国益を尊重しなければならない事だと気づかねばならないと思う。これらは全世界の国々が気づかねばならないのだが、それは人類が愚かである事から脱皮できないように、無理な事だろう。
歴史を紐解いてみると、科学は発達し、国家のありようも発達してはいる。しかしここから先に進むことはないように思ってしまう。ここまでが精一杯の成熟なのだろうか。
今日本は欧米型の競争社会になりつつある。競争に勝たねば落ちこぼれると言うわけだ。もちろん資本主義である以上競争は必要なことだろう。しかし過度の競争がもたらすものの悲劇が今回の結果となってはしまいか。
2003・3・29(土)
花見
桜坂の動植物公園で花見をした。いとこや両親、妹夫婦たち計9人と花見酒と洒落込んだ。外はまだ寒く酒の力をもってしても、それは拭い去れずに2時間くらいで引き上げた。
近くに住む、いとこの家に移動し、花見の勢いはそのままマンションの1室に持ち越された。
結構飲んだのだろう。いつものように後半の記憶は所々途切れている。昼間から飲み始めたので、酔いも早く散会したのも早かった。夜8時頃には家路に着いていた。
帰宅後も酒を飲んだようだが、あまり進まなかったらしい。
一人でしみじみ飲む酒もいいものだが、大勢で飲む酒はまた格別である。
2003・3・28(金)
ラッキー
仕事が5時に終了した。3時からだったから2時間しか働いていない。契約では8時までだから3時間得した事になる。もちろん給料は契約どおり支払われる。理由は仕事がないからという至極簡単なものだった。仕事内容や給料面で大いに不満があったこの仕事だが、こういうところはあっさりしていていい。無理やり仕事を作らずに、仕事が早く終わったら、さっさと切り上げる。この合理性は評価できる。
しかし来週からは徐々に忙しくなるだろう。恐らく残業はないだろうが、今まで以上の能率を要求されそうだ。
博多駅近くの紀伊国屋書店に寄った。2時間くらいいた。買いたい本が山ほどあったが、吟味して3冊だけ購入した。
帰宅すると家人の後輩のM子がいた。彼女は今恋をしている。悩み相談を受けた。というか話したかったのだろう。小1時間は聞かされただろうか。写真も見せられた。外見からは想像もできない程奥手の彼女の恋が実ればいいのだが、うまくいかなくともそれはそれで人生の糧になるだろう。
2003・3・27(木)
ふくらはぎが
博多駅から仕事場まで片道20分徒歩にて通っている。距離にしておおよそ2キロくらいか。往復で4キロだ。年のせいか今までの運動不足のせいか、帰宅するとくたくたで、ふくらはぎが張った感じで、筋肉痛だ。うーむ、たった4キロの徒歩でこんな結果になってしまうとは我ながら情けない。
毎日こうやって歩いているというのに、未だそれは解消されない。しかも1日8時間くらいパソコンに向かっているので、目は霞むし肩は凝る。
そろそろ40歳だ。四十肩にならないように今から気をつけていかないといけないな。
2003・3・26(水)
仕事の期間が
今日仕事に行くと、派遣会社の人が我々派遣社員にこんな事を発表した。それはこういうものだった。
「契約期間は変更となりました。4月末で終わりです」
最初の予定では5月9日までだった。どうやら仕事量と派遣社員の給料を秤にかけた結果、仕事量のほうが軽かったらしい。まあ私としては黄金週間も休みがなかったので、例年通り旅行に行けるかなとほくそえんだのだが(家人と乳児を置いてか?)、予定が狂ったのも事実だ。
作家としての修行は当然ある程度の収入がなければやるべきものではない。昨年は失業手当でそれを補い(家人の給料もあったが)、今年に入ってからは、この仕事でそれをなしてきた(微々たるものだが)。
