新しい日記(2002年11月25日〜


2002/12/31(火)

 
大晦日

 今年も今日で終わりだ。色々あった。反省すべき点も多々あった。
 仕事も辞め、何の拠り所もなくなった私に来年は良い事あるだろうか。

 家族が増えるな。


2003/01/04 (土) 17:21:37


2002/12/30(月)

 
大掃除

 家の大掃除をした。疲れた。


2003/01/04 (土) 17:18:13


2002/12/29(日)

 
時々

 私は自分の事を楽天的な男だと思っている。そうでなければ、こんな冒険する訳がない。なんとかなるさと常に思っている。
 しかしたまに暗澹たる思いに駆られ、落ち込む事もある。無駄な努力をしているのではないだろうかとか、このまま堕ちていくのではないだろうかとか。
 
 私一人だったら何とかなる。しかし私には家族がいる。家人は私の成功などこれぽっちも考えてないだろう。そろそろ就職してくれないかなと思っているはずだ。まあ文壇での成功を信じる方がおかしいのかもしれないが。
 誰も真に応援し、認め、信じてくれる人がいないというのも辛いものだ。暗闇を独りで模索しているような感じだ。そこには明かりがなく、どちらに向かえばいいのかすら分からない。

 「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ花を買い来て妻としたしむ」というような心境に陥る夜もある。しかし妻には言えない。私一人で整理しなければならない。

 深く内省したり、思索したりすると良からぬ事まで考えてしまう。人間の業の深さや、愚かさに思いを馳せ絶望する事もある。
 一方で人間の美しさに触れ、感動する事もある。なんて複雑なんだろうね、人間って。だから面白いのか。私はそれを書きたい。

 単純に生きていた頃もあった。その頃の方が楽しかった。しかし人間の深みまでは、それではわからない。毎日毎日一生懸命に生きる事を目標にしている人がいる。それはそれで素晴らしい。しかし人間は生きている事が既に、一生懸命なのだ。

 時々考えていた事を、最近は頻繁に考えるようになってしまった。
 1年の終わりが近づき、精神的にナーバスになっているのだろう。

2002/12/30 (月) 15:50:53


2002/12/28(土)

 
またしても

 今日も「アンツ」に行った。店長が今日で辞めるということなので、そこを紹介してくれたI君と(家人の会社の後輩)Yさん、家人と計4人で行った。

 その後、何故かカラオケボックスに行った。1年ぶりかな。しかし若い奴は元気だ。4時くらいまで歌っただろうか。またしてもタクシーで帰宅した。やや反省。まあいいか。年末だし。

2002/12/29 (日) 23:50:44


2002/12/27(金)

 
屋台

 中洲の屋台に行った。Mとである。披露宴の1,5次会で入ったところだ。
 Mは1時間も遅刻してきた。私はコンビニで立ち読みしたりして時間をつぶした。まあ女の子2人連れてきたから許してやろう。

 女の子2人は屋台が初めてだと言う。途中で帰ったけどね。
 その後私とMは披露宴の2次会で使った「アンツ」と言う店に行った。そこで何故か焼酎を飲んだ。「森伊蔵」(こんな字だっけ)とやらも飲んでみたが、大した事はなかったように感じた。まあ酔っていたからな。
 0時半まで飲んでタクシーで帰宅した。本当はもう一軒行きたかったのだが、Mが辛そうだったので私も帰った。

2002/12/29 (日) 23:45:45


2002/12/26(木)

 
ヤフーBB

 今日は家人と天神に行った(天神様ではない)家人はマタニティウェアなど購入していた。私は雑誌を購入した。
 それから100円ショップに行き、適当に買い物をした。重箱とかないかなと思ったが、さすがにそれはなかった。これは後で地元のスーパーで買った。(本当に御節料理作るのかい?)

 途中ヤフBBーから電話があった。出かける前に、あまりにもヤフーBBからの連絡がないので、確認の電話を入れておいたのだ。その時に2時間後に折り返しかけると言われたのだ。(大体2時間後って……)その電話だった。

 一言で言うとあきれた。年内の開通は難しいかもと言う。おい!年内にできると言われたから、仕方なくリーチにしたのだぞ。その事を分かっておるのか!それだったら、フレッツADSLモアに変更したっつうの。NTTからの連絡が来ないというが、知った事か!責任持てよな。
 確か昨日かな、ワールドビジネスサテライトで、ソフトバンクの孫社長が出ていたのだ。これからはブロードバンドビジネスに全てをかけると言う。つまりはヤフーBBだな。確かに1年前に比べたら、格段によくはなっているものの、まだまだ甘い。私が昔勤めていた会社でこんなことしたら、大クレームだよ。始末書ものだぜ。
 番組の中でNTTに対してちらっと文句をいっていたが、一番迷惑を被るのは、我々である事を忘れないで欲しい。

 このページをアップするのも大変なんだよ。ダイヤルアップだと。


2002/12/26 (木) 23:13:48


2002/12/25(水)

 シンボリクリスマス

 今日は寒い。午後古書店でも行こうかと思い、外に出たら寒いの何のって。身がきしみ骨をえぐられるような寒さだった。(大げさか)
 それであきらめ、近くの酒屋にいってタバコを買った。

 部屋の中はそうでもないから気がつかない。室内温度は16度くらいかな。暖房をつけて20度くらいだ。

 年賀状を作成した。例年は年賀状など出しもしない私だが、これからは出そうと思う。
 大学生の頃までは、結構出していたのだが、会社に入ると面倒になって、仕事関係の人にしか出さなくなった。いつの頃からか私は、不義理な人間になっていったのである。
 電話とか、他の通信手段もまめに使って、たまには不義理を詫びることもしていたのだが、それさえもしなくなった。その時、何を考えていたのか。ただ単に面倒だったのか。意味もなく人とかかわるのを避けていたのか。
 その代わり、夜な夜な街に繰り出し、ひとときの快楽に身を委ねるような生活をしていた。
 飲み屋のカウンターに陣取り、文学、政治、はたまた艶話にいたるまで熱く語っていた。

 しかしここ数年はそんな青臭い飲み方を辞め、自分の身を破滅させるかのような飲み方をしていた。当然生活は荒れ、心も荒れ、何かをしようとする余裕さえ失っていた。周りに目を配る事もせず、自分のことばかりを考えていた。

 たかが年賀状だが、今年からは出そう。気持ちに余裕がないのは、未だにそうだが、そうしようと思い立った事には、何か前進の予兆があるのかもしれない。
 まあ結婚したのが1番の理由だろうな。

 今日はクリスマス。特に何て事のない夜である。


2002/12/25 (水) 22:16:58


2002/12/24(火)

 
クリスマスイブ

 昨日は吐露ってたなあ。トロットサンダー並に吐露ってたわ。酔っ払っていたからな、今日読み返してみたら、怖くなったよ^^; 論調の飛躍が甚だしいね。
 酒は時に人を変貌させるなあ。私は普段は楽しい酒なのだが、昨日はやや暴れたな。もちろん本当に暴れたわけではないが。
 しかしそれもまたよしだ。たまには言いたい事言い合うのも良いだろう。ただし真意は伝わらないものなのだな、どうやってもね。

 さて今日はクリスマスイブだ。だからと言ってどうこうって訳でもないのだが。

 昨日飲みすぎたのか、やや気持ち悪い。何もする気が起きず、ベッドに寝転がって、本読んでいた。夢中になってたら、4冊目に入っていた。家人が帰ってきたので中断したのだが。

 一応イブという事で、チキンとケーキが用意されてあった。ケーキは食べてないが、チキンはうまかった。
 シャンパンでもあればもっと良かったのだが、単純に買い忘れたらしい。仕方ないので、缶チューハイで我慢した。シュワシュワと泡立つところは似ているだろう。

