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5月11日
余儀なくする?
「文学賞メッタ斬り!」という本があるらしい。私はそれの抜粋をネットで見た。そこでこんな記述を見た。
『シンちゃんは政治家なんだからもう辞めなさい。せめて、話し方教室と書き方教室通ってからもいっかい出直してほしい。だいたい選評の言葉遣いからして間違う人だからね。なんだっけ、“余儀無くする”とか言ってさ。“余儀無く”は“される”んだよっ。』
これは豊崎 由美とかいうフリーライターが書いたものの引用だが、「余儀なくする」という表現は間違っていない。
「余儀なく欠席する」などの言い方がそうだ。これはやむを得ず欠席するという意味で、余儀とは、他の方法と言う意味だ。つまり、「余儀ない」とは「他の方法がない」という意味で、そこに受身の助動詞がつかなければならないという法則はない。
文脈でそう判断したのなら、わかるが、引用文だけからからは、「余儀無く」は必ず「される」ものだと言い切っている。ちなみにシンちゃんとは石原慎太郎のことだ。
さて文脈から判断してみようかと、石原慎太郎の例の文章を探してみた。「異常な世界を余儀なくする」とある。これだと確かに「異常な世界を強いられる」という意味にとったら、「余儀なくされる」だな。だけどこれは文章のリズムと言うか、流れと言うか、そういう方向で考えてみればの話であって、決して間違いとは言えない。「異常な世界をやむを得ずする」という意味にとれば文はおかしいが、文法的には間違ってない。
それより問題は「異常な世界に生きることを余儀なく〜」とするべきだということでしょうな。「異常な世界を余儀なく〜」だと異常な世界がどうしたんだい!と言う話になる。
まあどうでもいいか。俺の方が間違っているかもしれないしね。文法学者じゃないんだから。
ただ豊崎さんはあきらかに間違ってますな。メールで指摘してやろうと思ったけど、面倒くさいから止めた。
5月9日
母の日
母の日だというのに、一体どうなってるんだ。
今日は実家に行き、自分の母親に日ごろの感謝を述べに行くつもりだった。だがそれはある事情で中止となった。
またもやうんざりである。人生の選択肢を間違ったかも知れぬ。
久しぶりの日記なのにこんなことばっかだな。疲れる。
4月16日
いつも通り
4月13日の日記にはああ書いたけど、あれは怒りに任せて書いてだけで、今では普通の夫婦に戻っている。ただ書いたことはある程度本当だ。
年の差があるからか、どうも子供っぽいところが未だにある。それが可愛いと言えば可愛いとも言えるのだが、時として立腹の原因にもなるのだな。
まあいいか。
今日は金曜日だ。
ふう
この日記に家人が登場しなくなって久しい。別に別れた訳ではない。書くこともないからだ。
どこの夫婦もそうかもしれないが、結婚してしばらくたつと相手の嫌なとこばかりが見えてくる。嫌なところだけで済めばいいのだが、軽蔑の念を持ってくるとどうでもよくなる。
こんな事書くとまた余計なおせっかいな人たちや、何も知らない家人と同じ立場の女性からの忠告がやってくるかもしれない。
これを単に男と女の違いだということで片付けるのはやさしい。だがそうではない。相手が男でも私は軽蔑するだろう。
軽蔑というより呆れかな。この日記に書かなかっただけで、何度もこういうことはあった。要するにアホなのだな。人の言葉を理解しようとしないし、仮にしても3日で忘れる。反省はするものの、サルの反省と同じでポーズなのだ。すぐ忘れてしまう。
噛み砕くように説明しても通じない。こうなりゃ俺だって、ほっとくしかない。そうすると、どんどん突っかかってくる。時の解決を待とうともしない。性急に物事の決着をつけようとし、逆効果なのがわからないのだ。
馬鹿はほっとくに限ると無視していると、意味のない、というか小学生じみた言葉で攻めてくる。女はそんなものだとしたり顔で言う輩もいるが、それとも違うのだ。
普段はいい子だと思うのだが(子だなやっぱ)、ひとたび発作が始まるとどうしようもない。島尾敏雄の「死の棘」を思い出す。私は島尾氏みたいに狂った真似はできないし、ミホの発作を甘んじて受けようとも思わない。なぜなら島尾氏みたくそうなる原因を作ってないからだ。
家人は寝ている。不毛の時間ほど勿体無いものはない。私にはやるべきことがたくさんあるのだ。いい加減女として、母として大人になって欲しい。いや大人という言い方は当てはまらないか。
少しは考える人になって欲しい。何も考えてないから、いや思慮が浅いから、こうなるのだ。
何度も言ってることで、明日になったらまた、至極簡単に反省するのだろうな。反省という意味を真に理解してから反省して欲しい。
何があったって?あほらしくてここでは書けない。また書いたら、これを読んだ人が、家人のことを、馬鹿だと思うだろうから書くのはよす。
今日週刊新潮だったかな?色んな馬鹿親の特集を見てたら、大小の差はあれ、家人も同じようなもんだなと思ってしまった。もしこれを家人が見れば気が狂うほど激怒するかもしれないが、知ったこっちゃない。これで真の反省を促すことができればそれに越したことはない。まあ無理だろうけど。
4月5日
一ヶ月ぶりだな
さてこの日記を記さなくなってから既に1ヶ月以上もたっている。店長日記の方は毎日書いているのだが、それで手一杯と言う感じである。
この間何をしていたか、また何があったかと言うと特にない。
3月31日に「すばる文学賞」に投稿した。120枚くらいの作品である。結果は11月。まだまだ先である。こつこつ投稿するしかないのだ。
土曜日、中学時代からの友人であるNが来た。私の結婚式以来だから、1年数ヶ月ぶりになる。奥さんと子供二人も一緒だった。男の子二人は大変そうだなと思った。
慌しい訪問で、三十分くらいしかいなかった。奴は熊本の田舎に住んでいるので、なかなか会えない。今度はもうちょっとゆっくり来るがよい。
さて次はオール読物、小説現代、文学界の新人賞に向けて、愚直に頑張るか。
「今日の読書」も全然更新してないな。ちなみに今はドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」を読んでいる。こういうのはやはりキリスト教の知識がある程度ないと、駄目だな。