予定がやや早まっただけだが、その分仕事探しも早まる。来月には仕事の合間を縫って、それをやらねばならぬ。
今の派遣会社から他の仕事を紹介されるかもしれないが、それは未定だし、こんな安い給料ではやってられん。
仮に正社員になるとしても、今更やりたくもない仕事をするのは不本意だし(おいおいこの不況の折に何を言ってるのだ)、不本意である事はしょうがないとしても、少しでも好条件(内容と金)のところを探したいのは偽らざる本音である。当たり前か。そうなるとなかなかないだろう。安易に決めて、辞めたくなったら意味ないし、私はそう簡単に辞めない人間だから、不本意のまま続けていくだろうし。
子供も生まれ、そんな事は言ってられないだろうが、せめて私の本音としてここに記す。本当は仕事なんかしなくて、ずっと作家修行したい。そしていずれは成功したい・・・・・・のだが。
だが来月から仕事探しをしなければならないのだ。
言っとくがこれを見て、人生なめてるのか!という下らんお説教や意見は無用だ。そんなことは百も承知だ。自分の心情を吐露するのがこの日記だからな。
俺たち家族に何の責任も無い奴の意見なんてうっとうしいだけだ。
まあその前にやる男だけどな、私は。
2003・3・25(火)
ちょうど1年か
東京から福岡に来て1年が過ぎた。さほど時の移ろいは感じないが、中身を考えると大いなる変化があった。
今までだと、過ぎた1年にさしたる変化はなく、また1年が過ぎたなあという感覚しかなかったが、今回の感想はそれとは余りにも相違がある。
まずは会社を辞めて、東京を離れた事だろうか。これは大きい。大げさに言えば、人生の転機であった。それを自ら決断し、実行するに至るまでは悩みに悩んだ。心の中では決断できても、いざそれを実行しようとすると、そのシーソーは行ったりきたりするのだ。あらゆる事柄を一つ一つ吟味し、どうしたらよいかを、客観的に判断し、そして最後は主観で決めなければならない。またそう決断した以上は後悔はしたくないし。
次は結婚した事だろうか。これは前述の決断にもリンクしていた。よってこれには決断を必要としなかったが、大いなる変化としては最上級だろう。一人で歩んできた人生を二人で歩む事になるのだから。そして子供が生まれる。
私の人生の大きな転換点となった1年であった。
2003・3・24(月)
5連休
今日で5連休が終わる。私の昼間の仕事のである。今までは研修期間だったが、明日からは本格的に始動するのだ。15時から20時までという中途半端な時間帯に移行する。
これからは土日以外毎日仕事だ。疲れた、といった理由で執筆をさぼるのが目に浮かぶ。
もしそうなったらお前の覚悟なんて所詮そんなもんさ!といって嘲ってくれ。
2003・3・23(日)
花見
そろそろ花見の季節である。私は大學の頃から毎年この季節になると花を愛でて季節の移ろいを目で耳で鼻で体で感じていた。まあそれは二の次で酒をおおっぴらに野外で飲めることに喜びを感じていた。
昨年までは東京で花見をし、徳川吉宗が庶民に花見と言う行事を残してくれたことに感謝しながら、江戸情緒を楽しんでいたのだが(嘘付け)、今年は福岡にてそれに意味を見出さねばならない。というかどこでやるべきかすらわからないのだが。
桜の木の下には屍体がどうのこうのとか書いた作家がいたが(梶井基次郎)、そんなわけあるはずもなく、日本人にとって桜は特殊な意味をもつ、何と言ったらいいか、象徴みたいなもので、満開の見事さもそうだが、散り際の儚さもまた、心に響くものがある。花に嵐である。そうこの季節はまた。別れと出会いの季節でもある。