 2002/12/25 (水) 0:09:52


2002/12/23(月)

 
疲れたよ

 実家に行った。お好み焼きを食べながら、飲んだ。楽しいひと時であった。しかし安貞なひと時を過ごしてこうも思った。
 俺は悩む。このまま自分だけを頼る人生を送るべきか。

 日本の戦国時代には親と子の争いなど当たり前であった。いや父と子か。人間は生まれてから、ある時期までは親によって、いや大人によって育てられる。しかしそれが過ぎたら、どうだろう。私の経験では親より、配偶者を大切にするような気がする。
 親子は定められた運命による関係だ。しかし男と女の関係は、自らの努力や、苦しんだ末勝ち取ったものだ。そして、親を離れ、うまくいけばそのまま一生続き、そこから、歴史が生まれる。

 人間と動物を一緒にしたら弊害があるかもしれないが、自然界の動物たちは、親とか子という関係をある時期から失う。そして、それからは人間界でいう配偶者とともに生きる。種類によっては、その関係が、一瞬で終わることもあるけれど。

 俺は悩む。しかし当然だ。肉親であっても真意は伝わらないものだ。赤の他人より少しは許容と理解の下で、伝わっているような気がしているに過ぎない。

 辞世の句に、吉田松陰のような、親を思う子の心が自然に出る事は俺も必至だとは思うが。

 ここまで思えるのも親子であるからだろう。

 まあここまで読んだ人は意味が分からないだろうな。

 俺だけ勇み足なのか。そういう決まり事誰が決めたんだ。儒教精神なのか?

 事の顛末はこうである。私の披露宴において、私が高砂で、普通にタバコを吸ったのだ。それを気にいらなかった人が多分にいるだろうと、私の親父が言ったのだ。かっこわるかったと。
 そうかもしれない。しかし、それは、そうであってもその場で言うべき事であって、今日言うべき事ではなかろう。
 私だって、最初からそうするつもりであったわけではない。席に着いたら灰皿があったし、会場の女中さんも、「吸われる方は吸いますよ」との一声が、私をそうさせたのである。

 それが私の、形式なんてどうでもいいじゃないか、という常日頃の精神に火を点けたのである。

 もてなす気持ちと祝う気持ちがあれば、いいのではないか。大体ああいう披露宴形式のは昔は武家社会だけだったのだぞ。それをどいつもこいつも形式だけに身を置きやがって。

 私は形式で祝ってもらおうとは思わない。その事は、ちょっと前に書いたはずだ。ただ妥協して、披露宴とやらを敢行しただけだ。その中において、今ある形を打破してはいけないのか?

 ああちょっと路線変更。
 たかがタバコだろ?それがなかったら俺じゃないんだよ。皆が普通の人と思うなよ。俺はいかなるときでもタバコがないと駄目なんだよ(やや問題だな)。アル中やシャブ中よりよっぽどましだろ。小さなことでがたがた言うな。あのときだって、時と場合を考えて吸ってたんだよ。皆がこちらを注目する場面や、お祝いの言葉を言ってくれてる時は、吸ってないんだよ。そこまで考えもせず、偉そうに言うな。
 披露宴に対する俺の努力も何もあったもんじゃないわ。(自己弁護かな)いや実際苦労した。みんなに喜んでもらおうと色々考えたんだよ。

 ただここで俺に意見を言ってくれるという存在がある事には多大なる感謝をしなければな。でも素面で言ってほしかったし、その時、聞きたかった。

 俺の友達は皆、お前らしくて良かったよと言ってくれた。わざわざ遠くから来て来てくれた奴らがである。俺は俺の理解者を涙なくしては語れない。全員自費で来てくれたのだ。それが心底祝うという気持ちなんじゃなかろうか。

 もちろん他にももわざわざ来てくれた人は大勢いる。感謝の気持ちは多々ある。当たり前である。しかし感謝の表現って何?うそ臭い政治家みたいに演技して、喜びを表現すりゃいいの?それより俺という人間を、正直に見せた方がよっぽどましなんじゃないか。俺は本当に感謝して、最後の挨拶で、自然に口からそれが出た。

 ま、俺の事、真に理解してないからだな。そう、人のせいにするわ。いちいち人の事、過剰に気にしてたら、疲れるわ。
 その分優しくて、人に気を異常に使う家人がいるからね。俺はあいつによって救われているのかもしれない。

 一人だったら、未だに東京で無頼な人生を送っていただろう。今度は2人で、いや生まれてくる子供入れて3人で東京に住みたい気もする。

 俺は福岡に来て、駄目になった。こちらでも俺を待っていてくれた人はいた。しかしある意味俺の人生の半分以上を形成してくれた、東京が懐かしい。俺は古風なようで、そして男社会に漬かっているようで、実は革新的なんだ。
 「共産党宣言」を読んで、さらにそう思った(全然関係ないな)。あれは素晴らしい論文だ。皆スターリズムをもって勘違いしている。あれはソ連の失敗に過ぎない。北朝鮮においては、単なる一人の権力者の愚かなファッショだろうし。

 と自己中心的な考えをだらだら述べたが、俺の日記だからいいだろう。吐露吐露だしな。

 今日、妹の旦那であるDがいた。あいつは毀誉褒貶あるものの、実は俺にはないバランス感覚を持っているのかもしれない、と思った。
俺だけ俗に言う甘っちょろい生き方をしているのだろう。
 ま、何て言われても俺は俺の生き方を変えるつもりはない。突っ張ってても、実は違うんだよな、と思ってくれている人が3人でもいればいい(笑)

 だが、俺の事知らずにいる人もいる。その人たちが、俺をとんでもない奴だな、と思ったかもしれないね、披露宴では。
 だがそれぞれの席を家人と一緒に回った時の俺を見てくれれば、少しは礼を重んじている人だな、と思ってくれたと思う。

 形じゃなく精神でしょ?

 レンズ、はげ、マン、ゼミ長くらいはわかってくれるかもしれない、それこそ3人以上もいるから、俺は生きて行けるよ。

 俺なんて偉そうにしてても、小心者で、いざとなると、畏まるんだよ。自分に自信がないから、理屈をこねるのかも知れない。

 俺は、何なんだろう。東京で独り苦労していた時のほうが……。

 いや今は家人とともに生きていこう。俺はあいつによって救われている。
 
 俺を疲れさせるのも家人かもしれないが、俺を救うのも家人だ。

 だが、真剣に俺が生き生きとする故郷に行きたい気もする。

 吐露ってるなあ。甘えかい?言葉の甘えだからいいじゃん。
 俺は俺で生きていく。ああこんな時誰かが、救いの言葉をいいタイミングでかけてきたら、ふらふらとついていってしまうのか?
 疑心暗鬼な俺は、そうそう動かないが。
 どういう精神状態であれ、真理を言われれば、感動もしよう。
 私は今のところそれにお目にかかったことがないが。

 人間の疲れを癒すのは、名言じゃなく、その時の真実なのだ。

 2002/12/24 (火) 2:39:05


2002/12/22(日)

 
有馬記念

 いまいち実感がわかないが、今日有馬記念があった。というのは、年の瀬も押し迫ったという気がしない為だ。
 有馬記念は年末を思わせるが、22日だとそれも薄れる。まだ1週間以上もあるではないか。
 例年だと、有馬記念が終わったら、仕事も終わって、年越しの準備をしようかな、と思わせたものだが。