トーマス・マンをの「ヴェニスに死す」を読んだ時もそう思った。延々と宗教的解釈論が続くのはうんざりするが、それを念頭において読み進めないと、物語の意味がわからないのだろうな。
日本で延々と例えば仏教を解釈した小説なんぞが発表されたら、一般人は誰も読まないだろうな。
怠慢だな
吐露吐露日記の更新がままならん。ここは書きたい事、思っている事、何でも書けるというところがいい点なのだが。
最近の私の生活ぶりでも報告しよう。
朝8時起床、シャワー浴びて飯食って、9時頃家を出る。10時から18時までが仕事だ。この頃になると疲れ切っている。そしてバスに乗って帰宅。風呂入って、飯食って、それからどうしても見たいテレビ(ほとんどない)がない限り、書斎に向かう。書斎では主に本を読んだり、何かを書いたりしている。もちろん酒を飲みながらだ。最初のうちはいいのだが、0時を回る頃になると、多少酔いも回り、集中力を要することはできなくなる。まあ読書くらいはできるけど。んで2時くらいに寝るのだ。
平日はこれの繰り返しだな。仕事終わるとまっすぐ帰るし(信じられんけど)。
土日も大体本を読んでいるかな。何か暗い生活だな。
2月12日
特別に
私の裏日記をご披露しよう。こちらもよろしく。
http://www.greenhouse-e.com/cgi/diary.cgi
咽喉が痛い、鼻がつまる。
風邪を引いた。昔は風邪などあまり引かなかったのに年だろうか。
頭が重く、何もする気が起きない。鼻のレーザー手術の効果は風邪には関係ないようだ。鼻で呼吸するのが困難だ。
酒かっくらって寝よう(酒飲んでいいのか)。
テレビ
パソコンでテレビが見れるようにと、テレビキャプチャボードを先日購入した。金もないのに、NECのスマートビジョンを買ったのだ。これはソニーのコクーンのようにキーワードを登録しておくと、自動的に検索し録画をしてくれるのだ。まあほとんどテレビを見ない私には宝の持ち腐れだが。
今は無駄でもいつか役に立つかもしれない。
1月20日
三日坊主
前回の日記に本を読む事の重要性を説き、また実践するという宣言をした。あれから5日たった。1冊も読んでない。山本周五郎の「日本婦道記」を途中まで読んだだけだ。(ちなみにこの小説を読んで、何回も泣いた)
帰宅して風呂入って、食後は書斎というパターンは決まっているのだが、本を手にせず、パソコンを立ち上げて何かをしている。まあ決して、無駄な時間というわけではないのだが。くだらんテレビを見て時間をつぶすより、よっぽどましではあるのだが、それよりやることがあるだろうと言う感じなのである。
そしてタバコを何本も吸いながら酒を飲むのだ。途中詩月の様子を見に行ったりはするが、ほとんどこもりっきりである。
いいんかなあ。
1月15日
手抜き
最近ホームページの更新を怠っている。日記ですらこうだから他の、例えば「今日の読書」など昨年5月から更新してない。本は相変わらず読んではいる。だが最近はまったく読まない日も多い。多読してそれを書評として書き記す。このことは小説を書く事に役立つばかりでなく、思考能力を養うという面もある。
年頭は最低1日1冊読む、というやや実行不能な目標を立てたのだが、早くも挫折している。
仕事を終え帰宅し、風呂、夕食をとると、ついパソコンの前に座って、何かをしている。別に執筆をしているわけではない。要するに遊んでいるのだ。
よし今日からでも遅くない。1日1冊は無理だとしても、3日で1冊読むペースを作ろう。休日はふんだんに時間が使えるから1日1冊も不可能ではなかろう。
よって1週間に3冊は読めるな。だがこれでは月に14冊にしかならないか。それが精一杯かな。だが守りたい。そして書評(本日の読書)も復活してみようか。
新製品
12月にニューパソを購入したことは既に書いたが、今日購入店からのメールマガジンに「春の新商品発売」とある。
げげ、もう新製品かよ。3月くらいまでは出ないと思っていたのに。1月15日発売だと。スペックを見るとこれがいいのだ。私が買った価格帯のものは普通に考えて、私のスペックより2万以上は高くなるはずの仕様だ。何かくやしい。
パソコンなんてどんどん進化して1年前の機種ですら低機能に成り果ててしまう。こんな阿保みたいに進化する機械はないんじゃないかというくらいだ。だから買い時というものは難しい。買いたいと思ったときが買い時なのだろうが、1ヶ月待っていたら新製品の高スペック機種を買っていただろうと思うと、損した気分だ。これが3ヶ月とかだったら、あきらめはつくのだが。
とはいうものの私が買った機種も結構高性能である。十分満足している。高性能であるがゆえに色々改造というか、いじってみたくなった。とりあえずテレビボードを買おうかと思っている。まあテレビは見ない私だが、DVDに焼けるし、編集もできるし、ハードディスクに取り込めるし、まあ欲しくなったのだ。
買いたいときが買い時なのだ。だが無駄遣いはしないぞ。何でも欲しがる私ではない。
1月5日
2004年到来
正月休みも終わり、今日から仕事という人も多いのではないか。私もそのひとりである。
休み中は酒ばかり飲んでいた。昼間からおおっぴらに飲める唯一の時期であるから、当然の行為である。まさに暴飲暴食である。太ったかもしれないが、まあそれはそれでいい。
さて今年こそは何かしらの成果を上げなければならない。だらけきった生活を返上してさらに努力しよう。
目標は言うまでもないが、改めて念頭におこう。私は生まれついての怠け者だから厳しく自己管理しなければ。難しいかもしれないが、最低限やるべきことはやっていこうと思う。無理をしたら続かないかもしれない。よって必ず実行できることから始めよう。そして地道にそれを続けたいと思う。
今年で私は不惑である。そんな境地にはとても踏み込めないだろうが、孔子より十年長生きするつもりで、今の年齢を10、さばを読む事にした。まだまだ私は30歳くらいの男なのだ。人より遅れていると思って、その分これから追い抜こう。
仕事納め
6月から今の仕事を始めて、早半年。今日で今年の仕事は終わりだ。結構早かったように感じる。新しい会社のホームページもほぼ出来上がった。来年1月には完成するだろう。そうすると今より忙しくなる。更新作業はすべて私が行うからである。メールの応対もしないといけない。まあこれらは今もやっているけど。
今年もあとわずかだ。皆さんにとっての2003年はどういう年だっただろうか。
私のとっての一番のニュースは娘が生まれたことだろう。