私はあと2週間ほどで今まで経験したことの無い、出会いと遭遇する事になる。それは楽しみでもあり、また怖くもある。
2003・3・22(土)
今日で何日目だ
20日から5連休である。休みに入ってから一歩も外に出ていない。3日目だ。
家人は買い物等で外出しているが(出産準備のため退社した)、私は家に閉じこもりっぱなしだ。
何をしているかと言うと、大概の時間を読書か執筆に充てている。まるで入院患者か引きこもりだな。それが大して苦にならないから、それはそれでいいと思っている。
コタツで読書をすると眠くなるし、書斎では疲れるから、最近はベッドに寝転びながら本を読んでいる。傍らにはタバコと電子辞書を置いている。傍から見るとだらだらしているように見えるだろうが、こっちは真剣だ。意味の分からない単語があったり、あやふやなのがあるとすぐに電子辞書を引く(打つかな)。
好きな事していられていいなあ、と思われるかもしれないが、好きで楽しく読む本はあんまりない。知的好奇心を満たす為か、勉強の為である。よってジャンルは種種多様で、時には我慢して読む本もある。
まあ今日は比較的、読みやすい本であったが。
といっても普通の人は、そんなに時間を取れないだろうから、やっぱりそういう意味では幸せなのかも。お気楽なのかもな。
2003・3・21(金)
晩酌
毎日晩酌をしている。家で飲むゆえ量は少ない。それがいけないのだろうか、中途半端に酔うものだから、気分も中途半端である。かといって量を増やすと翌日がきつい。
ちんたら飲むからかもしれないな。ぱーっと飲んで寝てしまえばいいのだろうが、ちびちびと長時間飲んでしまう。
私は飲み始めるとすぐ酔ってしまう。顔が赤くなり、酔っているのが傍目にもわかる。しかし飲み続けるとやがて醒め、普通に戻る。それゆえ寝るまで飲み続けるということになる。
その普通の状態において、私は日記を書いたり、小説を書いたりしている。まあ小説の方はさすがに破綻しやすいので、すぐ止める。いくら普通の状態といっても酔っていることには変わりないのだから。
これではいけないな。
今日はまたテレビで「巨人の星」がある。先週の続きだろう。深夜の2時からだ。今日はそれを見てから寝ることにするか。
2003・3・20(木)
戦争
終に始まってしまった。アメリカによる対イラク攻撃がだ。
この事について、少し考えてみたい。単純に戦争反対と叫ぶのは簡単だが、そんな事は誰でも出来るし、また誰でもが思っている。
2つの観点から考えよう。
まずこの戦争は何なのかを考えたい。
言うまでも無くこれは戦争だ。戦争には互いの言い分、そして客観的な見方がある。
アメリカにとって、この戦争の大義名分は大量破壊兵器の解除にあった。これはイラクが国連の勧告を無視してきたから、その行使をアメリカが行ったとも言える。しかし今年になってイラクは国連の査察団を積極的に受け入れ、武装解除にも形の上では協力してきた。それゆえ急激な情勢の変化はなかった。つまりイラクが武装蜂起して、対世界、いや対アメリカに攻め入ることは当面なかったはずだ。それより未だ大量破壊兵器は査察団によって発見されたわけではなかった。
では何故アメリカは国連の決議をないがしろにしてまで、また他国の反対を押し切ってまで攻撃を開始したのか。危険が迫ってきたからという理由は前述したように、成り立たない。
石油か?テロ対策か?ブッシュ政権の維持か?先の湾岸戦争の続きか?世界をアメリカの言いなりにしたかったのか?