 期待の3歳牝馬「ファインモーション」が5着に敗れた。まあ私は最初から来ないとは思っていたが、やはりまだ若いのだろう。しかし同じ3歳馬の「シンボリクリスエス」が優勝した。まあこちらは牡だしな。しかし何故岡部が騎乗しなかったのだろうか。天皇賞は岡部だったのに、ジャパンカップからぺリエに乗り変わってしまった。意地を見せたのか、岡部の「コイントス」が3着に入った。
 私は「ナリタトップロード」から買っていたのだが、惜しくも4着であった。この馬は、昔菊花賞で馬券を取らせてもらった事がある、思い出の馬だ。今回で引退するらしい。よく頑張ったものだ。そのときの菊花賞なんて、何年前だろうか。4年にもなろうか。年の経つのは早いものだな。あの時の私と今の私は全く違った生活をしている。
 
 今から4年後はどういう生活をしているだろうか。人間は変わる。1年でも大きく変わる。その人の心がけ、運命などによって。つまり内的ファクターと外的ファクターの色々な組み合わせで変わるのだ。

 どのように変わるのか、それはわからない。しかし内なるものは、ある程度コントロールできるはずだ。
 競馬だって、日頃のトレーニングによって、実力は変わりうる。もちろん生まれついての素質が一番重要だが。しかしどんな素質馬でも育成を間違えたり、その馬の気性によっては、実力を発揮出来ずに終わってしまう場合も多々ある。

 人間も馬も、己に適した鍛錬と環境が必要だと言う事だな。

 ちなみに馬券はPATで600円買いました。昔なら何万も掛けてたであろう、この俺が達観して、競馬を楽しめるようになったのは、環境による物なのだろうか?


2002/12/22 (日) 23:47:44


2002/12/21(土)

 
右胸が……

 咳のし過ぎだろうか、右胸が痛い。骨の弱い人だと、肋骨を骨折する事もあると言う。それくらい咳による衝撃は大きいのだ。
 激痛なのだ。普段は大丈夫だが、くしゃみや咳をしようものなら、右胸を鉄のハンマーで殴られたかのような痛みが走る。
 ぼろぼろだな。

 最近、理想と現実の狭間で悩んでいる。いや自ら悩んでいるというより、雑音に悩まされている。俺の人生なんだからほっとけと思うのだが、皆、偽の親切心から意見を言ってくる。そうだ、そんなもの雑音に過ぎない。果たして人生の道や、生き方に答えはあるのか、それを言ってくる人には真理が分かっているとでもいうのか。仮にそうだとしても、それはその人にとっての真理であって、私にとっては何の足しにもならない、単なる常識に過ぎない。

 ああそうだ、それは確かに真理であって、救いの言葉だ、と思えるような意見に出会った事がない。大体それらの言葉は、何かにすがりたい人には有効かもしれないが、私にとっては雑音だ。

 生き方はそれぞれの、人生の結果であり、自分で責任を負うものだ。自分の考えとか、理念とかは、他人に理解できようはずもない。何て常識に囚われた人がこの世には多いのだろう。

 といって、勝手気ままな生き方、人に迷惑を掛けるような生き方は、責任を負うと言う意味において、私はいいとは思わないが。

 右胸だけでなく、左胸まで言葉で攻めないでくれ。他人には関係ないだろう。私が救いを求めたときだけにしてくれ、と言いたい。だが、私はそんなにやわじゃない。人に救いなんて求めない。

 ここまで書いては来たものの、応援してくれる人も少なからずいる。そうだ、それでいいじゃないか。どうせ他人の人生だ。否定より肯定の方が、良いに決まっている。

 まあ、冷ややかな無関心より、否定的な意見の方がましかもしれないが。
 今、私はサンチョ・パンサを伴っての修行中なんだよ。家人が私にとっては彼だな。家人も迷惑かな。

2002/12/22 (日) 0:42:56


2002/12/20(金)

 
首が……

 首が回らない、じゃなくて首が痛い。寝違えたのか。

 鞭打ちになったみたいだ。どうも最近健康状態がよろしくない。運動不足なのだろう。書斎に閉じこもってばかりだからな。散歩でもするか。

 元スポーツマンだと言い張っても、誰も信じてはくれないし、まるで病気がちの老人みたいに成り下がっている。
 頭の体操だけではなく、体の体操もしなければ。

2002/12/21 (土) 18:07:03


2002/12/19(木)

 
懐かしい

 NHK衛星で懐かしいビデオを見た。それは80年代の洋楽クリップ特集だった。
 ビートルズや、ローリングストーンズなどの映像もあった。今日で4夜目だという。あらら3日分見そびれたな。

 しかし懐かしかった。ちょうど私の青春時代の頃であった。高校生くらいか。
 出てくるアーチストも今と比べて大分若い。しかし偉大なるスーパースターは年月が経っても色褪せることが無い。

 先ほど嫌な記事を見せられた。タバコに関係する記事だった。それはOECD、じゃなかった(それは経済協力開発機構だろ!)COPD(慢性閉塞性肺疾患)に関するものだった。初めて聞いたが、タバコによる気管支系の病気で、発症すると完治はしないらしい。死にいたる事もあるという。
 咳や痰が2週間以上止まらなかったら怪しいと言う。俺はもう、それが5ヶ月続いている。
 しかしマッチテストとやらをやってみると大丈夫であった。(読みたい人はここをクリック)

 タバコが体に有毒である事は十分わかっている。しかしやめられないのだ。特に思索にふけっている時や、文章を書いているときは本数が増える。
 酒を飲むときもそうだ。酒とタバコと考えたら、タバコのほうが百害あって一利なしだろう。もちろん健康の事だけを考えての話だが。

 最近のどの調子がおかしい。何かを飲み込もうとするとき、違和感があるのだ。生唾を飲むときが顕著である。

 明日あたり病院でも行ってみるか。喘息の薬も切れかけていることだし。

 ああ。今日の80代音楽も懐かしかったが、健康であった数年前も懐かしいよ。


2002/12/20 (金) 1:13:53


2002/12/18(水)

 
完成

 投稿用の小説が完成した。昨日の時点では、今一気に入らなかったが、大幅に筆を加えて何とかなった。
 完成原稿は誰にも見せてないので、批評は受けてないが、前より大分いいと思う。

 それで余裕で図書館に行けた。本を6冊借りた。その後本屋に行き、雑誌を3冊ばかり購入し、近くにあった、ホームセンターでハムスター用のヒーターを買った。1000円くらいで、ベッドつきという優れものだ。
 最近寒いので、これで暖かく過ごせるだろう。但しリュウ用で、マロとロビンにはない。あいつらは2匹仲良く寄り添って寝ているから、大丈夫だろう。(本当に仲がいいんだな)

 さてそろそろ今年も終わりだな。考えてみれば、劇的な年だった。
 会社は辞めるし、東京を離れるし、まあ一番の出来事は私が結婚した、と言う事だろう。
 私は結構一人の時間を大切にしたいと思うほうだが、常に近くに人の気配がするのもいいかもしれない。
 喧嘩もするが、それもまた良し。
 そうそう来年には子供も生まれる。私がパパになる。

 来年は、投稿した小説が入選して、晴れて作家になる、そんな年になったらいいのだが。(入選くらいじゃ、スタート地点に立ったばかりだが)


2002/12/19 (木) 1:55:10


2002/12/17(火)

 
不満足

 「小説現代新人賞」の投稿原稿書き上げたが、納得できない。
 短編で原稿用紙45枚くらいなのだが、心が打ち震えるということはもちろんない。ここが難しいところなんだな。既成のプロの作家の小説を読んでも、何だ、とかつまらんなあ、とか思うのが普通なのだ。最後まで読めるという事もある意味大切だとは思うのだが。
 要するに端にも棒にもかからないという原稿が多い中、一応最後まで読む事のできる原稿が、小説といえるものなのだよ。面白くなくても。