さて来年はどんな年になるか。
そうそう12月17日付けの産経新聞に私の名前がでている。エッセイの入選者としてだ。産経新聞取っている人は見てください(あんまりいないと思うけど)。
12月24日
クリスマスイブ
仕事を追え家路に向かっていた。天神の地下街はカップルであふれかえっていた。ここで待ち合わせをしてこれから二人でクリスマスイブを楽しむのだろう。私は家族が待っている。
小さなクリスマスツリーには明かりが灯されていた。まあクリスマスといっても特に何をしようとも思わないが。
いつもよりもご馳走がでていた。シャンパンもどきで乾杯をし、舌鼓を打った。来年は詩月もクリスマスというものが理解できているかもしれない。そのときは大きな靴下にプレゼントを入れておいてあげよう。
12月19日
ニューパソ来る
我が家に注文しておいた新しいパソコンが到着した。安パソだが性能はいい。バイオみたいに高級パソでも使いづらかったら意味がない(愛着はあるが)。
モニタは昨日到着していた。
まず机の上を片付けた。この机の周りにはノートを入れて3台パソコンがあった。そのうちオークションで売る予定のサーバーとして使用していたものをどかし、プリンターの位置を大幅に変え、机を広々させた上でセッティングを始めた。
1時間くらいでセッティングは終わり、マシンを立ち上げてみた。
「おおこりゃ早いわ」
起動にかかる時間が早い。会社のペンティアム4マシンより早い。まあ余分なソフトがついてないからかもしれないが、それでもこのパフォーマンスには大満足である。
モニタは17インチのを買った。クリアで見やすい。
これから自分用にカスタマイズしていくつもりだ。ソフトもインストールしなければ。
ほぼ私の期待通りであった。満足である。まあ唯一の不満はパーテーションが切れないことくらいだろうか。リカバリソフトを使っても駄目なのだ。OEM版じゃないからだろうか。
パーテーションマジックしかないな。120GBもあるからドライブは分けたいしな。
週末はこれにかかりっきりとなるだろう。
今日福岡に初雪が舞った。
12月14日
買ってしまった
ボーナスも出ないのにボーナス戦線に宣戦布告してしまった。新しいパソコンを購入してしまったのである。
今使っているのは2年くらい前にローンで買った(清水の舞台から飛び込むつもりで)ソニーバイオノートだ。当時で20万くらいしただろうか。外観は気に入っていたのだが、どうもこのバイオはすぐ調子が悪くなるという悪癖をもっていたのだ。何回リカバリーしたことだろう。まあ私の使い方が強引だったのかもしれなが、リカバリー5時間コースを10回くらいはやったような気がする。
それにセレロンの700MHzだし、今となっては時代遅れの代物になったしまったのだ。ネットとメールくらいなら十分使えるが、動画を扱おうとすると重いし、起動には時間がかかるしでストレスがたまりつつあった。
それでこのバイオを売って新しいのを買うことにしたのだ。まず下取り査定をしてもらった。数社にネット上から依頼すると平均が7万くらいだった。おおこれならオークションに出品したらもっと高値で売れるかもしれない。
よし買おう。さて何を買うか。大手メーカーのパソコンを買う気はない。高いし余計なソフト(一生使わないような)が無駄に入っているからだ。当然安パソだな。もともと安い物がすきだし。そういう面では私は無駄使いはしない性質なのだ。酒を飲みにいったらそういう感覚はふっとんでしまうが。
どうせ買うならいいものを買いたい。DVDに書き込みができるものがいい。テレビチューナーは・・・・・・いらんか。今でも見ないから。
ネットで情報を調べ、パソコン雑誌をくまなく見て、2社に絞った。(デルやHPも考えたのだが、やめた)
その2社とはソーテックとイーマシンズだ。悩む。
ソーのテレビチューナー付17インチモデルで16万くらい。ペンティアム4ではあるがクロックは低い。イーはセレロンの2.5MHzで69,000円。だがセレロンはいやだな。ということでアスロンXP2800を採用したモデル89,000円に目が行った。これに17インチデジタル接続モデル液晶モニターを足すと、135,000円くらいだ。テレビチューナーはついてないが。後付で2万くらい出せば増設できるし、そうするとして15万5千円か。ソーと変わらないな。
おおメモリが違うぞ。ソーは256MB、イーは512MBだ。悩むところだが、掲示板の口コミ情報などからイーマシンズにすることにした。全モデル中上位から2番目の機種だ。
ネットで早速注文した。モニターは別の店で注文した。合計税込み142,800円なり。安くない買い物だ。安パソといってもこうなると安くはないな。安でも高いパフォーマンスが期待できる機種だからしょうがないか。
バイトの身分にくせにいいのだろうか。まあパソコンは私の仕事道具だからいいか。
バイオとサーバーマシンに使ってるペンティアムKのデスクトップを売ろう。2つで9万くらいになるだろう。
今週中には届くだろう。使い倒してやるつもりだ。
12月9日
I caught cold.
日曜の寒波で風邪を引いてしまったようだ。熱はないが咽喉が痛くて頭が重い。思考ができない。
ひょっとしたら微熱があるのかもしれない。
こんな日は熱燗か焼酎のお湯割りを飲んで温まるに限る。飲みすぎて二日酔いになったら別の苦しみがやってくるけど。
12月8日
開戦記念日とジョンレノン暗殺
今日はそういう日である。太平洋戦争についてはいずれ述べたい。
私は高校のとき、ある音楽グループのカセット(当時はCDなどなかったのだ)を友達に借り、衝撃を受けた。それはビートルズである。もちろんそれまでもビートルズは聴いたことはあるが、ほとんどがカバー曲でオリジナルをまとめて聴いたことはなかった。だがそのとき既にジョンレノンはいなかった。
それから貪るようにビートルズを聴き始め、それに伴いローリングストーンズなどにも手を出した。笑えるところではモンキーズにまで手を出していた。
ビートルズシネクラブという日本におけるビートルズのファンクラブにまで入っていた。
毎年この日には酒を飲みながら故人を偲ぶべくビートルズを聴いた。最近はそれをやってない。ここ5年はやってないように思える。
昨日から急に寒くなってきた。今日も寒い。風邪をひいたようだ。
久しぶりにビートルズを聴こうか。
12月3日
ドクハラ?