イラクを開放して真の民主主義国家に仕立て上げたいなどど言うが、そんなもの余計なお世話だろう。内政干渉だし、その論理を言い換えれば、アメリカにとって都合の悪い国は、全て攻撃して、都合のよい国にしたいという事だろう。そんな尊大な事が、そんな権利が一国にあるとでも言うのか。
確かにイラクは独裁国家で民衆は苦しめられているかもしれない。しかし中東の国々は形は違えど、ほとんど独裁国家ではないか。
都合のいい大義名分は、まさに言葉によるこじつけであって、本当は単なる侵略だろう。それを国益というなら、世界は再び帝国主義に戻ってしまう。愚かな「戦争の20世紀」を繰り返そうというのか。イラクはいずれアメリカに不利益を及ぼす、そんな理由で専制攻撃していいのか。
アメリカの論理を世界がこぞって行使したら世界の秩序は瞬く間に崩れ去るだろう。
国連による査察とはつまり話し合い外交の一環でもある。外交努力もせず最後の手段である戦争によって解決する事は、ある意味怠慢でって、傲慢である。
もちろんイラクにも問題はある。国連を無視し続けた事と独裁国家である事だ。しかしここにアメリカの言い分に大きな矛盾が生じる。それは国連を無視したイラクを攻撃したアメリカもまた国連を無視したと言う事だ。
歴史観という大きなくくりで言わせてもらうなら、人類は全く成長してないと言う事だろう。未だに愚かな戦争を繰り返している。これは人類の業なのか。
そうだろう、地球上にいくつもの国家があり、宗教があり、人種がある以上、真の平和など訪れるはずもない。世界が一つになる時は、エイリアンが地球を攻めてきた時くらいだろう。もちろんその一瞬のまとまりの後、エイリアンによって滅ぼされるだろうが。(突飛すぎるだろうか)
まだまだ書き足りないが、次に行きたい。
日本はどうすべきか。
今回日本政府はいちはやくアメリカ支持を打ち出した。これはしょうがない事だろう。日米安保が日本にとって唯一の身を守る砦だからだ。素早い支持はアメリカの信頼を得ただろう。まあアメリカは日本がそうせざるを得ない事をわかっていただろうから、その事については何の杞憂ももっていなかっただろうが。
日本には自国を防衛する手立てがない。アメリカに守ってもらうしかないのだ。自衛隊には防衛するほどの戦力はないし、また憲法改正しなければ、微力な戦力を発揮する事すら出来ない。
つまり現状では不可能なのだ。アメリカに守ってもらうしかない。
しかしただアメリカの言いなりになっていればいいのか。それは単なる奴隷だ。意思というものがそこには存在しない。
これからただ単にヒトとして生き延びるだけでいいなら、つまり日本の国体を維持できるならどういう形でもいいというなら、それでもいいだろう。しかしそれはすでに日本人ではない。自分たちで考え、行動するといった基本的な営みが無い限り、それは奴隷に身を落としたヒトだろう。
安保を最重要視しなければならないのは分かる。しかし対等な(形式上)同盟国たらんとするならば、盲従はやめて、忠告なり意見なりを述べるべきだろう。
このままだと日本は世界から冷笑されてしまう。いや既にされている。そして影の薄い国になってきている。
ああまだ色々書きたいことはあるが、今日はこの辺で終わろう。
最後に。
私の理想はもちろん世界平和である。何も出来ない以上、せめてこの戦争に反対を表明して、これを自分の歴史に刻み込みたい。
2003・3・19(水)
予行演習
派遣先の会社で仕事のピーク時における処理が、今の体制で出来うるかの予行演習が行われた。今日は3時から8時までのシフトであった。来週からこのシフトで仕事をする。
ピーク時をにらんでの仕事量が割り当てられた。その緊張感からだろうか、私は普段よりも効率よく仕事をこなす事が出来た。会社側が求めてる処理能力をクリアした。
昨日までは、その目標値に20%くらい足りなかったのだが、今日はそれを上回った。まあそんなことはそうでもいいのだが、これでこれから先の目処が私なりに立ったことは大きい。
そんな中、世界では大変なことが起きようとしている。このことに関しては、原稿用紙100枚でも書ききれないくらいだ。あえて一言で私の見解をまとめるなら、所詮世界は力の原理によって、左右される矮小なものでしかない、と言うことだろうか。