 しかし新人が、あらゆるプロ作家を押しのけて、世間にアピールするには、それだけじゃ駄目なんだな。
 何かキラりと光るものがなければ。

 その点俺はまだまだだな。何人かに読んでもらったが、あまり評判はよくなかった。小さくまとまりすぎているのかもしれない。
 プロの作家すら、あらゆる批判で打ちのめされる中、デビューすらしてない俺は、甘んじてそれを受け止めなければならない。

 これまで何本か小説を書いてきたが、今回の作品が一番評判が悪かった。技巧に走りすぎていたのか。題材がありふれているのか。ひとりよがりなのか。そんな物は純文学に任せればいいな。
 ここから抜け出すには、新鮮な何かがなければならない。カッコウつけていては駄目だな。

 まだまだ常識に囚われているようだ。旅にでも出てみようか。それとも作風を変えてみようか。メタフィクションなんていいかも。しかし全く受け入れられないだろうな。

 誰か簡潔で、さらっとした俺の文体を評価してくれ。といっても自分でも評価してないのだが。

 1年間試行錯誤してきたが、道が分からなくなった。ここ1年で、本は200冊位読み、原稿は1000枚位書いたのだが、まだまだスタート地点にもいない。

 当たり前か。そんな甘くはないよな。

 全く険しい道を選んだものだ。それがだんだん身にしみてくる。そして、来年からは、生活のために働かねばならない。

 選んだ道はこのまま進みたいが、もう一つの誰もが歩いている道(普通の仕事)も、同時に進まねばならない。
 最悪品のいい趣味に終わるかもしれないが。

 だが俺はあきらめない。だって、平野啓一郎とか町田康とか、またまた吉田修一とかの小説読んで面白いと思うか?万人に受け入れなくても、誰かが認めてくれればいい。
 今売れてる歌手なんてのも、みんなが認めてるんじゃない。
 俺はそれでいい。それで食えればいい。(それが超難しいんだろ!)


2002/12/18 (水) 2:30:27


2002/12/16(月)

 またリーチかよ

 ヤフーBBから連絡が来た。色々話はしたのだが、結局もとのサービスである、リーチDSLに戻す事になった。
 回線にISDNが干渉して、繋がらないらしい。おいおい今時ISDN使ってる奴がいるのか。

 回線迂回工事等やれば、改善するかもしれない、とは言われたが2万円くらいかかるらしい。じゃあフレッツASDNにしたら大丈夫か?と聞いたら、方式が違うので大丈夫かもしれませんが、開通は来年になるでしょう、と言われた。

 色々考えたが、最も費用が掛からないで、早く開通するリーチに戻す事にした。それでも2週間かかるらしい。
 まあBBフォンとかあるし、安いし、いいか。そのうち光ファイバーも安くなるだろう。それまで使うよ。500Kbbsくらししか出なかったけど、特に不便は感じてなかったからね。
 
 でも2週間はダイヤルアップ接続だ。(ーー;)

2002/12/17 (火) 3:05:08


2002/12/15(日)

 
祝うって何?

 朝、嫌な電話で起こされた。私は普段寝ているときや、面倒なときは電話に出ないのだが、最近悩まされているヤフーBBからの電話かもしれないと思って、出てしまった。それが間違いだった。

 それは私の知っている人からだった。
 「結婚おめでとう」
 「ありがとうございます」
 てな会話で始まったのだが、そのうち、
 「お祝い届いた? 」
 「ええ、ありがとうございました」
 その人は、結婚式には出席できなかったが、お祝いを贈ってくれた人だった。
 私は、てっきり欠席の詫びと、祝福を兼ねた電話だと思ったのだが、次の瞬間信じられない一言が、私の耳に届いた。
 「お祝い届いたのなら、どうして連絡くれないの!」
 私は報告もかねて、結婚式の写真と一緒にお祝い返しをしようと考えていた。品物はもう用意してある。ただ写真がまだ出来ていなかった。私はその事を告げようと言葉を発しかけたのだが、言う暇もなく、何か非難めいたことを、しゃべっている。私は寝ぼけていたので、それに速やかに対応する事が出来ないでいた。というか、よく覚えていないほど、寝ぼけていた。
 すると相手は、何か捨て台詞を言った挙句電話を叩き切ったのである。

 一体何なんだ?朝っぱらから。受話器を持ったまま私は呆然としていた。もともと寝起きだったので、それには拍車が掛かっていた。
 数分後、ことの事態を把握はしたものの、つまり、お祝い返しがまだ来ない事への恨みつらみであったのだ。
 だから写真と一緒にと送るつもりだったんだって!それを言う暇も与えなかったんだろ。

 お祝いくれた人には、もちろん感謝しなければならない。だが、見返りを期待するのはおかしいのではあるまいか。
 真に祝福するつもりがあったら、お祝い返しなど期待しないだろう。いや、期待していたとしても、わざわざ催促の電話などしないだろう。
大体まだ式が終わって1週間だぞ。落ち着いてから来るんだろうな、くらい考えろや。こっちだって用意はしてあったんだよ。写真が出来上がってから一緒に送ったほうがいいかな、と思ってたんだ。それを何だあの一方的な電話は!
 仮にお祝い返しなどを求めていたのではなく、一言お礼の手紙か電話等だけを求めていただけに過ぎないとしても、あの電話はないだろう。勝手な言い分だが、奥ゆかしさのかけらも感じられない。

 お祝いに対する謝礼はもちろんするさ。しかしそれを強要するのは、有り難味のかけらも感じられないよ。

 人の事、真に祝福する気がないのだろうな。ただ単に形式としてお祝いを出したのだろう。そんな奴からはいらんわ。
 とは言うものの、昔お世話になった人でもあるし、すぐに手紙は出したけどね。お祝い返しも贈りますよ。もともとそうするつもりだったんだから。でもあなたとは金輪際会うことはないでしょう。
 
 何かを期待してお祝いするのなら、そんなものはいらない。なんの見返りがなくともお祝いしたいな、という心の発露によるものなら、例え言葉の一言でも、私は心から感謝するだろう。
  
 私は結構不義理な人間である。それは認める。だったら義理に厚い人間だったらいいのか。この世で一番義理に厚い人種といったらやくざだろ。大体義理なんて、体面や面目を保つためのものじゃないか!

 とにかく私は、義理とかどうとかというより、あの自分の怒りをぶつけただけの電話をする奴には用はない。2度と会いたくもない。

 2002/12/17 (火) 2:54:29


2002/12/14(土)

 
ダイヤルアップは辛い

 未だにヤフーから連絡来ない。よって常時接続ではない。昔みたいにちまちまとダイヤルアップで接続しているのだ。
 1度ADSLの速さを体感すると、56kは話しにならないくらい遅く感じる。しかも電話代を気にしながらの接続はみじめである。
 ホームページの更新も大変だ。メッセンジャーでのひとときの語らいもできない。メールも重いのが来たら大変である。

 今では高速接続が当たり前だから、事情を知らない奴は、画像だの、音楽つきのメールだの重ーい奴を平気で送ってくる。受信が大変なのだよ。
 来週半ば頃までに、何らかの対応を示してこなかったら、ヤフーBBとはおさらばだな。そうするとここのURLも変更になってしまうな。作ったばかりなのに面倒くさいよ。
 
 こら!孫、何とかしろよ。
 孫のコメントに
 「12Mによるクレームは、今のところゼロです」
 というのがあったが、何を聞いてるんだ。いい話しか下から上がってきてないのではないのか。この俺が思いっきりクレーム出してるっちゅうねん。しかも未だ回答ないっちゅうねん。


2002/12/16 (月) 0:33:24


2002/12/13(金)

 
小説現代新人賞


 もう時期「小説現代新人賞」の締め切りである。ほぼ完成はしているのだが、まだまだ推敲しなけれなならない。
 よって、今日はこれだけ。

2002/12/16 (月) 0:18:27


2002/12/12(木)