家人が病院に行った。そこでの出来事であり、家人から聞いた話だ。
近所の病院に行った家人は、そこで嫌な目に逢ったという。普段は温厚な家人が怒り、そして悲しげだった。
医者は老人とも言える年で白衣ではなく、ジャンパーを羽織っただけの格好だったという。見た目はそこらへんにいる単なる老人である。それだけでも許せない。そういう格好だと医者に見えないし、医者に見えないということは自分の病気を包み隠さず言えないということだ。誰だってそこらへんの老人にそんな告白はしないだろう。
そして開口一番
「ああこれは治りませんね」
と言ったのだと。私ならその瞬間、この医者は信用できないと思うだろう。何より患者の気持ちなど少しも考えてない。(ちなみに家人の病気は大したことはない)
診察もいい加減で、とても患者が安心して任せられる態度ではなかったらしい。アドバイスとかいって紙切れに箇条書きで書かれたメモのようなものを渡しただけだったという。家人の顔を見ようともしなかったらしい。
私もそのメモを見たが、アドバイスでも何でもなく単なる説明だった。それを見た患者はそれを元に何かに気をつけるべきだとかそういう類のものではなかった。「家庭の医学」とかで簡単に調べられるようなことだ。口で言えばいいだろうに。
そして授乳中にもかかわらず、その事に対してどうだとか、処方した薬はそれには影響ないとか何も言わなかったらしい。まあ質問しない家人も家人だが、そういうことを聞ける雰囲気の医者ではなかったのだろう。だが子供を連れて病院に行ったのだから、それくらい医者もわかってるだろうし、説明すべきだろう。乳児を抱えた母は不安でいっぱいなのだ。それは自分だけの問題じゃないからだ。
「それすらわからんのかい!この屑医者が!」
それらを聞いた私は家人の代わりに怒り狂った。よし俺がその医者に患者として行ってやろうじゃないか。そして白衣も着ずに現れたら、
「じじいじゃなくて、医者を呼べ!」
と言ってやる。さらに家人がいうような態度を俺にとったならば、その場で怒鳴り散らしてやるのだ。思いっきり怒鳴ってやる。そしてどこかの機関に訴えてやる。福岡県医師会とかだろうか。それとも民間の相談センターだろうか。そこらへんは調べるつもりだ。
家人は気が弱く優しいから何も言えなかったのだろうし、また家人以外でもそういう不快な気持ちを受けた患者は大勢いるだろう。こんな医者を野放しにしておくべきではない。
患者は自分の命を医者に預けるのだ。それを考えるべきだろう。患者は不安な気持ちで医者にすがるしかないのだ。それをかさにきて優越的立場の濫用をしてはいけない。
医者にとって患者はある意味お客様でもあるのだ。
とにかくその屑医者から処方された薬で家人が治ったら許してやる。だが変化なかったら俺がまず患者のふりして怒鳴りに行くつもりだ。
12月1日
やっとできた
会社のホームページがやっと出来上がりオープンすることができた。まだまだ改善しなければならないところはあるものの、最低限の体裁は整っている。無料サンプルやプレゼントなどがあるので是非アクセスして欲しい。http://greenhouse-e.com/である。
先週の金曜日から東京のTが遊びに来ていた。ゴールデンウイーク以来の再会である。私は仕事を終え、待ち合わせの中洲に向かった。まずは私の披露宴の1,5次会で行った屋台に行った。そこのおばちゃんは1年ぶりの私を覚えていてくれた。
次は披露宴の2次会で利用したバーに行った。ここも久しぶりである。大体私が中洲に来たのが1年ぶりなのだ。天神というところではたまに飲むのだが。男のオアシスである中洲に1年間も来てないなんて何て私はまじめになったのだろうか。
途中家人からメールが入った。産経新聞の○○さんから電話があったという。その名前に聞き覚えはなかった。
3件目はモツ鍋やに行き、腹を満たした。
最後はお決まりのパターンのクラブ活動をした。これも私は久しぶりである。1回だけ延長して店を出た。やはり昔のようなパワーはない。
帰宅してから泡盛を軽く飲んで、寝た。
翌日の昼産経新聞の人から電話があった。昨日の人だ。
その電話は私がエッセイコンクールで佳作に選ばれたという連絡だった。私は応募したことも忘れていた。賞金も出るという。12月半ばに新聞に載るとのことだが、まあ名前が小さく出るだけだろう。
それでも単純にうれしい。全国の応募者から選ばれたわけだから。だが私の目標はもっと高いところにある。これはこれで喜ばしいが、手放しで喜んでいる場合ではない。どんどん書き続けるしかない。
東京のTは日曜日に帰っていった。当分会えないだろう。来年のゴールデンウォークかな。
11月26日
スランプ気味
最近生活に張りがない。以前は仕事もプライベートも充実していたような気がしていたのだが、そのどちらもスランプである。
仕事は日記にも書いたようにホームページの制作遅れの影響もあるだろう。これで完成したらやる事も増え、忙しくなるだろうから以前の充実度に戻るだろう。
ではプライベートはどうだろうか。仕事を終え、帰宅後、風呂食事と済ませ、その後の時間が来るのが楽しみですらあったのに、今ではそういう気も起こらない。ただ本を読んだり、パソコンに向かったりと以前と同じ事をやっているのだが、楽しくない。なぜだろう。
厭きてきたのかな。変化がないからかもしれない。
ただ詩月といる時間は楽しい。書斎にいる時間が充実してないように感じるのだ。
気の持ちようかもしれない。明日から少しパターンを変えてみよう。
11月25日
冬
寒さが身に忍び寄ってくる季節が徐々に到来しつつある。まあまあ気に入っているこのマンションの唯一ともいえる欠点は日当たりが悪いところだ。
東向きに面しているため朝から昼にかけてしか陽が入らない。しかもリビングには窓がないため、隣接する部屋からの明かりが細々と入ってくるだけだ。よって朝から電気をつけなければならない。
また私の書斎はマンションの廊下に面しており、中庭を囲むように建てられているので、ここもまったく陽が入らないし暗い。
夏はいいのだが冬は辛い。特に私の部屋は冷え冷えとする。そろそろ石油ファンヒーターを出さねばなるまい。
今の時期ですらこうなのだから、真冬のことを考えると何か対策を打たねばならないかもしれない。
リビングには窓がないことは既に書いた。それゆえエアコンもない。リビングの暖房はどうしようかと考えている。石油を使った器具は詩月には悪そうだし、また危ない。隣接する部屋のエアコンが果たして頼りになるかどうか。恐らく効き目はないだろう。
安全でしかもクリーンな空気を保つ暖房器具といったらオイルヒーターくらいだろうか。だが暖房効率には疑問がある。
すでに炬燵はだしてある。本格的な冬将軍が我が家を攻めてくる前に何とかしよう。
11月24日
不注意
昨日ちょっと目を放した隙に詩月がセロファンでできたお菓子の包みを飲みこんだ。包み自体はどうってことないものなのだが、それを飲み込む事ができずにのどに引っ付いてしまったらしい。
私たち大人だったら無理やり飲み込むなり、水を飲むなりして流し込むのだが赤子にはそれができない。いきなり苦しそうな顔をし、吐きそうな所作をしたが吐ききれない。呼吸をしてないようにも見えた。私は無理やり逆さまにし、口に手を突っ込んで吐かせようとした。だが出ない。
家人はパニックを起こし、救急車を呼ぼうと電話をしている。だが
「通じない!」
と叫んでいる。
たかがセロファンの包みくらいで息ができなくなるはずがないのだが、家人の只ならぬ様子に私もあせってしまった。家人は近くの小児科に連れて行くと言って詩月を抱いて家を飛び出した。私はセロファンが引っ付いて気持ち悪いだけだろうとは思っていたのだが、それでももしもの事があったらと思い、保険証と金をつかんで家人の後を追いかけていった。
だが昨日は日曜日。病院は閉まっていた。詩月を抱いた家人は呆然と入り口で佇んでいる。詩月はというとさっきまでの苦しそうな顔はどこへやら、けろっと平気な顔をして笑みさえ浮かべている。どうやら咽喉のつっかえが取れたようだ。