アメリカに対抗し得る国が存在しない今、唯一の歯止めになり得た国連が、ああも簡単にその効力の無さを露呈したら、残念ながら全世界はアメリカによって間接的に支配されていることを認めざるを得ない。
フランスやドイツまたはロシアに至るまで、異議を唱えてはいるものの、その視野にはアメリカとうまく付き合っていく事が盛り込まれている。そして逆らえないことも分かっている。
明日あたりイラクへの攻撃は開始されるであろう。また明日そのことを書こうと思う。
湾岸戦争は結果的に今回の予行演習だったのかもしれない。
2003・3・18(火)
母と妹
4時頃我が家を訪問してきた。
母は、先輩としての助言を家人に伝えていた。出産について、子育てについて、多岐に渡っていた。
それから4人で夕餉を囲み、私だけが酒を飲んだ。
明日は3時出勤である。その分終業は遅いがね。そろそろ昼間の仕事が忙しくなる時期だ。
2003・3・17(月)
なし
特に書くこともなし。
2003・3・16(日)
春雨(しゅんう)
朝から雨がしとっていた。こんな日は昔覚えたこんな句を思い出す。
「身をしるあめはふりぞまされる」
意味は、(自分の)身を知る雨(悲しみの涙の雨)は(外の雨より)さかんに降っています、と言う感じだろうか。
特段悲しみを抱いているわけではないが、そんな気にさせる雨だった。
出かけるのも億劫なので、終日本を読んでいた。雨音も聞こえないほどの静かな湿りだった。やがて薄灰色の空に闇が覆いかぶさってきた。遠くの稜線が薄暗くなった空を支えている。
体が重い。書斎を離れ隣の部屋のベッドに横たわった。東側の小窓の表面には水滴が一面に張り付いている。
ゆったりとした時が流れていく。
雨は嫌いだが、こんな日なら許せる気がする。
さあ天然のシャワーではなく、人工のシャワーを浴びて、くたびれた腸の皺に酒でも流し込むか。
2003・3・15(土)
WEBカメラ
家人は出かけていった。前の同僚と会うらしい。8時頃帰ってきた。2人の同僚も連れてきた。
この2人は私も何度か会ったことある。披露宴にも来てくれた。小1時間くらいで帰ったが、披露宴の写真を見てはしゃいでいた。女も3人集まればかまびすしい。
ところで先日購入したカメラだが、監視用のソフトもついており(防犯カメラにもなるのだ)、今日はそれを試してみた。映像に何か不審なものが映ると(動きを感知して)警報がなるのだ。
おお、確かにカメラの前で動くと警報が鳴る。まあパソコンも立ち上げてなければならないが。
子供が生まれてベビーシッターを雇って、もし虐待などしていたら、その証拠にもなるな(そんな訳ないか。というより雇うわけないけど)。
2003・3・14(金)
巨人の星
講談社から月2回出ている「ジョー&飛雄馬」と言う雑誌を創刊から買っている。これは今から30年程前に「少年マガジン」に連載されていた漫画である。
誰もが知っている「巨人の星」と「あしたのジョー」の復刻版だ。どちらも原作は今は亡き梶原一騎である。「あしたのジョー」では本名の高森朝雄でクレジットされていたが。
若い時に両作品を全巻通読していたが、改めてこうした機会に読み直してみてもなお、感動する。色あせない作品なのだろう。
深夜めずらしくテレビを見ていたら、2時頃だったろうか、映画版「巨人の星」が始まった。これは何と言う僥倖だろうか。少し眠かったが観賞することにした。
ストーリーはもちろん知っている。しかしがっかりした。これはテレビアニメのダイジェスト版みたいな作りで、ストーリーの説明をナレーションで誤魔化すといったような、お粗末なものだった。切れ切れなのだ。明らかにテレビアニメの継ぎはぎだ。制作年は確認しなかったが、恐らくアニメが人気絶頂の頃、お手軽に作られた、商業主義に乗っ取った駄作と言えるだろう。
結局4時半まで見てしまった。
2003・3・13(木)
自画像
仕事の帰りにヨドバシカメラでWEBカメラとUSBハブ(ポート4つ)を購入した。悩んだ末の買い物だった。買うのは決めていたが、どれにするかで小1時間かかった。結局訳のわからないメーカーのを買った。3980円だった。
帰宅して、風呂や夕食などを経てから、セッティングした。
「おお!俺が映っている」
私のパソコンの画面に私の顔が鏡のように反射している。妙な感じだ。このカメラには録画やモニター、ビデオメールの機能が使えるソフトがついていた。安い割にはまあまあだ。