 
車がほしい

 ファンヒーターで使う灯油を買いに行った。我が家には車が無いので自転車で行った。配達してもらうと、18リッターで1000円くらいするのだが、買いに行くと600円くらいで済む。この差は決して裕福ではない我が家にとって大きい。

 しかし重い。車さえあればちょろいのだがな。自転車の荷台に積んで、紐でしばって走ってる姿は異様である。髪がぼさぼさで、無精ひげもある。下手すりゃ放火魔だよ、これじゃ。

 年の瀬も押し迫ってきている。失業手当も今年いっぱいで切れる。私の闘志に再度放火して、頑張らねばならないな。

 「小説現代新人賞」締め切りまで、あと1週間だ。ラストスパートを掛けねば。

2002/12/13 (金) 22:44:36


2002/12/11(水)

 
迷う


 2つの大きな選択に迫られている。
 1.ヤフーBB解約
 2.我慢して継続

 いずれにしても常時接続が復活するのは、先の事だ。いちいちダイヤルアップ接続をしなければならない。
 仮に解約した場合、私の住んでいる地域では、NTTのフレッツしか使えないのだ。他の回線業者はここをカバーしていない。
 他に光ケーブルと有線のケーブル業者はあるが、高いし、工事を必要とする。

 せめて福岡市だったら、色々選択肢があったのだが……。田舎は困るよ。インフラの整備が遅れてる。
 それで、フレッツにした場合のプロバイダーだが、WEB上で調べた結果(ちょこちょこ接続したり、切断したり苦労した)WAKWAK、ぷらら、ASAHI−NET、HI−HO、SANNETの5業者に絞った。
 それぞれに長短はあるのだが、迷うな。全くヤフー12Mが普通に開通していればこんな事で悩みはしないのに。

 田舎と都会にも長短があるが、今回は短の方が強く出てしまった感じだな。


2002/12/12 (木) 20:56:59


2002/12/10(火)

マジ?

ヤフーBBによると、再度元のサービスである、リーチDSLに変えてくれだと。
変更した意味ないだろ。しかもまた時間が掛かる。リーチだと500kbbsくらいしか出ないのだよ。それが嫌だから12Mにしたのに。最初から言えよな、貴方はリーチしか使えないよって。無駄な事させるなよ。

 前よりはマシになったとはいえ、相変わらず、サポート体制がなってない。
少々高いがフレッツASDNモアにしようかな。
この地域はヤフーBBかフレッツしかないのだ。俺が田舎に引っ込んだから、こんな目に合うのか?


2002/12/12 (木) 2:18:20


2002/12/9(月)

こら!YAHOO!BB


 みな帰り、我が家は急に静かになった。しかし楽しかったけど飲みすぎで疲れた。今日はゆっくりしよう……と思っていたのだが、忙しく立ち回る羽目になってしまった。

 実は今日はADSLのサービス変更の日なのである。ヤフーBBの12M無線パックへとサービスの変更をしたのである。

 昼の2時くらいにモデムが到着した。早速セッティングしてみた。しかし繋がらない。おかしい、設定は合ってる筈だ。NTTの工事も終わっている。

 それから私は色々配線やらパソコンの見直しやらに汗をかいた。駄目だ。何故だああ!!

 ヤフーのサポートセンターに電話した。ここは繋がらないので有名だ。下手すりゃ1時間くらい待たされる。運良く(?)30分くらいで繋がったのだが、どうも埒があかない。もうしばらく様子を見てくれだの、いろいろ言われたが、とっくに様子は見ておるのだ。

 ヤフーのADSLは無事に繋がれば、これほどコストパフォーマンスの高いものはないと思うのだが、いかんせんサポート体制が未だに悪い。大体事前調査が甘すぎるのと違うか。つなげてみないとわからないってな感じだぞ。私は1年前からこのサービスを利用しているが、これまで何回もトラブルに巻き込まれた。その都度嫌な思いをしたものだ。

 まあいい。しばらく様子を見てやろうじゃないか。

2002/12/10 (火) 20:51:01


2002/12/8(日)

余韻

 二日酔いである。

 今日は昨日結局5次会まで来てくれた、横浜の従兄と、式に遅刻した2人の友達が私の家に来る。そうそう行方不明になった通称レンズは、2次会の後ぼろぼろになって記憶をなくして、一人でホテルに帰ったらしい。まあもう一人のHもゲロを吐きまくっていたが。私は彼らの3倍は飲んだのに平気な物だった。鍛え方が違うのだろう。

 昼過ぎにレンズとHが来た。そしてその10分後家人と従兄が連れ立ってきた。私の実家で合流したらしい。

 宴会が始まった。まだ昼の1時である。まあ昨日の余韻が残ってるからいいか。いつもの事だ。(私は一人では、昼から飲まないよ)

 馬鹿話に終始したが、楽しかった。従兄は今日の夜飛行機で横浜に帰らないといけない。友人2人は明日帰るらしいので、今夜は我が家にお泊りだ。と言うわけで従兄は夕方5時くらいに帰っていった。

 それから今度は妹夫婦が来た。さらに宴会が続く。
 みんなで祝電を見たり、写真を見たりして、それらをつまみに飲み続けた。

 今日はジョンレノンが暗殺された日である。1980年の事だ。BGMにビートルズを流しながら、しんみりとではなく賑やかに酒を飲んだ。

2002/12/10 (火) 20:35:25


2002/12/7(土)

桜坂観山荘

 朝から曇り模様であった。家人は私より先に会場へ向かった。
 私は12時頃会場に着き、家人と同じ控え室で、紋付袴に着替えた。

 ぽつりぽつり参列者が集まり、否が応にも雰囲気が盛り上がってくる。
 最終打ち合わせ等を済ませ、後はその時を待つばかりである。

 いよいよ開宴である。しかし私の友人2人がまだ来ていなかった。東京から来た飲み友達たちTとHだ。恥じである。(10分遅れで来たが)
 
 そして入場だ。私たちは人前式という形で結婚式を行った。これは形式に囚われずに、出席者の前で自由に行う式のことである。
最初は緊張もしていたみたいだが、酒を飲むにつれ(私は傍らに用意されていたバケツに酒を捨てるなどと言う勿体ない事はしない)
調子が出てきたみたいで、酒を持ってうろうろしたりもした。
 会場の雰囲気も和やかであった。堅苦しさもなく、宴会のようだった。

 披露宴も滞りなく進み、いよいよ私の挨拶の番が来た。台詞は考えていたのだが、酔っ払いすぎてあんまり思い出せない。まあいいか適当で、と開き直り、私は語り始めた。話しているうちに調子が出てきて、当初考えていたものより良かったように感じた。
 確か
 「お互いを見つめあうだけでなく、同じほうを見つめていきたい」
 とか、
 「人生の道や答えを二人で探していきたい」
 とか、
 「年老いても、陽だまりの中を二人で手をつないで散歩したい」
 というような事を言ったと思う。後はお決まりの台詞で締めた。

 やっと終わった。結構あっけなかった。とにかくこれで一安心だ。そして次は2次会だ。遠慮なく飲むぞ(披露宴でも遠慮なく飲んでいたが)

 中洲だ。しかし2次会まで、小1時間あった。よし屋台で1,5次会をしよう!一緒に会場から来た友人達と屋台に入り軽く飲んだ。
 それから2次会の会場に向かい、そこで他の人たちと合流した。20人くらいいただろうか。

 そこでも楽しいひと時を過ごし、酒も回り、私は大分はしゃいでいたようだった。
 色々な景品つきゲームをしたのだが、私の妹夫婦が、景品のほとんどをゲットしてしまったのは、恐ろしい事だった。さすがに会費を払っただけあって、欲が深い。普通は遠慮するものだろう。まあ式の準備やらで大分協力してもらったから、よしとしよう。