私たちは顔を合わせて、安堵のため息をついた。
よかった。
それから家に戻り二人で詩月に頬擦りはするわ、抱きしめるわで詩月が無事であることの喜びを噛み締めた。
もしも何かあったら私は廃人になるかもしれない。
テレビで幼児虐待のニュースが流れていた。信じられない。こういうニュースを見るたびにむかむかする。こんな奴らは死刑にするべきだ。
11月19日
会社のホームページ
11月21日リニューアルオープンする予定である。あと2日しかない。普通この時期には最終テストををしていなければならないというのにまだ出来上がってないのである。
制作を頼んだ業者は小さいながらも自社運営のポータルサイトを持っているところで、そのサイトもまあまあ有名なのだ。信用はできると思った。当初は打ち合わせなども深いところまで行い、それも頻繁だったので、これは良いホームーページができるだろうと期待していたものだった。
アップ予定は10月1日だった。だが制作が遅れていうと言う事で10月中旬に変更した。それにも間に合わなかった。予定日が近づくと営業とデザイナーが現れ、申し訳なさそうな顔でもうちょっと待ってくれと言う。そういうことが数回続き、最終的に11月21日には必ずアップさせますと言う。
私は最初の頃は良い業者にめぐり合えたと思っていたのだが、徐々にそれは崩れていった。今では怒りを通り越してあきれている。
何度か怒りをぶつけ、遅れたことに対する損失補てんをさせる事にはなったが、それにしてもいい加減すぎる。私は100万前後の損失補てん、まあ損害賠償を求めるつもりだ。それはバナー広告でも他の方法でもいい。別に金でじゃなくてもいいと思っているのだが。
考えたくないが、この調子だと12月オープンということになりそうである。
術後
先週の金曜日に手術をした。たかがレーザー手術だからとたかを括っていたのだが、おおげさで仰々しい雰囲気の中で手術は行われた。
私は予約していた12時に病院に着き、受付を済ませ待合室で待っていた。時は何事もなく過ぎていく。12時に予約したというのに既に40分くらい過ぎている。担当医が私を見つけ言った
「そこにいたんですか。受付はお済みですか」
「ええ」
「あ!ここに書類が」
「おい!忘れてたのか!」
私は思わず声を荒らげた。忘れられていたのだ。だから予約の時間過ぎても呼ばれなかったのだ。
「すいません。ただ私が来ないと始められませんから」
要するに受付処理を忘れてはいたが、医者である私がここに来ない限り、先には進まなかったから結果は同じであると言いたかったのだろう。まあいい。だがこれではどっちみち予約の意味はない。
手術前だし、まあ許してやろう。
鼻から麻酔をされ、そのまま手術室へ向かった。そこは本格的な手術室で(当たり前か)医者を含め看護婦など4、5人いた。私は目隠しをされ何も見えない状態となった。
「それでは始めます」
レーザー照射が行われた。痛みはまったくない。ときおり焦げ臭い匂いがするだけだ。麻酔は効いてても臭覚は残るのか。それは何かおぞましい、人間の皮膚が焼かれる匂いだった。
数十分後手術は終わった。すこしふらふらする。無事に終わったようだ。だが成功したかどうかは術後の経過を見なければならない。1週間後病院に来てくださいと言われた。
4日経った今でも鼻の中に異物を感じる。痛みは薄らいだが、傷は癒えてないようだ。これで完治といかないまでも何らかの好転があってくれなきゃ困るというものだ。
11月10日
病院にて
会社を休んで病院に行った。例のレーザー手術を受けにいったのだ。その病院は古くて、患者であふれかえっていた。受付を済ませ待合室へと行った。待合室は診療科目ごとに分かれていて、私は指定の待合室で待った。30分待った。1時間待った。私はその間持ってきた文庫本を読み終えようとしていた。
「いつまで待たすんじゃい!」
心の中で私は怒鳴っていた。それからすこしたって呼ばれレントゲンを撮るからレントゲン室に行ってくれという。それで私は違う階にあるレントゲン室へと行き、受付をした。30分たった。
「こらいつまで待たすんじゃい!」
レントゲンを撮り終えると最初の待合室へ戻った。1時間待った。やっと私の名前が呼ばれ診療室へ入っていった。診察その他手術の打ち合わせは30分くらいで終わり、私は今週の金曜日に手術をすることにした。それから手術前の血液検査をしたいから待合室で待っててくれと言われた。
すぐに呼ばれるだろうと思った私はトイレも我慢し、待ち続けてた。45分たっていた。
「こら血抜くだけだろ、さっさせんかい!」
やっと呼ばれるとまた違う階の検査室へ行ってくれという。おいおいたらい回しかよ。
5分待った。血はそのさらに5分後に無事抜かれた。
だからこういう病院は嫌いなんだ。待たされるわ、たらい回されるわ。
会計でも15分くらい待たされたが、もう慣れていた。病院の外に出ると雨が降っていた。傘がない。39歳の誕生日の3日後の私はついてなかった。
11月5日
久しぶりの雨
朝から雨に見舞われた一日だった。雨の日は家にいて、ゆっくりと過ごしたいのだが、そうも言ってられない。
それにしても目が疲れている。1日中パソコンの画面を見ているからだろうが、異常にしょぼしょぼする。血が出そうなくらいだ。家に帰っても食事の後は書斎に向かいパソコンを立ち上げ何かしらしている。今私のメイン機種はバイオノートである。これを買ったのが2年位前だ。それまでは友人にもらった古いノートを使っていた。せいぜいメールとインターネットくらいしかしていなかった。
ダイヤルアップ回線だったし、ネットもそんなに見るほうではなかっただろう。ワード、エクセルなども全然できなかったし、キーを打つのも下をボードを見ながら一つづつ打っていくという感じだった。
まあ今だってワードやエクセルなんてあまりできないけど。
とにかくいじって遊んでいるうちに色々やりたくなり、やり方を調べる事で覚えていったのだ。
今家にはパソコンが5台ある。メイン機種、サブ機種、サーバー機種、実験用(何の?)、お遊び用ノート、それと家人用だ。阿保かもしれない。そのうちオークションで売ろうかなと思っている。
仕事を終え帰途に着こうとするとまだ雨が降っていた。最近だらけ気味の私を雨が少しだけ濡らしていった。
11月3日
自宅サーバー
古いパソコンを利用してWEBサーバーを構築した。ついでにメールサーバーも立ててみた。解説書を見ながら四苦八苦して何とか完成した。ダイナミックDNSを利用して、ドメインも登録し、自分専用のドメインとメールアドレスを取得したのだ。
FTPサーバーも立てた。だからとってこれを公開しようとか、利用しようとかはまだ考えてない。特に必要はないのだ。だが自分のサーバーがあって、メールアドレス取り放題というのは何か楽しい。
デメリットも多いので、そのうち閉鎖するかもしれないが当分はこれで遊ぶつもりだ。
関係ないが、土曜日に我が家で従姉妹や両親たちと宴会をした。従姉妹のうちの一人とは10年ぶりくらいの再会だった。計10人くらい集まっただろうか。いつものように私はへべれけとなってしまった。
やや二日酔いの日曜だった。
10月29日
風邪が
土曜日に引いたと思われる風邪が治らない。熱はないと思うのだが、咽喉が痛くて咳が止まらない。タバコも吸えない。いや吸える事は吸えるのだが、おいしくないのだ。
これを機に止めればいいという人もいるかもしれないが、今は吸いたくなくても、風邪が治れば吸いたくなるに決まってる。
痰がからんでしょうがない。典型的な鼻かぜである。私はアレルギー体質なので(繊細だからかな)風邪をひくと結構酷い目にあうのだ。まあ誰でもそうかもしれないが、鼻はつまるし、喘息気味になるしで何かをやろうとしても集中できないのだ。
思い切ってレーザー手術をすることにした。通っている病院の医者がそう勧めたのだ。手術といっても入院する必要はないらしいし、保険も適用されるらしい。
今週中に紹介された病院に行って、手術を受けようかと思う。鼻の粘膜を焼くらしい。まあ根本的にアレルギーが治るわけではないので、体質改善は続けなければならない。