今のところ知り合いでカメラを持っているのは私だけだから、これを使ってメッセンジャーなどをやると、私の間抜け面だけが公開されることになるので、当分は他の機能で楽しみたい。スナップショットも撮影できるので、メールやホームページの写真くらいはこれでまかなえるだろう。
深夜ちょっとだけ友人に私の映像を見せてやった。パソコンを通して乾杯できるな。
2003・3・12(水)
疲労困憊
今日は家人と出かけた。久しぶりではないだろうか。
まず姪浜の図書館に行き、5冊借りた。それからマリノアシティというショッピングセンターのような所に行き、私はPCデポ、家人はどっか他の店へとそれぞれが違う行動をとった。
WEBカメラを買おうかと思ったのだが、適当なのがなく、私は何も買わなかった。ああ無印良品でシャツを買ったくらいか。
帰り際に腹が減って、坦坦麺を食い、帰途についた。それから何を思ったか100円ショップに行きたくなり、筑前前原のダイソーに行く事になった。我が家の駅から1つ先の駅である。
結局そこでも欲しいものはなくて、訳はわからんが、振り回すと音が鳴る、中が空洞のふにゃふにゃした1メートルくらいの棒みたいなのを買った。意味が全くわからないが、帰りにそれを振り回して遊んだ。
まあこれはハムスターの遊び道具になるだろうと踏んで買ったのではあるが。奴らは狭いところが好きなので、こういうパイプのようなものの中に入るのが大好きなのだ。
38歳のおっさんが自分の楽しみのためにこういうものを買うわけがない。本当だぞ。
2003・3・11(火)
妹来る
家人と3人ですき焼きをした。私はさほど酒を飲んでないのに顔を真っ赤にして、色々話をした。
3時間くらいいたのだろうか。普段は家人と2人きりなので、賑やかでよかった。
この家は実家と妹の双方の家から、やや遠い。といっても電車で20分くらいなのだが、福岡人はそれを遠く感じるらしくて、我が家にはあまり来ない。まあ私の方もあまり行かないのだからお互い様だが。
子供が生まれたら、頻繁に来るのではなかろうか。お互い出不精だからな。家人と妹は結構外出するのが好きみたいだが。
明日はお休みだ。
2003・3・10(月)
電子辞書
ネットオークションで電子辞書を落札した。17501円だった。これには広辞苑他16冊分の辞書が入っている。前から欲しかったものだ。広辞苑はよく引くのだが何せ分厚く重い。持ち運ぶなんでとんんでもない。今までは薄い簡易辞書みたいなものを持ち歩いていたが、これは語彙も少ないし、しょぼいのだ。これからは常に持ち歩いて、疑問に思ったことをすぐ引ける。ベッドで本を読んでいても、わざわざ書斎に辞書を取りに行かなくてもよくなる。
便利な世の中になったものだ。だがもちろん紙の辞書の良いところはある。ある言葉を引く時に他も言葉まで目に入り、同時に見られる事だ。しかもわざわざページをめくって探すという行為には、その作業に対して、特別な工程が存在し、その分後々まで記憶中枢に刻み込まれるというメリットもある。
双方メリット、デメリットがある。だが相対的に考えると電子辞書に軍配があがるかな。定価は45000円で、ヨドバシカメラで24000円くらいだった(ポイント15%つきで)。色々ネットで探したが、まあまあお得な買い物だったと思う。もちろん新品である。
2003・3・9(日)
ベッドで本を
起きてからずっとベッドで本というか文芸誌というか、まあ「オール読み物」を読んでいた。
不思議な短編があった。奥田秀朗という作家の「空中ブランコ」という作品だ。
普通に考えればどうってことのない作品だが、何故か惹かれた。登場人物が面白いのである。
ああ不思議な小説だ。
昨日書いたが、これに黒岩重吾が「天平捕物帳」というのを連載し始めていた。もう続きは読めない。
私は今バーボンを飲んでいる。自殺などしないで作品を出し続けた作家は、恐らく書きたいことが山のようにあり、そしてそうせざるを得なかったのだろう。酒など飲んでる場合ではないな。
2003・3・8(土)
三島由紀夫
やっと「仮面の告白」を読み終えた。感想は「今日の読書」に書いたが、まだまだ書きたい事は沢山ある。まあそれは何れ書こうと思う。
彼は知ってる通り壮絶な自殺を遂げた。私は思う。文学者であるなら何故作品で世に問わなかったのかと。芥川も太宰も川端もみんなそれぞれの理由で自殺した。