 3次会に行った。2次会のメンバーはほとんど来たのだが、一人いない。東京から来たT、通称レンズがいないのだ。式に続いての醜態である。携帯もつながらない。恐らくはぐれてしまって、一人で地下の飲み屋にでも行ったのだろう。ここに私の弟と従兄が合流した。弟には司会を頼んだが、立派にやってくれた。感謝したい。

 そして4次会である。ここには男しか残っていなかった。家人は妹夫婦につれて帰ってもらった。
 そうだ、男の時間の始まりだ……。しかしここは省略。

 次は5次会だ。まあここも省略しよう。当初の予定の4次会を上回ったな。1,5次会まで入れると、6件回ったことになる。へろへろですわ。帰りはタクシーでふらふらになりながら帰ったよ。東京から来たNを泊めてやった。家人は妹夫婦に家に泊まることになった。新婚初夜なのにな。まあいいか。

 てな訳で大いに盛り上がった1日であった。

2002/12/10 (火) 20:14:41


2002/12/6(金)

最後の晩餐

 ついに明日に迫ってしまった。そう私の披露宴がである。
 多くは語るまい。

2002/12/10 (火) 19:34:13


2002/12/5(木)

披露宴進行シナリオ

今日は二日酔いではあったが、披露宴も近い事だし、式と披露宴のシナリオの作成に没頭した。
何故私がこんな事をしなければならないかと言うと、司会を弟に頼んだからだ。プロに頼むと金が掛かるのと、あとアットホームな形式でやりたかったと言う2つの理由から、プロではなく弟に頼む事にしたのだ。

素人に頼む以上、ある程度の資料は渡して上げなければならない。それで進行と台詞にいたるまで、完全なシナリオを作ってやる事にしたのだ。
 いやいや作業は思ったより大変だった。出来上がったものは結構堅苦しいものになってしまい、アットホームであり且つざっくばらんとは程遠いものになってしまった。
 まあ明日弟が岐阜から福岡まで来るので、最終打ち合わせをするつもりだ。その時に台詞などを言いやすいように変えていきたい。
 後は弟に任せよう。

 今焼酎「黒霧島」のコーラ割を飲んでいる。甘くておいしくない。これを飲み終わったら水割りの梅干入りに変えよう。

 なお私が精魂込めて作成したシナリオを見たい人は、ここをクリックして下さい。

2002/12/05 (木) 23:52:56


2002/12/4(水)

べろべろ

 久しぶりに外で飲んだ。2週間ぶりくらいだろうか。
 今日は図書館に行き、13冊の本を返却し、9冊借りた。
 その後家人と待ち合わせをして、西新(地名)に行った。家人の友人2人と飲もうと言う事になっていたのだ。

 私と家人は、早く着すぎていたので、先に店に入って待つ事にした。最初は渋い感じの居酒屋にしようかと思ったのだが、後から来る家人の友人は2人ともよく食べると言う事なので、普通の居酒屋の方がいいかと思い直し、「笑笑」にした。ここは全国展開の居酒屋で、値段が安いのが特長だ。

 30分くらい待った後に2人が来た。一人は前にも会った事のあるM子で、もう一人は初めてである。名前をIさんという。2人とも家人の会社の元仲間である。

 食って飲んで楽しい時間はあっという間に過ぎていった。ワインを1本開け、さらに焼酎のボトルを入れた。これはさすがに余ったが結構飲んだ事は確かである。

 帰りはM子の車で送ってもらった。言っておくがM子はアルコールは飲んでいない。飲酒運転ではないのだ。
 帰宅してからのことはよく覚えていない。パソコンのメールチェックはしたみたいだが。

 それにしてもこの程度でべろべろになるなんて、私も弱くなったものだ。昔なら絶対はしご酒になっていただろう。
 7日の披露宴はそうなる事は必至だろう。まあ4次会までは大丈夫だろうがな。


2002/12/05 (木) 20:02:22



2002/12/3(火)

最終打ち合わせ

 午後から、出かけた。家人は母親学級に行っていた。
 私は、西新という所にある店にコンタクトレンズを作りに行った。ここしばらくはメガネをかけていたのだが、私はメガネは似合わないので、披露宴くらいは素顔を見せようかと言う事で、作る事にしたのだ。まあ、1年前まで使用していたハードコンタクトはあるのだが、1年も使ってないと、どうなってるか不安なのが一つと、目の負担の少ない使い捨てのソフトコンタクトにしたかったと言う二つの理由から、新しく作り直すことにしたのだ。
 しかし髭を剃って、メガネをやめると急に若返るなあ。昨日も書いたが、貫禄なし!になってしまった。

 検査等含めて1時間くらいで済んだ。うむ、目に対する異物感も少ないし、装着感もあまりない。これはいい。

 それから家人と待ち合わせして、披露宴を行うところに最終打ち合わせに行った。2時間弱詰めて打ち合わせした。
 これでほぼ大丈夫だろう。後は司会をやる弟と打ち合わせをすれば、後は当日を待つばかりだ。

 これから私は、司会者の言葉と(弟が忙しいし、自信ないから、俺に考えてくれと言う)、自分達の誓いの言葉や、最後の謝辞の文言を考えなくてはならない。
 まあ、自分が言うべき言葉は大体考えているので、後は司会者の一言一句を考えればよい。すぐ出来るだろう。

 帰ってきてから、昨日購入したマイクを取り付け、ヤフーのメッセンジャーで知人とやり取りした。感度は良好であったらしい(らしいと言うのは相手にはマイクがなく、私一人でしゃべっていた。当然相手の声は聞こえなかった)。このボイス機能は面白い。

2002/12/04 (水) 1:11:45


2002/12/2(月)

手作り

 朝から、ここのホームページの掲示板修正に追われた。原因は判明した。私が考えていた通りだった。
それから、いつものルーティンワークだ。いやいやそう言っちゃいかんな。ゲーテのような正確なスケジュールをこなした。

 そろそろ披露宴も近いという事で、散髪に行った。1年間蓄えていた髭を剃ってもらった。
 鏡を見て驚いた。おぼちゃまである。今までの貫禄が……。
 夏目漱石か織田信長かと言われた貫禄がゼロになってしまった。
 やっぱ髭に頼らないと私は、駄目だな。

 すっきりとしたところで、福岡のマリノアシティというところに行った。披露宴の準備のための買い物をしにだ。
 家人は美容室と歯医者に行っていた為、まずは私だけで行った。
 そこは、まあアウトレットモールみたいなところで、たしか世界2位?(東洋2位だっけ)の大きさを誇る観覧車があるところで、夜行くと、観覧車を彩るイルミネーションがきれいなのだ。まあ私はガキじゃないので乗った事はない。乗ってみたら気持ちいいかもしれないが。

 私はまず、PCデポに行った。そこでパソコン用のマイクロフォンとインクタンクと本を買った。それからMr Maxに行き、うろうろしていた。
やがて家人と合流し、色々な物を買い込んだ。大荷物である。
 私は車を持ってない。このときほど車があればなと思った事はないくらいだ。プレマシーオーナー(誰の事だか分かる?)がうらやましい。
 敷地内のラーメン屋で辛〜い坦坦麺を食べ、胃をかっかさせながら、帰途についた。

 やっと一息、とは行かず(まあ風呂には入ったが)、それから披露宴の席次表やら、席札やら、あと色々の準備に家人と2人で、ああでもない、こうでもないと口角沫を飛ばしながら(といっても私が一方的に決めてたけど)作業に取り組んだのであった。
 そして今は午前3時。また夜更かしである。いつもと違うのは家人も起きて残りの作業をしている事だ。
 まあ明日は家人も休み、そして私もいつものように世間的には休み(1年間の長期に渡る)だ。