青汁を飲む事にしよう。無料でサンプルをもらいたい人はhttp://greenhouse-e.com/までどうぞ。
壱岐
金曜日家人の実家である壱岐に、家族3人で帰った。私は1年ぶりくらいだった。もちろん詩月は初めてである。私としては詩月が1歳になってから帰ろうと思っていたのだが、家人の攻撃についに折れた形となり、壱岐行きを、勢いよく粋でいなせな男として承諾した。
フェリーの中で詩月はずっと寝ていた。結構揺れたが平気なようだった。
2時間くらいの船旅の後、壱岐についた。家人の母、私にとっては義理の母が迎えに来ていた。私たちを認めると、私や家人への挨拶もそこそこに詩月に向かって、裏返った声をかけつつ、腕を広げ抱きしめようかという勢いだった。まあ無理もない。生後間もない頃対面して以来だからな。
夜には色々な人が来訪し、にぎやかさを増していた。しかし酒を飲んでいるのは私だけだった。家人の友人たちもそれぞれ自分の子供を連れてきていた。子供だらけになった。
その間も私は酒を飲み続け(もちろん私だけである)、酔いが回った私は結構早く寝てしまった。
翌日私だけ博多に戻った。用事があったからである。その日は寒かった。風邪を引いたらしい。
10月21日
いらいらする
喘息気味だし、鼻は詰まり気味だし、気味だらけである。ついいらいらしてしまう。
病院には通っているのだが、全然よくならないl。アレルギー体質というのは簡単には改善されないのはよくわかっているが、高い金出して、治癒の治の字も感じられないと馬鹿馬鹿しくなってしまう。
体質改善とかいって漢方薬を処方されるが、もう3ヶ月以上飲んでいるというのに改善される気配なし。病院行く前より酷くなったような気がする。どうすればいいのだ。
青汁も飲み始めた時は調子がよくなったような気がしていたが、やはり続けないと駄目だな。あらゆる会社にサンプル請求して、それで済ましていたが、やはり自分に合ったものがあるのだろう。サンプルだけで3ヶ月も持たした私は偉いのか阿保なのかせこいのか。
健康食品の会社で働いているというのに、このていたらく。自社の製品でも購入してみようか。どうも健康に関するものに金をかけるのは昔から嫌だったのだが、この年になると、あらゆる箇所にガタがきているのかもしれない。
10月20日
喘息が
最近やや息苦しい。軽い喘息症状なのだ。昨年みたいに「死ぬう」てな事はないが、うっとうしい。秋になって秋の花粉が舞い始めたからだろうか。
数ヶ月前アレルギーの血液検査をしたことがあった。結果はスギ花粉がダントツで、通常の5倍くらい。それと動物アレルギー。犬、猫、ねずみとある。やはりハムスターか!と思ったが、医者にハムスターは関係ありませんと言われた。おいおいハムスターってねずみじゃないのかよ、と思って、いやねずみって書いてありますよと言っても、いやハムスターは関係ありません、の繰り返し。この医者大丈夫かよ、と思うのも無理からぬことだろう?それと穀物アレルギー。これは何だ?お米食っちゃいかんのか?医者に聞くと、再度詳しく調べないと、どの穀物かはわからないらしい。おいおいこの検査で8000円も払ったんだぞ。
というわけで結局よくわからない検査だった。
ハムスターのロビンが死んだ。ここ数日はめっきり弱っていて、傍目にもわかるほどだった。齢1年半だった。まあ寿命だろう。ロボロフスキーという種は短命なのだ。家人がえさをやろうとして発見したのだ。私がアレルギー性喘息になってからハムスターの世話は家人がやっていた。それゆえ悲しみもひとしおだろう。涙目で私に知らせてきた。見ると今にも動きそうな感じで固まっている。普通は苦しんで、口をあけ、目をひんむいて死ぬのだが、ロビンは穏やかな死に姿だった。それだけは救いだった。
他の2匹は今のところ元気だが、いつかは死ぬ。生き物なのだから仕方がない。それゆえ懸命に生きようとするのだ。もしかしたら人間が一番命を粗末にする生き物なのかもしれない。
10月16日
ネットビジネス
仕事を終え帰宅すると妹が来ていた。夕食を共にとっているとホームページ制作の学校に行こうかなと言う。彼女は結婚しているのだが、子供はまだいない。仕事はしているのだが、パートなので、そんなに忙しくないらしい。人間モノになろうがなるまいが、何かに向かって努力することは大切だ。しかし相当頑張らないと難しいだろうな。私も少しは勉強したが、すればするほど難しく感じる。
さらに友達数人とネットで物を販売したいとも言う。言うなれば私と同じネットビジネスだ。私がやろうとしている事と少々異なるが基本的には同一である。
応援したい。そして自分のことも応援したい。妹が本気なら全面的に協力しよう。資金面は協力できないが。
10月15日
規則正しい生活
仕事を始めてから、きっちりとした生活リズムを刻んでいる。当然といえば当然だが。
これには2つの側面がある。一つは生活リズムを正しくすることによる健康への影響であろう。これは私も認める。こんなに規則正しい生活は高校生以来かもしれない。大学時代はもちろん適当だったし、会社員になってからも今考えると、飲んだり、遊んだりしてとても規則正しかったとは言えなかった。さらに3度3度の食事をきちんと採るようになった。まあこれによって少し太ったけど。
もう一つの側面は時間に縛られてしまうということだ。規則正しい生活をしようとすると、当然時間の配分にも気を配らなければならない。例えば夜どうしても読み続けたい本があったり、執筆の調子がだんだん上がってきたとき、それを中断して眠りに入らねばならない。私は時間に縛られるのが嫌で会社を辞めたようなものなのだが。
だが、時間の使い方がうまくなったような感じはする。今までがだらけすぎていたのだ。何事もメリハリをつけなければならない。そういう意味では今の生活でもいいような気がする。
カントみたいにはやりたくないし、やれそうもないが、時間を有効に使うという面において、私は当分今の生活を続けようと思う。言っておくが現状に満足しているという意味ではない。
いい金儲けはないかのう
地道にバイトして月15万弱。それに執筆料として不定期だが計30万。これが6月からの私の収入である。すべて合計して4ヶ月で90万なり。ぎりぎりの生活である。
私一人なら余裕だが、妻と幼子を養わねばならない身としては何とかしなければならない。
一応考えていることはあるのだが、なかなか実現が難しい。もちろんサラリーマンなんぞに戻る気は毛頭なく、作家として食っていこうという高い志は相変わらず持っている。まさに男の生き様である。
しかしそうも言ってられない。今のままで他に何か金儲けの手段はないだろうか。
株はどうだ。いやこの不景気において、株で儲けようとするならある程度の資金がないと駄目だろう。それに不確かである。そんなものに賭けようとするほど阿呆ではない。ギャンブルみたいなものだからな。それを言うなら金儲けはすべてギャンブルみたいなもので、確実に儲かる話なんてあるはずはない。
もっともリスクが少なくて、資金もさほど必要としない、ネットビジネスしかなかろう。信頼できるパートナーがいればすぐにでも始めたいのだが、この先が見えない時代において、今の職を辞してまで冒険しようとする奴はいないのが現実である。
俺みたいにズバっと辞めて、男の道を進んでみろってんだよ。
やっぱ地道が一番ですかね。
10月5日
何はともあれ
色々あったが、とりあえず続けることにした。何を?って会社をである。
私専用のパソコンも来たし、言いたい事を言ってすっきりしたし、待遇も改善されそうだからだ。それから何といっても9月19日の日記で書いた当本人がやや態度を改めたようなので、許してやることにした。(偉そうだなあ)
だからといってやるべき事はしっかりとしなければならない。毎日コツコツと(これが苦手なんだな)書き続けなければならない。
コツコツか・・・・・・。俺が最も苦手とする行為だな。
ここのホームページもリニューアルしなければならんしな。
9月19日
何なんだ?