今日黒岩重吾の訃報を聞いた。79歳?だったか。ついこの前ある文芸誌で伊集院静と対談していた。そしてその文芸誌で連載も始めていた。もちろん自殺ではない。
ああ今私は酔っている。
三島の作品は大學の頃一通り読んだが、これを機会にまた読み直してみよう。
2003・3・7(金)
大雨の中
朝から大雨だった。こんな日はどこにも出かけるべきではない。
しかし今日は2つの理由で出かけなければならない。それは仕事ではない、今日は休みだ。
1つはファンヒータ用の灯油が切れたので買いに行かねばならないという理由。もう1つは今の私のメインバンクである福岡シティ銀行に金を入金しなければならないという理由からである。
灯油は配達してもらえばいいし、入金はインターネットで処理すれば済む。しかし余計な金が掛かる事も確かである。せいぜい500円くらいの差なのだが、ちょっと出かける事によって、その分の出費が抑えられるなら出かけるほうを選ぶ、これが普通の庶民であろう。(というか当たり前か)
晴れの日なら全く問題は無いのだが、冬の雨の日は辛い。しかも灯油は自転車の荷台に積んで運ばなければならない。バランスを取りながら傘をさして運転せねばならないのだ。
仕方なく出かけた。未だ大雨である。
入金を済ませ、灯油も買い荷台に積み終え、さあ帰ろうかと自転車に乗ろうとした時に何故か雨は止んでいた。10分後に家を出ればよかったよ。私は濡れたサドルを手で払いながらそう思った。 日頃の行いのせいだろうか。
2003・3・6(木)
最近のタイムスケジュール
今日は私の一日の行動とその時間を書いてみよう。
てな感じかな。しかし執筆と読書の時間は最近大幅に減ってしまっている。その分パソコンをいじって色々しているかな。WEBデザインの勉強したり、ただ単にインターネットで遊んだり、意味も無く時間をつぶしたりしてしまったり。
まあここの更新もあるしね。
執筆と読書の時間が減っている事は反省しなければな。それにしてもテレビを見なくなった。音楽も聴かなくなった。ぼぅ〜っとしている時間がほとんどないのが気に掛かるな。
思索の時間も大切なのだが(仮に何も考えて無くても)。
今見返してみたら、何て面白くない日常だろうと思ってしまった。
2003・3・5(水)
寒い2
今日も寒かった。そろそろ春を迎えようかという時期なのにその気配はない。空気は乾燥してるし、この季節は嫌いだ。
北国の人は辛抱強いというが、分かるような気がする。私みたいにじっと我慢して辛抱できない奴はやはり南国が合ってるのだろう。それも南の島だな。開放的でのんびりしてて、怠け者には適している。南の豊かさはあくせくして働かなくても日々の生活を圧迫しない。その分文化や経済は発展しない。うまく出来ているものだ。
日本は四季に恵まれ、変化に富んでいる。このバランスの取れた国に生まれてよかったのかもしれない。
さほど厳しくない、日本の冬ですら敬遠したいと言っている私は、その良さを理解できない無粋な人間なのかもしれないな。冬きたりなば春遠からじだ。春の訪れは待ち遠しいが、花粉症である私は、春になったら春は嫌いだと言い出すのかもしれない。全くわがままだな。
2003・3・4(火)
寒い
昼は暖かかったのだが、夕方から冷え込んだ。こんな日は暑い風呂に入って鍋を突付きながら酒を飲むに限る。
入浴剤は檜風呂の素だ。ふう暖まるワイ。体がお湯によってほぐされ、疲れが取れる。檜の香りは郷愁を感じさせる。本当はこんな狭い内風呂じゃなくて、どこか温泉の露天で味わいたいものだが、まあこれはこれでよしとしよう。
風呂からあがり、さっぱりとした体でコタツにもぐりこんだ。キッチンの方からはいい匂いが漂ってきている。今日はキムチ鍋だ。
程よい辛さのキムチ鍋とともにチューハイを流し込む。これは極楽だわい。辛さが舌を包み込み、それをシュワシュワとした液体が中和する。体は十分に温まった。
さて、十分堪能したから書斎にでも行って、書き物か読書でもするか。
書斎に入ると、コリャまた何て寒さだよ。あわててファンヒーターをつけた。
私は寒さは苦手だが、温泉(今日はもどきだが)と鍋があれば冬も乗り切れるし、楽しめるな。
ついでに昔の事を書いておくが、私は大學の頃体育会スキー部だったのだよ。こんな福岡の寒さどころじゃない寒さを体験していたのだ。あの頃は寒さが苦手だなんて考えもしなかったなあ。これも年とった証拠か?