 明日は披露宴会場との最後の打ち合わせだ。これで後は本番を迎えるだけだ。
 しかし眠い……。あともうひと踏ん張り、頑張ろうっと。ちなみに酒はずっと飲んでます。ややへろへろ。

2002/12/03 (火) 3:09:00


トップへ

2002/12/1(日)

分からないことばかり

 今日は疲れた。
 まず、披露宴の為の準備等に追われた。席札作ったり、席次表作ったり、最後の大仕事(そうでもないか)を終わらせようと頑張ってみた。
 それが、途中色々つまづき、人にも聞いたりもして、四苦八苦した。
 大体、あのはがき作成ソフトの「筆まめ」は使えないな。せっかく住所録があるのにそれの活用に関してなってない。
 ただ単にはがきや封筒に印刷するだけしかできない。
 もちろん色々設定すればなんとかなるが、いかんせん、面倒くさい。
 筆まめの住所録使って、席札とか、ネームプレートとか作ろうとしても、苦労するよ、これじゃ。応用が利かないのだ。私が知らないだけで、もっと簡単なのか。知ってる人は教えてほしい。

 次に、私のこのホームページの掲示板についてなんだが、ここは無料のレンタル掲示板を利用している。ただそれじゃ、あまりにも味気ないので、自分でカスタマイズして変更を加えてみたのだ。すると、どうも不具合があるらしい。私が見ると問題ないのだが、他の人が見ると、表示されない画像があるらしい。しかも人によって、見える画像と見えない画像があるらしいのだ。
 理由は何となく分かっているのだが、見る人によって違うとはどういうことだろう。心が汚れている人には見えないのか(笑)

 それはともかく、私からは見えるのだ(裸の王様じゃないぞ)。しかしサーバーにアップしてるし、自分のパソコンのファイルから読み込んでいるわけではない。ちゃんとサーバーを通して見ているのだ。

 まあ私はそんなに詳しくはない。誰か分かる人がいたら教えてほしい。
 掲示板かメールにてお願いしたい。

 ちなみに何となく分かっている理由は万人に通用する事で、人によって変わるものではないから、ますます分からない。
 と、ここまで書いてきて、何となく分かっている理由が臭いと見た。しかも人によって見える画像と見えない画像がある事も、おぼろげながら分かったような気がする。
 ちょっと手を加えてみよう。その上で、その結果を聞きたい。

 ここの掲示板開いてみて、上のほうの青いバナーとBACKというアニメと司馬遼太郎の顔の3点に問題があるらしい。
 確認できたら、是非どういう状況になっているか、教えてもらいたいです。

2002/12/02 (月) 4:20:44



2002/11/30(土)

夜更かし

 今日もこんな時間になってしまった(2時半)。
まあこんな時間はまだ宵の口か。眠い事は眠いのだが、何故か寝ようという気が起こらない。重症だな。
そして朝の7時くらいには起きるのだからまさに、ナポレオンだな(実際彼は8時間くらい寝ていたそうだが)。

 目が重い。ここ4日間で12時間くらいしか睡眠を取っていないだろう。せっぱつまった受験生並みだな。
 またはマージャンから離れられない雀鬼だな。

 私はついこの前まで博打好きだった。主戦場は、パチンコ屋、競馬場だった。パチンコは7,8年前にやめたが、競馬はずっとやっていた。まあそれでも、3年いや、5年前くらいには冷めてたかな。
 それまでは毎週のように競馬場、もしくは場外馬券場に行っていた。行かなくなったのはPATという、電話投票の権利を得てからだ。
根が出不精な私は、家にいながらにして競馬を楽しめるというこのシステムにすっかり、ハマってしまった。楽チンなのである。
 その分臨場感に欠け、盛り上がらなかったのは否めないが。
 ただ無茶な賭け方をしなくなったと言う利点というか、おとなしさを求められたというつまらなさというか、そういうどっちつかずの中途半端なところはあった。

 鉄火場での中途半端ほどつまらない物は無い。だから私は自然と博打から遠のいた。それはそれで良かったと思う。あのまま続けていたら破滅していたであろう。

 今、私はある意味中途半端な人生を送っている。昔博打において中途半端に陥った頃よりもそれは顕著であるかもしれない。
 なぜなら、博打での中途半端は、それをお手軽なレジャーとして楽しめる要素が残っているからだ。つまり副次的なものとして、人々が楽しむ趣味として、選択できる余地がある存在に移行できるからだ。
 そこには主となるものがある。趣味として選択できるなら、そこにはメインであるもの、簡単に言うと仕事がある
 そういう意味において、今の私は中途半端である。主となるものが、いや主と言わしめるものがない。勝手に主にしたいと思ってるだけだ。

 最近朝早く起きてはいるが、強制性はない。会社員の頃は起きなければならなかった。その違いは大きい。
 夜更かしできるのも中途半端だからだ。明日必ず朝起きなければならないという状況だったら、心の持ちようが変わってくる。
 言ってみれば中途半端な夜更かしなのだ。

 いい年してモラトリアムを気取ってるんじゃない、と言う自分と、やるなら今しかない、という二律背面する2つの人格が、今の私には常にある。
 まさに今の私は寝るべきか、起きてるべきか、という中途半端な夜更かししかしていない。
 だらだらと夜更かしするのではなく、意味のある夜更かしに早く移行したい。

 しかも酒を飲みつつ書いているから分けが分からない。
 もう寝たほうがよさそうだ・・・・・・。

2002/12/01 (日) 3:23:22


2002/11/29(金)

ワインから焼酎へ

 朝から喘息の発作で悩まされた。酷くはなかったが、寝てはいられないほどで、昨日も4時くらいに寝たのに7時に起きる羽目になった。睡眠不足である。(最近こんな感じ)
 私の書斎は寝室の隣にある。仕切りは木製のふすまなので(表現はおかしいかな。4枚からなる木の引き戸と言ったほうがいいかな)
起きたらすぐに書斎に移動できる。
 朝も早くから、まずはパソコンを立ち上げ、メールやら自分のホームページの掲示板やらをチェックする。
 それから、朝刊をエントランスの郵便受けに取りに行き、1面から読んでいく。それから朝食を取って、小説を書き始める。

 それにしても、この喘息は一体何なのだ。ハムスターが原因なのだろうか。未だに不明だ。
 生まれて38年、こんな事はなかったのだが。福岡の水が合わないのか?

 経験のある人は分かると思うが、この喘息の発作とやらは、言葉で言い表せないほど苦しい。世の中の空気が無くなったのか、と感じるほどだ。
 人間の基本的かつ自然な営みである呼吸が出来なくなる、これほどの恐怖はない。
 
 痛みや故障、不調の中で、人は日頃は強固に思えてきた世界観や自我の足元があっけなく崩れるのを感じる。それとともに意識を支える言葉も(つまり思考能力)、経験的な文脈(つまり思考回路)を維持できなくなる。そんなとき人は、いわば否応無く「異化」に見舞われる。(つまりここでは、いつもと違うこと)←(注釈いれないで分かりやすく言えや!と思われるかな)
 
 私は最近、晩酌の「異化」をしている。ワインから焼酎に変えているのだ。変えているというより変えたと言ったほうがより近いだろう。
 理由はないのだが、いつだったか、いつもはおいしいと感じるワインが異常にまずく感じられれたのだ。それも数日続けてである。
 最初は体調が悪いのかな、と思った程度だったのだが、試しに焼酎を飲んでみると、うまく感じるのだ。
 あれだけワインを飲み続けてきたのに……終わりはあっけなけなかった。今では焼酎ばかりである。体が九州人になってしまったのか。