今日は久しぶりに頭に来た。会社での出来事である。
夕方4時頃だったか、私は急に気持ちが悪くなり、席を離れトイレに行ったのだ。トイレにて脂汗をかきながら、私は苦しんでいた。便座に座り、目をつむりうつむきながら、荒い息を吐いていた。
喘息の発作というわけではなさそうだ。とにかく気持ち悪い。気を失いそうだった。30分はこもっていただろうか。
何とか持ち直し、私は青ざめた顔で席に戻った。すると何と「外に出る場合はちゃんと言ってからにして下さい」と言われたのだ。おいおい俺は今にも倒れそうな状態なんだぞ?大体トイレに行く前からどれくらいかかるかなんて、そんなことわかるか!
従姉の部長にもなんやかんや言われるし(まあ立場もあるだろうから許すが、これもまず事情を聞くべきだろう)。いったい何なんだ。
いないけど、彼どうしたんだろう?と心配してたと言うんなら、まず「どうしたの?」とか聞くべきだろう。サボりに行ったとでも思ったんかい。大体どこでさぼるんだよ。1時間に1回タバコを吸いに行くくらいだぞ。まあ別に心配してくれなんて言わないが。
「外出するならタイムカード押してからにして下さい」とも言われたわ。
いくらバイトの身だからって俺を誰だと思ってるんだ。38にもなる男だぞ。大の大人の男性が何でこんなくだらないことを言われないかんのだ。
ふう疲れる。前の会社でそんなこと言われたら、怒鳴り返してるところだ。まあそんなこと言われるわけないが。
少しは感じていたが、こんなに窮屈な会社とはね。
大体今まで無遅刻で、さらに勤務中無断で外出などしたこともない俺が何でこんなこと言われないといけないのだ。無慈悲な会社だぜ。こんな中途半端な立場では文句も言えないところが辛いわい。
9月17日
パソコン
4〜5年前は全くパソコンに縁のなかった私がパソコン無しでは生きられないようになってしまった。まず執筆に使う。これは当たり前だ。
現在の仕事(仮)でもWEB担当のため1日中パソコンに向かって何かをしている。家に帰っても風呂入って飯食って一服したら書斎に向かいパソコンを立ち上げ、メールチェックやら何やらで数時間パソコンの前に座っている。
そのせいか大分詳しくなったようだ。もちろんパソコンを生業としている人々や趣味がパソコンだというオタクの知識の深さには到底かなわない。彼らは私から見れば異常である。
まあそれでも普通の人よりは詳しいという自負はある。
執筆だけに生かすのではなく、何か金になるようなことでの生かし方はないものかと日々考えている。やっぱネットビジネスかな。明日葉の通信販売でもしようか。そんなに甘くはないのはもちろんわかっているが、資金などほとんどない私にできるのはそれくらいしかないだろうな。
作家を本業とし、副業でネットビジネスだな。
9月15日
初秋?
ついついこの間まで冷夏かなと思っていて、ついこの間まで残暑到来かと思っていたら、今日は寒い。この季節感のなさといったら。
まあ9月も半ば、秋到来といっても全く不思議ではない。
今日まで3連休であったのだが、まあまあ充実した日々であった。読書に執筆、はてまた詩月との時間(家人との時間は?)あっという間の3連休であった。
それにしても最近気になることがある。それはここ数ヶ月で7〜8キロも体重が増えてしまったことだ。いくら冷夏とはいえ例年なら夏バテでやせ細っていた私が太るとは。しかも7〜8キロもだ。
従姉には腹がでてきたんじゃないの?と言われるし、、まあ自分でも太ってきてるなあとは自覚してはいたが。太る分にはいいが腹が出てくるのはいただけない。
もう中年なのか?
可愛いのだ
詩月が寝返りをうてるようになった。一生懸命に体を動かし、腰をねじるように寝返りをうつ。そして小さなおしりを左右にふりふり動かし、手で下を押さえて寝伸びするように顔を上げるのだが、数十秒もすると力尽きてバタンと顔が布団に落ち、うつぶせのまま大の字になっている。顔だけ横を向いて息をしているのだ。
それが可愛いのだ。日々成長しているのが目に見えてわかる。言葉になってはいないが、何かを訴えようと、しきりに声を出す。泣いたり笑ったり表情も豊かになってきた。
何にでも興味を持ち、すぐに手で触れたがるのだ。手でつかんだものは、すぐ口に持っていこうとするから、目が離せないし、危ないものは近くに置かないようにしないと、結構体をよじって移動できるようになったからいつ事故を起こすかもわからないのだ。
先日もリビングのソファーに寝かしていたら、(今までだったら絶対落ちないような位置であった)ちょっと目を離したすきに転げ落ちて大泣きをした。幸い何も異常はなかったが。
表情、動き、仕草どれをとっても可愛くて仕方がない。
夜の執筆に影響が出ているが、今はしょうがない。こんな時期は2度とないのだから。
猛暑
今頃になって暑い日々がやってきた。これは残暑ではない。やっと夏が来たのだ。遅すぎる!