ワインに変えた。ここ数年の寒さ対策は酒になっている。私のことをこれからロシア人と呼んでくれ。
2003・3・3(月)
二日酔い
今日は何故だか二日酔い気味であった。昼からの仕事にもかかわらず、やや辛かった。
昨日飲み過ぎたかなあ。いつもと変わりないくらいだったと思うのだが。焼酎をロックでぐいぐい飲んだせいだろうか。適量を超えていたのかもしれない。
今は焼酎をNEWファンタ・トロピカルフルーツというので割って飲んでいる。やや甘い。あっ無くなった。面倒くさいからまたロックで飲もう。
今日は桃の節句であり、私の父の誕生日でもある。2月26日の日記でも買いたが、2・26事件の年に生まれた。今更祝ってもらいたくないだろうから、特に何もしないが。まあ今度会った時にでもおめでとうくらい言うか(^_^)
仕事の帰りに博多駅前のヨドバシカメラに寄った。パソコンコーナーをうろうろした。欲しくなったものもいくつかあったが、ここは我満である。結構歩き回ったのか疲れた。
帰宅して焼きそばを食い、たまにはと言う事で、色々なドライバソフトのアップデートやファームウェアなどしてみた。
さて三日酔いにならない程度に飲もう。
2003・3・2(日)
船にて
家人が帰ってきた。それはそれでいいのだが、やはりこの2日の何とも言えない開放感は瞬く間に失せてしまった。こう書いたら語弊があるだろうが、そうなんだから仕方ない。
一人でいる時間は静かで自分のペースで仕事や読書ができ、またゆっくりと寝る事ができた。
完全にこれからも一人だったなら寂しさもにじみ出てくるのかもしれないが、
「帰ってきちまったか」
という感じであった。
家人は船で帰ったきた。なんか遠い島に実家があるみたいだが、時間にすればそうでもない。
ちょっとした乗船ではなく、のんびりとした船旅でもしたいものだ。南の島にでもね。
南の島に憧れる人間は、根が怠惰らしいが、まさしくこの俺そのものだ。
所詮私は酒好きの怠け者なのだ。
2003・3・1(土)
自然の見える家
南にある書斎の窓を通して、広々とした空間が見える。空は広がり、晴れた日は澄んだ水色の明るい装いが、気分をほぐしてくれ、曇った日は灰色の薄暗いおもしが、ため息をつかせ、雨の日には、黒々とした低天井が、物思いにふけらせる。
私が成人を超えてからこのような、光景が私のその日の心情を変化させるような家に住んだ事はない。
窓から見える風景は、前の建物に圧迫され、そこに広がりはなかった。景色を楽しむ事などなかったし、それを期待するほうが間違っていた。
今の棲家は北も東も南もあらゆる方角に、その広がりが見られる。簡単に言えば田舎なのであるが、これは貴重なものなのかもしれない。
このようなロケーションであるにもかかわらず、私はあまりこの光景を楽しむ事をしなかった。疲れた時にこの光景をぼんやり眺めれば、癒されるのかもしれないのに。
確かにこのような光景と引き換えに、不便さがあるのは否めない。しかしそれとて耐えられないほどのものであろうはずもなく、普通に生活できている。
書斎に閉じこもっていると、こんなにも素晴らしい景観が楽しめることも忘れてしまう。
昨日から家人は実家に帰っている。別に私に呆れ果てて、
「実家に帰らせていただきます」と言われたわけでないので、ご安心を。
たまにはのんびりできてお互いいいだろう。私は久しぶりにじっくり読書を楽しむことができた。