 来る12月7日の披露宴には東京の強烈な元飲み仲間も来る。やつらは私が東京にいる頃ワインの味を教えてやったら、今ではそれが大のお気に入りになってさえいる。当然2次会3次会4次会と流れていくであろう中でワインを飲むに違いない。

 恐らく、そういう今の生活と「異化」されるであろう環境においては、私もあれほど愛したワインに心から再会できるであろう……。
 
 と、意味の分からない小難しい事を書いたが、結局はワインをがばがば飲んでへべれけになって、ワインだろうが焼酎だろうが、味も分からなくなるんだろうな。 

 「相変わらず意味無く飲むなあ」と言われるんだろうね。

2002/11/30 (土) 1:07:47




2002/11/28(木)

静かな日々

 昨日は午前5時に寝た(もう今日か)。深夜の静けさの中で私は酒を飲みながら、小説を書いたり、本を読んだり、パソコンをいじったりしていたのだ。そして朝7時に、隣で寝ている家人目覚まし時計のけたたましいアラームの音で起こされた。
 そして家人が起きて出社の準備に追われているのを尻目に、私は再び眠りに付いた。
 家のチャイムが鳴った。時計を見ると9時だった。なんだろうと力を振り絞って起き、インターフォンの受話器を取ってみると反応はなかった。
「こんな朝早くからいたずらかよ」
 と私は怒りに打ち震えたが、また寝ようとベッドに戻った……眠れない。もう起きようと考え、私は起きて着替えて、顔を洗って、朝食を取る。
 それから、昨日の続きを始めた。睡眠不足のせいか、集中できない。コーヒーをがぶ飲みして耐え抜いた。
 だから今、非常に眠い。時間は0時20分だ。寝不足なのに、傍らには酒が置いてある。さらに眠気を誘う。
 寝ればいいじゃないかと言われそうだが、最近時間がもったいなくて、寝ようという気になれないのだ。体壊すかな。あとわずかな日々を過ごすと、披露宴だ。体調を整えるなんて事はしないが、不調では迎えたくないな。
 
 家人は服を着たまま、ベッドに転がっている。疲れてるのだろう。
 私は寝不足だと言うのに、今日も眠れそうにない。
 ここは静かでいい。都会の喧騒と無関係だ。

 物騒で何かと世間は騒がしいが、ここは取り残されている感さえある。
 何も世間に合わせようとは思わないが、浦島太郎にならないようにはしなければな。

 刺激を自分で探さないといけないこの地において、私は人の倍努力をしなければならない。
 なんて、堅苦しかったかな。

 そろそろ家人を起こして、きちんと寝させよう。
そして本格的に酒をあおろう。


2002/11/29 (金) 0:34:12




2002/11/27(水)

慌ただしい日々

 ホームページ作りもそうだが、最近ある事で忙しい。とは言っても定職なき身であるからして、時間のやりくりは何とでもなるのだが。
 どうしてかと言うと、来る12月7日の披露宴の準備の為なのだ。
 誰の披露宴でもない、この私のである。

 私と家人は今年の7月27日に婚姻届は出したのだが、披露宴というものを挙げていない。当初はそんな面倒な事はやらなくてもいいだろうと考えていたのだが、家人の親戚関係や友人等からの矢のような催促があり、ならと私も身内だけで、ささやかにならやろうかと思い直したのだ。
 だがあに図らんや。結構人数も集まる事になり、その打ち合わせや、準備で結構面倒な事になっているのだ。
 2次会までやる事となり(まあ、これは思う存分飲めるからいいけど)世間一般並みの披露宴となってしまった。
 しかしまあ、豪華なものでもなく、ささやかには変わりはないのだが。新婚旅行もしないし。ここで言っておくが、新婚旅行に行かないのは、私が無職だとか、金が無いからというわけでは決してない(これもあるかな)。言うのもはばかられるが、家人が身重なのだ。来年の4月に出産の予定である。私も1児のパパになる。信じられないが、よき父親になるであろう事は必至であろう。その前に収入の事を心配しなければな。

 私は今も夢追い酒を飲んでいる。しかし真の夢ならいつまでも、どんな状況でも追い求めるはずであり、この事に関しては自分を信じている。つまり意に沿わない仕事でも家族のために、また自分のためにやり、その上で夢を追い求めればいい。まずは生活だ。

 私一人ならどうでもいいのだが、家庭をもってしまうと、そういう訳にはいかない。昔の無頼派作家みたいに家庭を顧ず、自分勝手な事をしていられるほど私は図太くない。
 もちろん私は頑固だし、人の意見もあまり聞かないほうで、亭主関白で偉そうにはしているが、それもまずは家人や子供の事をしっかりと考えた上での話しでなければ、男として生きていく資格はない。
 今は好き勝手にやっているが、そろそろ潮時であろう。

 一番の理想は、筆一本で食っていける事なんだがなあ。またこれが地味な作業だから、必死やってても、他人には分からないんだな。恐らく、いいなあ暇でとか、寝坊出来ていいなあとか、気楽でいいなあとかしか思われてないんだろうな。

 会社を辞めて1年になろうとしている。早いものだ。一寸の光陰軽んずべからずだな。ここまで小説家になるべく努力はしてきたつもりだが、背水の陣を引くほどの努力はしていなかったのかもしれない。どこかでそのうち何とかなるだろうと甘く考えていた事は否めない。
 今年は後、「小説現代新人賞」と妹が薦めた『クルーガ文学賞」とやらに全力を注ぎたい。


2002/11/28 (木) 2:05:21



2002/11/26(火)

古本屋に行ったら

 今日よく行く古本屋(BOOK・OFF)に午前11時くらいに自転車で行ったのだが、入った途端あの独特のほこりとにおいに、またまた喘息の発作が出てしまった。息苦しくてゼーゼーと呼吸をしてたのだが、ここで帰るのも勿体なく感じて、店内で我慢してしまった。

私に気づいた人はさぞ驚いた事であろう。なんせ真っ青な顔したヒゲ面の男が苦しそうに息をしながら、本を選んでいるのだから。よっぽど家に帰って薬を飲もうかと考えたのだが、何とか耐え抜いた。30分くらいは苦しんだろうか。


やっぱりハムスターの影響だろうか。ここ数週間はなるべく近寄らないようにはしていたのだが、自転車をこいで息を切らしたのがいけなかったのだろう。

発作も治まり私は念入りと本を探し回った。ここは文庫本も単行本も100円で売ってるコーナーがあるのだ。100円といっても馬鹿には出来ない。結構掘り出し物がある。まあ所詮若い店員なんて本の価値なんか分からないだろうからな。漫画のコーナーしか客はいないし、じっくりと選ぶことが出来た。10冊買って1050円、安い物だ。それから近くの普通の本屋に行き2冊ほど新刊を買ってきた。

私の今の楽しみは読書くらいなものだ。外で酒もほとんど飲まないし、金はかからない。本だってなるべく古本屋を活用している。1年前が嘘のようだ。東京にいる頃は酒代が掛かって大変だった。飲むために仕事していたようなものだった。今は晩酌程度である。まあそれも少し悲しい物があるが。

帰ってきてから2冊ほど読んだ。当分本には困るまい。そうそうこの前図書館から借りてきた本もまだあった。当分は読書三昧だな。(こんな事していていいのだろうか)


Tuesday, November 26, 2002 20:54:58


2002/11/25(月)  


りあえず復活かな


どうなるか分からないが、昨日から作り直した日記も何とか体裁を整えてきたようだ。

いまいちよく分かっていないので昨日は、徹夜だった。

ここもまだお試し中という事で、これから少しづつ良くしていきたいと思う。

トップへ