連日30度を越している。まったくおかしい気象だ。
とはいってもせいぜい32〜3度だから大したことはない。寝るときもエアコンをつけなければ寝られないというほどではなく、扇風機で十分だ。
東京にいた頃は夏といえば地獄であった。なあそういう仕事に従事していたからなのだが。しかし35度なんて平気で超えてたし、それが何日も続いたりしていた。そういう面から考えれば、甘い。
本格的な夏を体験できなかった子供らはかわいそうだが(しつこいか)、レジャーを楽しめない大人にとっては、過ごしやすかった。
しかし、この季節外れの暑さはやっぱりいただけない。
9月3日
びっくりした
今日は仕事帰りに博多駅にあるヨドバシカメラに寄った。そこでスイッチングハブとプリンタの詰め替えインクを購入した。
さて帰ろうかとバス停に行き、バスを待っていた。そこで私は思いもかけない光景を見てしまった。バスのベンチに制服の女子高生が2人座って、足を組みながらタバコをふかしていたのだ。まわりには大勢の人がバスを待っている。衆人環視の中で、この行動は常軌を逸しているとしか思えない。
女子高生がタバコを吸ったからっていっても珍しいことではない。しかしここは博多駅のバス停だぞ。大体条例で博多と天神は歩きタバコ禁止じゃなかったっけ。私のようなヘビースモーカーでもやらないぞ。
親の顔が見たいわ!まあこいつらは羞恥心などをつかさどる前頭葉が欠落しているのだろう。自分の娘がこういうことをやったら私は許さない。まあそれ以前にそういう子には育てないが。
馬鹿ガキが増えて困る。何にも考えていない日本の若者は、イラクでも送ればいい(過激かな)。
今日のこの光景を見た瞬間、私は「ええ?」と声をあげてしまった。それほどまでに驚愕したのだ。
夏の終わり
今日で生徒たちの夏休みも終わりだ(大学生は除く)。この冷夏で果たして夏を満喫できたであろうか。盆も雨か曇りであったし、全体的に夏のじりじりした暑さはほとんどなかった。
夏特有の季節感を感じ取れない以上、それはもはや夏ではない。子供にとって甘美で自然とうきうきしてしまう夏休みを体験し得なかった事は、ある意味何かを失ったと言っても過言ではないだろう。
大人になると夏がきても特に何かを感じる事もなく、ただ暑いだけの過ごしにくい季節だという認識しかない。これほどまでに子供時代と大人との感じ方が違うようになったのは何故だろうか。やはり長期の休みがあるかないかだろうか。いやそうではないだろう。恐らく子供たちは、同年代と共有する何かの経験、体験などが新鮮に感じ、自然とそれが今しかできないものだとわかるからだろう。
大人にとって新たな経験とは、仮に未経験のことであっても、情報としては既知のものが大半だ。さらにそれを共有体験する純粋な仲間などが存在しない。共有したつもりになることはあるだろうが、やはり子供時代の無垢な未知への憧れの結果の共有と次元が違う。
夏休みという言葉に、あれほどの開放感を感じた子供時代が懐かしい。
8月28日
無駄な時間?
私が最初に手に入れて、ここ2年余りの間使ってなかったパソコンをいじっていると、動作がおかしくなった。元々捨てるか売るかしかないものだったから調子に乗って無茶な事をしてしまった。
一応家庭内LANを組んだとき、このパソコンもネットワークに参加させ、何か使い道はないかと模索していたんだが。
頭にきてハードディスクをフォーマットし、ウインドウズ98でも入れてみるかと考えた。ちなみにCドライブは圧縮されていたので、フォーマットするのすら苦労した。色々なファイルを削除して(これがさらにいけなかった)空き容量を増やし、やっと圧縮を解除し、それからフォーマットした。
さあ98でもインストールしようかといざ行動に移すと、大変な事に気づいた。このパソは外付けCDドライブなのだ。やってみるとやはり認識しない。どうすればいいのか皆目見当もつかない。
色々やってはみたが、駄目だ。PCカードの認識から始めないといけないのか。ドライバを探さなきゃ。それからだな。
ここで気づいた。LAN上のドライバは使えないか。ファイルシステムが違うから駄目なのかな?しかしこれにしてもMS-DOSからのネットワークを構築しないといけないのか?
このパソコンは東京のレンズことTからもらったものだ。愛着もある。何とか使えるようにならないだろうか。いっそのことLinaxでも入れて見るか。これならフロッピーからでもできそうだ。
まあしかしこうやってトラブルに巻き込まれて、人間は学習し、成長していくのだ。
8月26日
冷夏
今年の夏はおかしい。うだるような暑さがない。普通ならあまりの暑さに汗をだらだらかきながら、冷たい飲み物をがぶ飲みするのが通例なのに、今年はそれがない。ビールがこれほど美味く感じる季節もないのに、それが味わえない。
エアコンもあまりつけていない。扇風機で十分なのだ。業界も大変だろう。
大人になった今ではそれが助かる面もあるが(ビールの件を除いて)子供たちは哀れである。夏休みという言葉に甘美な響きを感じ、またこの期間に色々な経験をして大人になっていく。それが夏休みだというのに、この気温じゃ、何となく夏休みという気がせず、よってその分それらも半減しそうである。
海やプールなどの夏らしい風物詩も、この寒さじゃ行く気もしない。真っ黒に日焼けして、まさに夏!というのがない。子供たちは白く、まさに白い夏である。夏は黒くなくては。
冷夏によって満たされる人は少ない。普通ならこれから残暑がやってくるのだが、今年は盛夏がないのでよくわからない。
やはり季節感というのは大事だ。特に四季の移ろいを肌で感じることにの出来る日本人には、季節感の喪失は重要な問題である。これを単なる異常気象だといって片付けるのは簡単だ。それともこれから暑くなるのだろうか。
いずれにしても妙に物足りない夏であることは間違いない。
8月25日
久しぶり
約1ヶ月ぶりの日記更新である。さてこの間何をしていたかというと、特にない。
お盆は親戚の家に行ったくらいだし、海にも行ってないし、レジャーといえる様な事にはまったく関与していない。
会社と家の往復であった。
まあレジャーなど楽しんでいる場合でもないし、子供もまだ小さいのでこれはこれでいい。問題は本業が疎かになっていることだ。仕事中は仕方がないとしても、帰宅してからやるべきことはいくらでもあるはずだ。帰宅してからも決してだらだらしているわけではないのだが、書くという作業から遠ざかっていることは確かである。
本を読んだり、パソコンに向かっていたりしてはいるが、どうも楽をしているような気がする。仕事を終え帰宅すると、何か1日のやるべきことをやり遂げたような気がして、気を緩めてしまうようだ。
初心忘るべからずだ。